第34話 さくら

 天友会の下位メンバーたちの中でドンキーが変わったという噂が流れる。

 中堅メンバーは以前に戻ったと言う。

 幹部たちは悩みながらドンキーへ疑問を投げかける。


「会長の仕事は他にもあるのに、せっかく仕事を分散したのに意味がないでしょう」

「ふん! それはわかっている。お前たちにも感謝している」

「だったらなぜ。カイリからも何か言ってあげてくれ」


 だが、カイリがそれに応えることはない。


「やはり幽霊船へ行ったことが原因ですか。何か言われたのでしょう。彼らはその道のプロだから簡単に言えるのであって、私たちが同じことをすれば何十倍も時間も資金もかかるとわかってたことでしょう!」


 天友会の中で、この話は何度も繰り返されてきたことで、以前もOTKの知識を少しでも取り入れようとしたことがある。

 結果は数年かけて得た成果はほとんどない。

 だから、幹部たちが辞めようと言った時に否定できなかった。


「太子と話はしたが、決め手はそこではない。お前らも下位メンバーと話してみろ」

「定期的に声をかけています」

「それで十分な者もいるが、それでは足りない者もいる」

「サクラのことは私、佐々木の責任です。他の幹部では上手く教えられていると思います」


 佐々木は庇うように言葉を紡いでいくが、ドンキーの気持ちは変わらないという考えがなくならない。

 その考え通り、押しても引いてもドンキーは全く動かない。


「手塩にかけて育ててきたお前たちの気持ちはわかる」

「でしたら」

「ダメだ。変わってしまったが、今手を打たなければ手遅れになる。狂気は伝播する。そして初期にある程度の方向を示してやらねば、周りを壊していく。お前たちが知らないとは言わせない」


 ドンキーの言葉が幹部たちの頭を重くする。

 狂気に魅入られたメンバーはかつての天友会にもいた。

 創立メンバーの中で燻っていたその男は、狂気の世界を覗き込んでしまう。ある日突然人が変わったように様々なことに手を出し、周囲へ迷惑をかけては別のことをする。

 バカみたいなことばかりすると放置していたら、いつの間にか同じようなことをする2人目が現れ、3人目まで出てしまった時にはすでに遅かった。

 そいつらは民間人を誘拐するという罪を犯す。


「忙しいなら仕事は断れ! わかったなら動け!」

「「「「はい」」」」


 ドンキーは人のいなくなった会議室で、わずかに目を瞑る。

 誘拐犯たちはオーバーフローの影響として片付けられたが、ドンキーは違うと考えている。

 オーバーフローは覚束ない意識の中で行動するものだが、狂気は確かな意思で決定された行動。

 そして、太子にも同じ狂気を感じ取っている。


「太子、本当に殺す必要が……いや、止められなかったオレが言うことじゃない」


 ドンキーは1人になった部屋で祈るように数十分手を合わせ続けていた。









 同時刻、話題となっていた張本人は、アンズに引き摺り出されるように訓練へと参加させられていた。


 ほぼ毎日のように続けられていた九鬼の訓練は、桃花だけでなく彼女たちの後輩も巻き込んで行われている。

 総勢で10人、告知されたギリギリの人数で集まった女性陣から遅れてやってきた九鬼は、数日ぶりに会ったサクラを労った。


「調子悪かったみたいだが、もう問題ないのか」

「あ、はい。心配おかけしました」

「ん? あぁ、元気なら良いんだ」


 サクラの目はしっかりと九鬼を見ているが、別のものを見ているような感覚になっていた。


「じゃあ、最初は武器を振って型を直していこう」


 九鬼の指示を聞いて素早く陣地いっぱいに広がると、各々の武器を取り出す。

 遅れてとぼとぼと歩き出したサクラがビーチの最先端へと辿り着いた時には、全員型振りを始めていた。


 以前まで隣の振りを常に気にしていたサクラ。今見ているものは波間にキラキラと輝く物体。


「いたぁ」


 サクラを用心深く見ていた九鬼。いまだに違和感の正体は掴めていないが、妙な既視感があった。

 浜辺から飛び出した鞭は、フラフラとしながら輝きの左へ打ち込まれる。

 巻き取られた鞭は次に右へ、その次は奥、奥さらに奥。

 追い込まれるよう徐々に浜辺へと近づいてきたソレは、とうとうサクラの餌食となって鞭が突き刺さる。


 楽しげなサクラを見ていたのは九鬼だけじゃない。

 前方にいた後輩たちは、その様子に恐怖すら感じていた。


「やっぱこのクラゲだ」


 独り言を続けていたサクラに影が落ちる。


「……九鬼さん何か」

「それをどうするんだ」


 満面の笑みで返したサクラは、横たわるクラゲの触手へと左腕を突っ込む。


「おい! 早く抜け」

「こ、ここ。こうや、て。しびびびれてても」


 だらけた左腕と跳ねる体を無理やり動かしながら、鞭を振りかぶって海へと振り下ろす。

 当然力の入ってない振りでは海まで届かない。


「そんなことしても強くはならない」

「づよ、く?」


 そのまま倒れ込んでしまったサクラにメンバーたちも駆け寄ってくる。

 心配そうに覗き込むメンバーとは反対に、サクラは笑顔のまま何かを思考していた。


 九鬼が落ちていた枝を使ってクラゲを器用に剥がしていく。

 そんな時、海の上からボンボンと爆音を鳴らしながら飛行する奇怪な物体が現れる。

 そいつはノロノロ、フラフラと安定しない軌道で進み、とうとう海の上で爆発してしまった。


 パラパラと落ちる破片と大きな塊がいくつか、飛沫をあげて海の中へと落ちる。


「何だったんだ」

「それよりもサク」


 アンズの声をかき消すようにザパンと波音がたち、そのせいで、サクラへ視線が戻ることはなかった。

 濡れた人間2人が水を払いながらとろとろとサクラの方へと歩いてくる。

 その2人は互いに罵声を浴びせ、サクラたちのことには一切気づいてないようにみえた。


「だから! エンジンが重すぎるんだって、そのゴミみたいな脳みそ抜き取っちまえ」

「良い線いってた! 重量よりも出力! 何でもかんでも改良すれば良くなると思ってるバカに言われたくない。あんたこそ脳みそまでイジっておかしくなったん」

「どうした。お? 悪態すらつけ」


 ようやく倒れたサクラに気づいた2人が不思議そうにやってくる。


「玉ちゃん何してんの」

「九鬼と呼べ! こいつが」


 九鬼に言われて覗き込もうとした男が、垂れた髪を鬱陶しそうに後ろで結びつける。


「え。太子さんだったの」


 片手をあげて見せ、何も言わずにサクラについてたクラゲを掴んで後ろへ放り投げる。

 するとそれが罵り合っていた相手の顔に張り付いてしまった。


「やめろ! まったく。レディに対するデリカシーというものを知りたまえ」

「あ、あの」

「なんだ。聞きたいなら早く言いたまえ」

「痺れたりとかしないのでしょうか」

「対策済みだから痺れるわけない。ふん」


 鼻息を荒くして吐き捨てられた言葉に、後輩たちは気分を悪くする。

 その間も太子はサクラの腕に残った触手をはぎ取り、患部を観察している。


「針が残ってるから、全部抜くのも面倒だし」


 太子は懐からテープを取り出すと、触手のついていた箇所に貼り付けて一気に剥がす。


「うぇ」


 豪快な処置方法に誰かの声が漏れる。

 新しくちぎったテープを貼り付けては、何度もバリっと剥がしていく。


「大まかに取れたし、うーん」

「早く治してしまえ」

「たぶん自分でつけたと思うんだ。なのに全部処置したら意味ないだろ」

「ほぉ、そいつはなかなか。ちょっと話してみたいから基地に連れて行っても良いか」


 太子は両手を差し出して『どうぞ』とジェスチャーで見せる。

 そいつはサクラを抱えて指を鳴らすと、ゴツゴツとした腰の装備が開いて金属の翼に変わった。


「2時間で返す。用があれば来い」

「ルイザの研究室で良いのか」

「そうだ。私の2番研究室なら間違いない」


 ルイザがベルトのスイッチを押すと、足の裏から火を噴き出してそのまま飛び立っていく。


「サクラに何かやったな」

「ちょっと助言しただけだよ」


 太子の話が気になったアンズは、太子の胸ぐらを掴んだ。


「どういうこと! サクラが変わったのはあんたのせいなの」

「違う違う。彼女が変わったのはアンズくんのおかげだよ。彼女も君に感謝していたし、俺がやったのは背中を押してあげただけ。だから気にしなくて良いよ」

「何言ってるのかわかんない! 返して! ウチのサクラをか……え」


 突如包まれた重苦しい空気。それを作り出したのは太子ではなく九鬼だった。

 アンズの視界を鈍く光る金属が遮っている。


「それ以上言うな。お前にそんな権限はない」


 刃を伝って落ちる鉄臭い液体がアンズの気勢を削いでいく。

 とうとうアンズの手から力が抜け、太子からも数歩下がっていく。九鬼はアンズへ睨みを効かせながら、ゆっくりと刀についた血を拭いていく。


「玉ひゃん。おかひくへ」


 うまく話せてない太子へと視線が集まると、鼻元からだらだらと血を垂らす男が慌ててティッシュを取り出している姿が見えた。


「すまん。手元が狂った」

「うほや。ねらってやってゃる」

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