第33話 変化と狂気

 和樹が目を覚ますと金属で覆われた無機質な部屋だった。

 体が重くなかなか言うことを聞いてくれない。

 パイプのベッドに医療器具が備え付けられ、軋む腕を動かしてみると、器具から伸びていた管が自身の腕へと繋がっている。

 彼は深く息を吐きながら、器具とは反対側へ頭を動かしてみると、和樹は驚いて吐いていた息を飲み込んでしまう。


 愛が感情の籠っていない表情で和樹を見続けている。


「あの、あなたが治してくれたんですか」


 和樹が出した声に愛は一切反応しなかった。頭から足先までを何度も何度も往復して、ようやく患者の目を見ながら言う。


「死んだ気分はどうだい」


 彼は無意識に体が震えだしてしまう。

 血が抜けてゆっくりと終わりに向かう感覚は恐怖。


「それが大多数の反応だね。その感覚だけで発狂する人もいるけれど『君も』大丈夫だろう」


 和樹の荒くなった呼吸と同じように、近くから呼吸音が流れてくる。


「太子の考えでは凡人には経験が必要。天才には知識が必要。クズには死の感覚が必要らしい。それなら天才に死の感覚があれば、より高みに行けるのかと言えばそうでもないらしい」


 彼には死の感覚に馴染めず、太子の考えは理解できない。


「今までやってきたことを全て捨てて新しい道へ進むこともあるし、それまでと比べてありえない成長を見せた者もいる。ふんっ、それも超天才の私には理解できないけどね」


 愛は言いたいことだけ放って、手に持っていた本をパラパラとめくり始めた。

 自分はこらからどうするか、今ならダイバーを辞めて学校へ行きなおす資金もあるし、中堅止まりの素材を集めてくるだけでもしばらくやっていける。

 そんな考えが過ぎていく中で気づく。

 和樹が考えていたよりも自由だと言うこと。

 自身を縛り付けていたのは和樹本人で、周りから強制されることもなかった。

 何をするか、何をしようか。そう考えた時、自分ができないこと、見れない物も頭に浮かんできた。


「なんか面白いことないかなー」


 和樹が溢した言葉に、本を閉じる音が返ってきた。


「興味は大事だな。君は何に興味を持つんだい」

「俺の興味……なんだろ」

「何でも良い。私なら人体と生物の進化、薬学とか他にも色々とある」


 和樹は自分の興味とか考えることもなく、ダンジョンに潜ったり鍛錬したりと忙しない日々だった。

 金は生活できれば良い。ただ、食事はこだわりたい。


「うまい物が食いたい」

「フグを食べたことはあるか」

「ないっす。毒あるし」

「だが、とても美味しいらしいぞ。私は口に入れなかったが、太子が処理した物を食べたメンバーはみんな絶賛していた」


 和樹は毒のある魚をどうやって処理したのかと疑問に思う。ダンジョン発生前とは毒の部位もはっきりせず、最新の機械でも不明と聞かされている。


「そんなに美味いなら一度食ってみたいな」

「残念ながらその一度きりで、処理方法も教えてくれなかった。私の研究のひとつでもある」

「まずフグって図鑑でしか見たことない」

「生息地を探すところから始めないといけないな。あとは種類の特定」

「毒の処理か、耐性をつけるか」

「フグだけで良いのかな」

「もっと食いたい」


 そこでふと気づく。自分で考えたものだが、話の方向が誘導されている。

 太子と初めて会った時の感覚と似ていて少し苛立つが、今となっては子供扱いされるほど格下だと理解してしまった。


「いっちょ乗ってみるか」


 和樹が乗り気になったところで、扉がノックされる。

 ギィと軋む音を立てながら、青みがかった丸が顔を出す。


「むん! もう起きてたか。すまなかったな」

「彼はもう帰っても問題ないよ」

「やはり愛ちゃんがいると復帰が早い。名医が1人いると心強いな」

「そう思うなら育ててみれば」


 愛は簡単に言ってしまうが、1人育てるだけでも相当な労力と資金が必要。適性がなければ無駄になってしまう上に、最悪引き抜かれて良いとこ取りということがある。

 だからどこの組合も、職人を1から育てることに手が出しづらい。

 幹部たち半数以上の説得。やるかやらないかと、ドンキーは思案する。


「幹部たちと相談を」

「土井くんもヌルくなったもんだね。みんな変わっていくけど、私たちはそれを成長とは認めない」


 和樹の体に繋がれていた管が抜かれていく。

 素早く丁寧な処置に薬まで持たされた和樹は愛に背中を押され、ドンキーの元まで歩かされた。


「さぁ行きたまえ。君が選んだ道は、エイジくんを越えるより大変だけど、おそらく面白いだろう」


 そう言って2人を部屋から押し出してしまう。

 ドンキーにはいつものような元気がなく考え込んでいる。和樹は悩みとは無関係な人かもと思っていたが、妙な安心感があった。





 医務室に残った2人、サクラは話を耳に入れていたものの、一切口出ししなかった。

 言いたいことはいくらでもあったが、それは全て自身に対すること。

 奥歯から軋む音が聞こえてくる。

 寝たままのサクラを覗き込むように愛が顔を見せる。


「彼は才能も理解力もある。天才未満という部類。だが君は凡人未満だろう」


 徐々に早くなる鼓動に合わせて、サクラの吸い込む息が早くなっていく。

 サクラの様子が変わっていこうと、愛が言葉を止めることはない。


「私が教えてあげられるのは凡人まで」


 愛が話していると、ドアノブがガチャガチャと強引に回される。

 それでも開くことはなく、それが繰り返されていると、ノブ自体が消える。

 軋ませながら開いた扉の先にいるのは太子。


「どうなってんだよ。外側のノブひん曲がってたぞ」

「ドンキーだね」

「あいつ、来るたびにどこか壊してくる。そんなことより待たせたな」


 愛は自分が座ってた椅子を太子へと明け渡し、和樹が寝ていたベッドに腰掛ける。

 サクラは太子に先んじて聞きたかったことを尋ねてみた。


「愛さんから軽く聞きましたが、太子さんまで傷を受ける必要はあったのでしょうか」

「ある」


 間髪入れずに返答する答えにサクラは清々しいと思った。


「それはサクラくんが理由づけすれば良い。そんなことよりも大事なのは君が自身の立ち位置を理解したことだ」

「そうでしょうか。未だにフワフワと浮いたような感覚で」

「それで良い。所属は人に安心感を与えるが、俺たちには不安要素でしかない。君の場合は天友会もチームも腰掛ける椅子程度と思えばどうだ」

「それは……確かにそうですが、でも色々と教わった恩もありますし」


 深くうなづいた太子は手帳に、サクラに関する文字をバラバラに書き綴っていく。

 その文字をサクラへ見せながらあちこちへと線を引っ張っていった。


「天友会やチームへの恩もあるが、同時に嫉妬や苛立ちも出てくる。エイジや和樹くんだけじゃなく、鷹伏くんにも見られていた。ただ、それは外から物資を持ってくることもできるし、情報を提供することでも十分返せる」


 太子の言葉に納得してしまう自分がおかしいとサクラは思い始める。

 以前ならもっと悩んで何も決められなかったのにと。


「私変わっちゃったのかな」

「そうだ。死を体感して生まれ変わった」


 サクラはその言葉を聞いて理解する。

 知識も才能も変わらないけれど、少しだけ、それでもしっかりと視野が広がったことがわかる。

 彼女の体を雁字搦めにしていた鎖が解けていく。世の中のルールやしがらみ、人との関係がこんなにも固く縛り付けるものと気づいてなかった。

 それも自分で体に巻き付けている。


「なんでこんなことがわからなかったんだろう」

「それが俺たちだ。サクラくんが本当に変わったなら渡そうと思っていたものがある」


 太子が内ポケットから取り出したのは薄汚れた本。

 それをサクラの手のひらへと乗せた。


「今の君は何でもできる状態だが、参考にはなるかもしれない」


 渡された本をパラパラとめくってみると、太子が自身の体を使った実験結果が載っている。

 一部の機械化、異形の部位との結合。

 核石の力を使ってどの程度の強度に耐えられるのか。


「太子さんの体は」

「部位はちゃんと選んでいるよ。それに、生身の体の方が使い勝手は良いとわかった。あくまでも参考程度で、その本も用が済んだら捨てても燃やしても自由だ」


 更にめくっていくと、サクラの気になる項目がある。

 異形素材の有効活用方法というもので、現在使われている剣や弓などではなく、近代武器との融合。

 複雑になるほど劣化していくのが常識だが、1発限定の成功例がある。


「1撃だけ」

「反動で骨折してしまったし、それは成功と呼べる物ではなかったね」

「私なんて腕ごと吹き飛びそう。ふふふ」

「それで笑うなら十分だ。試したいなら、先に人体の治療方法を覚えると良い。実験に怪我は付きものだ」


 太子に言われるまで、サクラは自分が笑っていることに気が付かなかった。頬に手を当ててみると笑窪ができている。


「サクラくんは帰っても大丈夫そうだね。どうする」

「は……」


 サクラは考えた。パッと見渡しただけでも知らない物だらけの空間。すぐに帰ってしまうのはもったいない。

 次に来ることができるのはいつになるか。

 もしかしたら二度と入れないかもしれない。


「いえ。もうしばらく居ても良いですか」

「君に2日間の滞在を許可する。倉庫と機関室以外の入室も可能だ」

「ありがとうございます」

「ようこそ。狂気の世界へ」

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