第32話 苦行

 自分が凡人だと気づく時は、その人によってバラバラ。

 天才と持て囃されてきた者も年齢を重ねていくごとに、どんどんと天才の海に放り込まれ、その中の上位者が次の海へと移っていく。


 和樹は自分が同じ海でもがき続けていることを悟った。

 たった1歩の差が明日には2歩、時間が経てばそれだけ差が開いてくる。

 もう気づいてないフリはできない。

 もっと早くやっておけば、という後悔を考える暇すら与えてくれないほどエイジは先へ行っている。


「お願いします」


 忙しい身であるカイリへ、和樹の師匠へ指示を仰ぐ。


「悪いんだけど、私にそれを解決させることはできない」

「そう……ですか」

「日本に残った幹部には助言できる者もいるかもしれないけれど」

「いえ、ありがとうございました」


 和樹が事情を話したところで解決できるものじゃないことはわかっていた。何かしらの糸口でも見つかるだけでも良かった。

 ただ、他の人に尋ねるよりは期待感があったのも事実。無意識に出てしまった落胆が相手を困らせてしまう。


「すみませんでした。失礼します」

「ま」

「ふん!」


 和樹の帰り道を塞ぐように鉄壁の腹筋が通せんぼする。


「何があったか知らないが、タイミングが被っておるな。ふん!」


 筋肉の壁の後ろから見知った顔が現れる。


「サクラも和樹も、誰もがぶつかる壁にぶつかっているわけだが、生憎とカイリもワタシも天才の部類に入るらしい」


 和樹もドンキーがこんなことで悩む姿が想像できない。とはいえ、面と向かって言われると嫌な気持ちになってしまう。


「そんな嫌そうな顔をするな。だから知ってそうな人物を教えてやる」

「あ、ありがとうございます!」

「ふん! では手紙を……カイリ、あやつはもう復帰してたか?」


 歩き出そうとしたドンキーがいきなり疑問を投げかけると、カイリは心底嫌そうな顔をドンキーへ返す。


「そこまで嫌うか! それで、どうなんだ」

「本日より動けると報告は受けてますが、外出された様子はありません」

「それなら直接行った方が早いな。ということでついてこい」


 すぐさま反転し、和樹たちを見ることもなくズンズンと突き進んでいく。

 艦の最後部へ行くと、今まさに休もうとしていた幹部を叩き起こしてしまう。


「またですか? しかも3人」

「源次頼む。午前の予定はもう入れない」

「まったく。行き先は」

「おしりぺんぺん丸だ」

「その名前嘘ですって、早く気づいてく」

「ふん!」

「おわっ」「ひゃ」


 ドンキーは源次の話を最後まで聞かずに、和樹とサクラを抱えてしゃがみ込んでしまった。

 慌てて同じようにしゃがんで掛け声を合わせる。


「「いっせーの」」


 マストを軽く超える高さまで飛び上がると、最高到達点へ着く前に再び2人の声が重なる。


「「3、2、1」」


 向かい合った2人は、足の裏を合わせて同時に踏み出す。

 押し合った力は互いを反対の方向へと加速させ、源次を陸地へ、ドンキーを艦隊の最後尾へと飛ばす。


「やはりこれが早い! ふんはっはっは」


 狙いの船へと向かうコースだが、少しばかり速度がある。

 このままでは弾丸のように直撃してしまうと3人はわかってしまう。


「マズイな」

「ど、どど、どうするんですか」

「わっはっは! 失敗した」

「いやぁぁぁああああ」


 鍛えられた3人が死ぬことはない。ただ、怪我や船の損傷を考えてしまうと、とんでもない賠償が待っている。

 頑張って減速しようと空気を蹴るドンキー。それも、誤差程度のもの。

 諦めて直撃を決めた。


 甲板へと足をつけたつもりが、力の向きが変わって常に斜めへと向かう。

 浮いていた内臓に押し付ける力が加わり、何度も繰り返す縦回転。

 徐々に体へかかる力が弱まってくると、和樹とサクラは何度も倒れながら船縁へと向かっていった。


「アブドゥル! お前がいてくれて助かった」

「船を壊されたくないからな」

「すまなかった」


 ギリギリと金属の擦れる音をたてながら、中央のハッチからボサボサ頭が顔を出す。


「アブゥ、何かあった?」


 太子はドンキーを見つけると考える素振りを見せるものの、ハッチから抜け出して話しかける。


「ドンキー? 今日なんかあったっけ」

「いや、お前に頼みがある者がおってな」

「えー? 面倒ごとはゴメンだよ。みんなに大人しくしろって怒られたばっかなんだよ」

「まぁ、話だけでも聞いてやってくれないか」


 ドンキーが指した先にいる2人は、今まさにゲロリンチョ状態。

 その2人が話せる状態になるまで実際のところがわからない。ただ先に少しでもとドンキーが内容だけでも話す。


「伸び悩んでるわけじゃないんだ」

「いずれはウチのところでも重要なポジションになるだろうな」


 太子とドンキーは備え付けの椅子でくつろぎながら考えていると、再び中央のハッチが開いて女性が顔を出す。


「天の会長さん」

「物交の」


 今回の遠征ですでに顔見知りとなった2人に紹介はいらなかった。太子も特に突っ込まず、京子へと声をかける。


「話は終わったの?」

「もちろん。あとは日本に戻ってからさ」

「え? 許可でたんだ」

「そうだぞ。ダメだったか?」

「いや、問題ないですよ」

「じゃあな」


 京子は軽く挨拶して帰ってしまった。

 ドンキーは太子の反応に驚いたが、細かいことを聞くつもりはない。この2人の仲が良いのもお互いの事情に深く入り込まないから。

 だから他のメンバーとも上手くやっていけているし、相談や頼み事もできる。


「お待たせしました」


 やや疲れた様子のサクラが先にやってくる。少し遅れて、和樹も同じように低い姿勢でくる。


「ドンキーから軽く聞いているけどさ、2人はどこを目指しているの」

「「アンズ(エイジ)に追いつく」」


 太子はその答えを理解しても納得はできない。

 じっと2人を見ながら1人ずつ質問する。


「和樹くんは、なんでエイジなの」

「あいつは凄い奴だ。俺が1進んでも2も3も強くなってしまう。だから、同じところで戦えるように俺も強くなりたいんだ」

「じゃあ、サクラくんは、なんでアンズくんなのかな」

「アンズも何歩を先にいるはずなのに、私たちに合わせて力をセーブしながら鍛錬している。私はアンズの荷物になりたくない」


 漠然としていて太子にはよくわからない。何もやりたくないが、上位でありたい。そんな奴らも世の中にはいる。

 だから、ここまで言えるだけ十分マシだとも思う。


「1つわかった」

「「何ですか」」

「全部ドンキーが悪い」

「ふぉ!?」


 くつろぎながら耳に入れていたドンキーは、いきなり悪者にされて驚く。


「ふほ! 一応理由を聞こう」

「お前さ。天のトップなのに何で目標にすら入ってないんだよ。しかも、幹部の名前すら出てこないし」

「いや、まぁ。しかしな、身近な者の方が目標になりやすいかと」

「自分で身近じゃないって言ってるぞ。いずれなりたいとも言ってない」


 そんな太子の言葉を遮ろうと和樹が間に入る。


「そ、そんなことはない。カイリさんは目標だし、ドンキーさんも」

「わかってない!」


 和樹の言葉を断ち切るように太子は吐く。

 太子の気迫に気押されて誰も声を出せなくなってしまった。


「ドンキーたちが今の力を手に入れるためにどれだけ鍛錬を積んだか。何度も死ぬ思いをして、味方が何十人も死んで、そこまでやってようやくここなんだよ!」


 太子が和樹とサクラの肩を掴んで、目線を逸させない。

 掴む力はどんどん強くなり、彼らの皮膚を押しつぶす勢い。


「ドンキーもエイジもアンズも天才かもしれない。じゃあどうやって追いつけるか、どうやって力になってやれるか。死ぬほど鍛えるしかねぇんだよ! 自分の体に刻み込むんだよ! そこまでやって対等なんだ!」


 2人の肩から手が離れると、指が当たっていた位置に血が滲む。


「アブゥ。愛を呼んできてくれ」

「それはダイジなことか」

「俺にとって重要なことだ」

「少し待ってろ」


 アブドゥラが船の中へ入っていくと、太子はドンキーに謝る。


「先に謝っておく。すまん」

「むぅ。部下を守るのもワタシの努めなんだが」

「だから愛を呼んだ。それに、こいつらは知る必要がある」


 和樹とサクラは肩を庇っているだけで、足は無事。というのに、体は言うことを聞かず太子から離れることができない。


「ありゃ。太子怒らせちゃったのかー。じゃあ仕方ないね」

「治療は任せた」


 いつの間にか集まってきた九鬼以外のメンバーたちが、彼らを囲むように見守っていた。

 太子がゆっくりと座りながら甲板で胡座をかくと、和樹とサクラも同じ体勢をとらされる。

 ドンキーも周りをこれだけ囲まれてしまうと身動きが取れず、太子を信じて部下が無事戻ってくることを祈るしかできなかった。


「これから俺たち3人は苦痛を体感する。気絶はさせない。自分の耐えられるギリギリを探せ。まずは腕」


 太子の声に合わせて、アブドゥラから飛んできたナイフが3人の腕に刺さる。


「ダンジョンに潜ればこのぐらいはあるだろう。次は太もも」


 太子は目の前で震える2人へと声をかけ続けた。


「痛みは強いが、まだ血反吐は吐かない。 腹」

「あぁぁああああ」

「うぅ……」


 痛みに耐えられず声が漏れる2人と比べ、太子は全く表情に出ない。それが2人にはわからない。同じ部位に当たっているはずなのに、なぜと考えてもわからない。

 腹から流れ出る血を気にもとめず、太子は言葉を続けた。


「こごからは、血を吐くこともある。これが血反吐。 次は確実に血を吐く。 肺を刺せ」


 刺さったナイフの根本からとめどなく血液が流れていく。

 ごぽりと音を立てながら、3人とも肺から上がってきた血が溢れ出す。


「ごれが血反吐だ。失血で死が見べばじべ」


 太子が言い切る前に、愛の触手が3人の治療を開始した。ナイフを抜いて薬をかけ、喉奥に入り込んだ触手が血を吸い取る。

 一度出てきた触手たちが、黒い玉を持ったまま再度口の中に潜り込んでいく。


「増血剤も入れて、あとは輸血もして。起きないだろうし、今日は2人もこの船で休ませるけど良いよね」

「愛ちゃん以上の腕は知らんからな」

「言うじゃーん。傷も残らないようにするから任せてよ。面会はいつでも良いけど、一度に3人までにしてね」

「うむ。すまなかった。ワタシが教えてやることだった」


 ドンキーは、倒れ込む太子の手を握りながら謝る。


「ほんとに、どこでもトップの面倒を見るのは大変ねぇ。カイリちゃん」


 船縁へ張り付くように見守っていたカイリが頭を引っ込めたが、指先だけは見えている。

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