第29話 太平洋航路 記録:空と海

 ばさり、ばさり。

 ふぁさ、ふぁさ。

 大きな羽音を小さな羽音が必死に追いかける。

 多少手を伸ばした程度では届かず、無駄な動作を行えばそれだけ差が開いていく。


「くそっ」


 落ちた鷹伏が辿りつけたのは隣の3号艦まで。

 カラスは生き生きとして未だに大空で舞い続けている。

 太陽が眩しくて、カラスが羨ましくて、自分が情けなくて。色々な感情を混ぜ込んだ鷹伏は無表情に変わる。


 何事かと野次馬にきた者たちは正義連合と銀行関係の小物たち。

 誰だ誰だと騒げば、天の鷹だと噂する。

 羨望の眼差しで天を仰ぐ鷹伏を見た者たちは、ただ疑問に思う者もいれば、なぜか愉悦に浸る者もいる。

 その中の1人が水を携えて鷹の元へ近づくと、強い風が吹いて足を止められた。


「ありがとな。でも水はいらんよ」


 カラスが鷹伏との間に入り込み、感謝の言葉を入れつつも憐れみの目が垣間見える。

 そいつは顔を赤くして俯きながら、ゆっくりと下がっていった。


「タッフィーはさ。才能あって努力もしてるから強くなっとる」

「そんなことは」


 カラスは鷹伏の髪を掴んで無理やり目を合わせる。


「足りてんのは才能だけなんだよ。斜に構えてカッコつけてるつもりかもしれねぇけど、ここにいる誰よりお前が一番ダサい。昔の俺みてーに」

「え」

「そんな嫌な気分は飛んで忘れんだ。ほれ、こんな良い風はなかなかねぇぞ」


 カラスは鷹伏を抱えて上へ放り投げ、大きくかがみ込む。


「邪魔したジョージ」


 その名前を聞いた正義連のメンバーたちが一斉に振り向く。腕を組んで日陰から様子を見ていた『丈治じょうじ』が一言呟く。


「ダサい男2号が許す」

「へへっ。ダサい男1号出る」


 呆けた人々を置き去りにして飛び上がると、一瞬で鷹へ追いついてしまった。

 フラフラと揺れる鷹は今にも落ちそうに見える。

 カラスは飛び立ての雛鳥へ一言だけの助言。


「前見ろ。お手本はそこらじゅうにおる」


 白いボディから広げられた翼の先端に黒のラインが走る。

 ほとんど羽ばたくことはなく、わずかに翼の角度を変えるだけで上昇下降を繰り返す。

 鷹の体が少しずつ安定していく。

 ピタリと揺れがなくなった時、ぐんと加速したことに驚き羽ばたいてしまった。

 だが、少し崩れてしまった体勢も鷹伏はすぐに立て直せる。

 再び加速を始めた彼に近づいたカラスが賞賛する。


「おめでとうタッフィー」

「どうも」

「この生意気なヤツめ。だけど、これは言っておかんとな」


 カラスが鷹伏の前に進み、そのままの速度で振り返りながら


「ようこそ、日本で5人目のフライマン」


 能力はありつつも飛べずにいた3年間。

 地味な練習を繰り返し繰り返し、ようやく浮き上がったのは1年半前のこと。

 馴染めなかった翼がようやく体の一部となった瞬間。

 爪が手に食い込むほど、血が滲むほど固く握りしめた拳を突き上げる。


「しゃあああああああああああああああああ」


 水平線まで届きそうなほどの咆哮は、全ての艦まで轟き、仲間たちを集める。

 1号艦から、3号艦から回転するように飛び上がった鳥たちが若鳥の元へと。


「鷹伏くん。おめでとう」

「待ってたぞ」


 こぼれ落ちる水滴を隠しながら鷹伏が声を震わせる。


「ありがどう」


 正義連合の丈治、海将の羽田。

 ともに嬉しさを分かちながら、次のステージへの足がかりを得たと確信する。

 ようやく異空の調査ができると。


「このままハワイの先遣隊にでも行こうか」

「幕僚長から許可はとってある」


 カラスと羽田が拳を突き合わせたのを合図に4羽の鳥が、艦隊の遥か先へと飛び立っていく。

 その様子を甲板からずっと眺めていた者たちは「次は俺だ」「次は私だ」と心の中で吠える。


「てんちゃーん。そろそろ休憩終わりだよー」

「今行くよー」





 オレンジ色の船体が映える中、昼過ぎに飛び出した鳥たちが戻ってきた。

 ギリギリの状態でコツを掴んだ鷹に戻る体力はなく、先輩たちに持ち上げられての帰還。

 そんな彼らの元へ奇妙な軌道で近寄ってくる生き物がいる。


「びゅーん。ぴゅぴゅーん。オジーみっけ」


 縦横無尽に飛び回り、彼らの周囲で楽しげに飛行していると、いきなりカラスへ飛びついた。


「アビー! 会いにきたのか」

「うん」

「パパには会ったか」

「ちゃんとバイバイした」

「えらいなー」


 カラスがアビーの髪を撫で付けると、もっと撫でろと押し付けられる。

 彼女の気が済むまで撫でてやると、思い出したかのように突如「帰る」と言い出した。


「オジーまたねー」

「みんなによろしくなー」


 手を振り合い、アビーが離れてからフライマンたちが気になることを尋ねようとした。


「待て待て。タッフィー降ろしてからにしよう」

「それもそうだな」


 そこで脱力していた鷹伏がカスッカスの声で仲間外れは嫌だとごね、艦長室で報告も兼ねて話をすることになる。


 1号艦の甲板に3人と荷物1名が降り立つと、敬礼で迎え入れられた。

 船内へ入る間際、鷹の目に拳を突き出す少女の姿が入り込み、なんとなく拳を出しておく。


「すまんな。彼女もフライマンの候補だから思うところもあるんだろう」

「気持ち……わかるので」

「そうだったな。ただ、今度はこちら側だがな」


 その言葉の重みは、まだ鷹伏にはわからないが、とにかく飛びたい。動けるようになったらすぐ飛びたいという気持ちだった。


「先遣隊4人戻りました」

「入れ」


 入室前、カラスはひと呼吸おいて2人を先に進ませた。

 羽田も丈治も、室内に一歩踏み入れると立ち止まり、ゆっくりとお辞儀していく。

 遅れて抱えられた鷹伏が入室すると異様な空気が漂っていた。

 抱えられていることを咎めているという雰囲気でもない。

 彼が頭を上げると、金一郎と愛。

 その間に挟まれて車椅子に乗る化け物がいて、愛は化け物に聴診器を当てたり、触診したりと忙しなく動いていた。


「たい、し殿で間違いないか」


 金一郎の頷きで先に入った2人は納得したが、鷹伏には理解できない。

 体の各部から触手を出し、左目など人の物ではない。


「鷹伏くんおめでとう。才能があっても簡単なことじゃないよ」


 声。話し方。雰囲気。どれも鷹伏の知る深海教授そのものであっても、目の前の生き物が彼には同一と思えない。


「おめぇ。引っ込んでるとか言ってなかったか」

「アビーが来ちゃったからね。親として」

「こっちで説明したのによ」

「着くまえに気づけばよかった。失敗失敗」


 軽口を叩く太子が楽しげに笑っていても、愛以外は笑顔にならない。


「それにしてもフライマンは次が育ってるのに、ディープダイバーは種すら無いってのは痛いよね」

「ディープ……ダイバー?」


 鷹伏が聞いたことのない言葉。

 そもそも太子たちが勝手に作った造語で、知る者は各国でもごくわずか。


「ディープダイバーは深度1000メートルまで単独で潜れるダイバーのことだよ」

「数が少なすぎて名前がつかねぇんだ。太子と沙羅、あとはイタリアのカルロの3人」

「説明ありんちょ。そんなわけで4人目待ってまーす」


 太子は左目の四角い瞳を上下左右と揺らしながら軽口を叩いていたところに、意識から外れていた愛にぶっとい針を刺されてしまう。


「ぬぉぉおおお」

「はいはい。お注射の時間ですよー。どくどく。ぶちゅっと」


 太子から生えていた触手が愛へちょっかいをかけようとするも、片手で払われて弾け飛ぶ。


「はいー。どくどく、どぷどぷ」


 緑色の液体を流し込むほどに触手が縮んでいき、全て引っ込んだころには気絶した太子が出来上がっている。


「んじゃ。私たちは帰らせていただきますよっと」


 気絶した太子を車椅子ごと根っこが包み込み。愛が担いで歩き出す。


「あわてんぼうのサンタコロース」

「その歌」

「ハワイ島前にやーってきた」

「いいじゃーん」


 ニッコニコの笑顔で立ち去る愛を、カラスは両指で指しながら共感。当然、抱えられていた鷹伏は床へと落ちる。


「「「あ」」」

「ふぅー! 金ちゃん、太子3日休みねー」


 部屋を出てから届いた愛の声は、仲間の休養連絡。

 さて、何から話したものかと悩む金一郎たちとは対照的に、ちょっと気分の上がったカラスも全て終わったつもりで部屋から出ようとした。

 羽田と丈治に肩を掴まれ、元の位置へ戻されたカラスの報告会は、これからながーく続く。

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