第28話 太平洋航路 記録:油
初めて船出を経験する者が多く、その者たちにとって何号艦であっても、船酔いしてしまうもの。
5号艦の半数を占める天友会も例外なくそれに含まれていた。
甲板のそこらじゅうでバケツを抱えたダイバーや企業職員たちが下を向いている。
ゲロリ。ゲロル。ゲロリンチョ。
そんな中で元気に動き回る者たちもいる。
「次のバケツ」
「そぉい」
「次の列、モップ行くよー」
「いっせーの」
水汲みとモップ掛けに励むのは異海組みの4人。
そんな姿を恨めしげに眺めている鷹伏は、素の自分を隠すことを諦めていた。
「ゲーロゲロ。ここも汚ねぇゲロ祭りしとんな」
「せっかくの昼食なのに汚いわね」
この惨状を見てなお貶してきたのはカラスと沙羅。空から降りてきてすぐにかけてきた言葉が汚い。
虚ろな目で2人を見たのは鷹伏だけではなかった。
「まるでゾンビね」
恨めしく見る者たちを沙羅は鼻で一蹴し、さらに動ける者たちへ声をかけていく。
「そんなの置いてお昼行くわよ」
「あれをそのままにしていくのは……」
「どうせ慣れているからって洞窟型か平原型しか行ってないのよ」
沙羅の言葉通り、酔っている者たちの大多数は海洋型にも天空型にも行っていない。
彼らに言い返すだけの力も権利もなかった。
「会社の人たちもお世話してあげないと」
「理由もないのにダンジョンに入らず就職できるのは日本だけよ。それで世界と対等に商いしようなんて……ほんとミ・ジ・メ」
憤慨して立ち上がった1人が一歩進んでバケツへ戻る。
沙羅は扇子で口元を覆い隠し、侮蔑を含んだ視線で勇気ある男を見た。
その男はバケツを抱えたまま謎の感覚に襲われる。
「うっ、早くいきましょ」
悪寒を感じた沙羅は、早く離れようと動ける女性を集めてその場を離れていった。
カラスも沙羅と同じように、こちらは男たちを連れて食堂へと向かっていく。
介抱してくれる者がいなくなった彼らがすることは、自分で自分の尻を拭くこと。バケツを抱え込みながら専用の廃棄場へと向かう行列が出来上がる。
そんなことを考えることなく、沙羅たちは広々とした食堂の席につく。遅れてきたカラスたち、さらに挨拶回りに出かけていた天友会や企業の幹部たちもやってくる。
「ふんふん! 珍しい顔があるな。沙羅は変わらんな」
「土井ちゃんも相変わらず暑苦しいわよ」
「褒められても困るぞ。ふん!」
ドンキーこと土井喜一郎は、沙羅の嫌味も気にせずマスキュラーポーズでニッコリ。
「恐竜もねじ切れそうだな」
「ふん! 福井で経験済みだ。カラスも! やれば! で! きーる!」
「ぷっ。やってんのかよ」
そのままカラスの隣に座り込み、でかい声で注文を叩きつけた。
「メガ盛りカレー、トッピング牙熊肉! 別皿で牙熊肉さぁーん!」
「そんなに頼んだら行きだけで使いきらんの」
「もとからそのつもりだが、船員の分多めに持ってきた。それに、帰りは向こうで取ってくれば良かろう」
「なるほどな。だが」
カラスはドンキーに注文用紙と鉛筆を差し出し、そもそも注文方法が間違っていると気づかせる。
事務仕事に追われていたせいで、自室での食事を余儀なくされていた弊害。
両手で頭を抱えたかと思えば、速記のスピードで丸文字を書き綴っていった。
「ご同席構いませんか」
「座んな。会長さんとこ人少なくて寂しいだろ」
「ありがたい。お若い方々には、社員の世話いただいたようで、そちらもありがとうございます」
会長の体つきは線の細い割に体幹がしっかりとしていて、何かしら鍛えているようにカラスは感じる。
深く突っ込むことはせず、いつものように軽口を叩きながら雑談を繰り広げる。
カラスの後ろでは、女性たちが最新の美容品についての話題で盛り上がっている。
どこの乳液が良いとか、化粧水はどこ産の物が合っているとか。それぞれ使い勝手の良いメーカーを教え合う。
そうなってくると先輩たちの意見を聞いてみたくなるもの。しかも、ひと回り以上の離れているにも関わらず、肌や髪の手入れが行き届いているとなれば。
「カイリさんも沙羅さんも、肌キレイだし髪もツヤがあって」
「おふたりはどこの製品使っているんですか」
微笑む沙羅と恥ずかしそうにするカイリ、同時に出した答えは「使ってない」と身も蓋も無い話。
当然、女性陣が納得することはなく。
沙羅にはそれがわかっていた。だから、答えを知る人物を指差した。
向いた指先は真後ろ。
「ふん!? なんだ? そんな少食だと筋肉がつかないぞ。肉食え肉」
まさかのドンキー。
胡散臭そうに見ていた女性陣だが、よくよく目を凝らしてみると、きめ細やかな肌。張りもあってシミひとつない。
髪はどうだ。禿げている。いや、禿げているのではなく、剃っているのだ。しっかりと剃った跡がある。
ドンキーならそう言うだろうと女性陣は納得する。
「「「会長!」」」
「ふん」ニカッ
「「「肌のお手入れはどうされているんですか」」」
思っていたことと違う返答だったことで、ドンキーは間抜けづらを晒して話そうと思っていたことが飛ぶ。
「うわぁ……背中までキレイ」
「あ、あぁ。ボディビルの仲間にオイルを塗ってもらっているからな」
「どんなオイルを使用されているんですか」
ここでドンキーは思い至る。
まさかの男性陣より先に女性陣がボディビルに目覚め始めたと。正規の大会には出れなくなったが、ここにきて女性ダイバーボディビル大会を開くのも悪くない。
彼女たちへ基礎の基礎を教え、少しずつ高みへ登るよう助言を与えることを決める。
「ふんふん! 食事、睡眠、運動の三原則が大前提となるのだ」
「食は体を作る要素、睡眠は乱れるとすぐに肌に出てくるわ。運動は細胞の活性化で、ダイバーは特に影響が出るものよ」
沙羅が補足することで彼女たちの理解度も上がる。
「オイルが気になっていたようだが、これは自身に合うものを探す必要がある。各地のダンジョン情報から人体に悪影響のないもの」
「私のはちょっと取りに行けないだろうから、カイリの使ってるのは」
振られたカイリも黙ったままではいられない空気感に耐えられず、恥ずかしい気持ちはあってもなんとか言葉を紡ぎ出す。
「い、今は変わって……前はローズガーデンのを」
「カイリには最近見つかった水馬を勧めてみた。ふぉおお」
熱心に耳を傾けている女性陣とは違って、呆れながらカレーを口に含んでいた男性陣にカラスが釘を刺す。
「男でも覚えておいた方がいいぞ」
「俺は」
自分は使わないと言いそうな和樹を指して、カラスはニヤリと笑う。
「人気が出て売れる。贈り物にも使える。ちなみに俺たちの船にも積んでいる」
最後のところを強調するように話すところがカラスのニクイところ。当然女性陣の耳にも入っているし、譲ってくれと殺到することは目に見えていた。
沙羅が餌を撒いて、カラスが投網役。
ごっそりと捕まえられた会員を見て、ドンキーが悔しがる。
「くぅぅ。もっとオイルを積んでおけば」
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