第26話 出航
潮風が吹く中、甲板に集った遠征メンバーが岸辺へ集まった人々へ手を振りかえす。
外界とほぼ断絶した日本から、正式な海外遠征は初めてとなる。
1号艦が出航の汽笛を鳴らし、ゆっくりと艦を走らせる姿を見て涙を流す人までいる。
「これで、これで少し戻った」
失われた交易が戻れば、以前のように暮らしやすい生活が戻ると思っての言葉。
その言葉に共感する人々は、同じように目を潤ませる。
共感できなかった者は、厳しい目つきで艦を見つめ、2号艦が汽笛を鳴らすとすぐに帰ってしまった。
そんな中、震える手でお守りを握り締め、出航していく艦の甲板を見つめる女性がいる。
その隣には、周りと比べて頭が1つ分抜けた背の高い男が女性の肩を抱く。
1号艦、2号艦と続き、5号艦が通り過ぎようとしたところで笑顔に変わった。
「エイジ! エイジー!」
甲板から手を振る息子に、両手を上げて自分はここにいるぞとアピール。
その甲斐もあってか、息子はずっと女性に向かって手のひらを見せ続けてくれた。
「無事に帰って来てくれるだけで良いわ」
「ドンキーも乗ってるし、大丈夫だよ」
「ヒロさんは知ってるかもしれないけど、私はドンキーさんを噂くらいにしか知らないのよ」
「じゃあ、乙姫には太子君が付いていってくれると言った方が安心かな」
大きくうなづいて、続いて話題にあがった太子の姿を探し始める。
乙姫の肩を抱いたまま、ヒロは彼女に見えないよう遠くを見つめ続ける。
ヒロは太子が、OTKのメンバーたちが姿を見せないと思っていた。
「太子はいつになったら出発するのかしら」
「どうだろうね。彼らの船は大企業と同じように自前らしいから見分けはつくと思うけど」
そこから探し続けたが、すでに15隻が目の前を通過している。
この後に続く5隻は巨大なケーブル敷設船。1人も甲板には現れないが、岸辺から見える通路には、忙しなく動く船員たちが映る。
徐々に人は減り始め、20隻目が通過した時になると、白衣の集団と老人たちが残っているだけ。
乙姫たちも諦めて艦隊が見れそうな場所へ移動しようとした時。
「ほっほ。あやつら珍妙な船を作りよった」
岸辺から海面を覗き込む老人が楽しげに声を出す。
乙姫たちもその老人に倣って海面を覗き込んでみると、白波を立てながら棒が迫り上がってきた。
その棒が海面を突き破り、海水を弾きながら船体が現れる。
フジツボや海藻を甲板にまで定着させた見た目は、まるで幽霊船。
「どこぞで捕鯨工船でも引き上げたんか。タコのくせに」
「あたしらには嬉しい見せもんだね。タコのくせに」
老人たちが歓談していると、船の中央部から人が出てきて、沿岸部へ向く。
「はい。はい。では、成功と伝えておきます。そちらも予定通りということで、こちらも雑事が済んだら出ますので」
白衣の1人が話出すが、相手はいない。にも関わらず、白衣の一団は黙って船へと向いてた。
「そのようにします。沙羅様もお気をつけて」
帰りかけていた乙姫とヒロが振り返る。
「乙姫まって!」
駆け出した乙姫をヒロは静止しようとしたが、その声に応えることはなく独り言を言っていた者の服を掴んだ。
「沙羅ちゃん! 沙羅ちゃんがいるの? 太子もどこかに」
「困りましたね。無関係の人に言われて……え? はい。直接? わかりました。乙姫さんとヒロという方、ここに立っていただければ話せます」
乙姫は言われるがままそこに立ち、早く来いとヒロを手招く。
白衣の一団とすれ違う時、ヒロへ聞こえるように忠告してきた。
「沙羅様は大変ご立腹されています」
ヒロは返答こそしなかったが、軽く顎を引いて意思だけを表す。
急かす乙姫に応え、駆け足で近寄る間の数秒で覚悟を決め、腹に力を入れ込んだ。
「沙羅ちゃん。太子はそこにいるの」
「いるわ」
「ひと目で良いから会えないかしら」
「無理よ」
頬を膨らませ、納得いかないと表現するが、沙羅の声音は低く重い。
船と岸の間は何十メートルも離れているというのに、沙羅から伝わってくる重みが乙姫とヒロの肩を徐々にのしかかってくる。
「さ、沙羅ちゃん? どうかしたの」
「ずっと思っていた」
「え?」
「太子が守ろうとする者がどれだけ尊いのかと」
2人の耳に届いていた声が段々と、強く強く。
何度も何度も反響していく。
「まずい!」
ヒロは咄嗟に乙姫の耳を押さえつけた。
耳鳴りのような声が一瞬治ったと思えば、膝をついたヒロは耳の穴から血を流し、目も充血している。
「え……なんでこんな」
「今ので死んでくれれば良かったのに」
「ひどい」
「それはお前だ! 才能のあるお前が! 何もなかった太子へ何を押し付けたのか!」
投げられたイシは耳を塞ごうとも手を貫通して、乙姫とヒロに叩きつけられる。
響き続ける耳鳴りは、乙姫を立たせることも許さず、ヒロと同じように膝をついてしまった。
「もうあなたに会うこともないわ。さよなら」
沈みゆく船を見ることもできず、うずくまる乙姫をヒロはさすり続け、ただただ側にいる。
そんな2人の足へやってくる小さな振動が大きくなり、止まったところでわずかに頭を上げると、老人たちが険しい顔つきで見下ろしている。
その中で老婆が口を開いても、2人の耳には届いてこない。
持っていた杖が地面から離れたのを見た乙姫は、恐ろしくなって再び頭を下げてしまう。
ヒロは我が身を顧みず乙姫に被さった。
しかし、老婆の杖はヒロの耳へ軽く触れただけ。
ヒロが顔を上げ老婆の顔へ振り向いた時には、今までの痛みが抜けてわずかに波の音が届いて来た。
「これは」
「どけ。小娘もやってやる」
威圧感はあっても、怖さはない。
ヒロが乙姫の体から離れると、同じように耳元を杖の先で軽く触れて何かをしている。
その何かがヒロにはわからないが、悪いものではないということだけ理解した。
「小娘は強めにやられたね。治るのに1週くらいはかかるだろう」
「ありがとうございます」
「お前はヘンリーで間違いないね」
ヘンリーはその名前に驚いたが、どこかしらで聞くこともできるし、昔の載った新聞を覚えられたことも考えられた。
「お恥ずかしい限りです」
「堕ちた英雄に恥じる心があったか」
ヘンリーは何も言い返せず砂を掴んで握りしめることしかできなかった。
再び俯いたヘンリーへ、老婆はため息を吐きながら追撃を続ける。
「ふぅ。太子はお前たちの願いに応え続けたが、お前は太子に応えたのか」
そこでヘンリーは太子の知り合いだと理解し、再びその老婆へ顔を向けた。
「太子君がそれを」
今まで黙っていた老人たちが1人ずつヘイローの顔を覗き込み、「時間はない」「世界が変わる」「期限は一ヶ月」「戻せるかどうか」と一言ずつ伝えると霞のように消え去っていく。
残ったのは老婆1人のみ。
「お前は太子が会えないことも、長くないことも知っている」
老婆の言葉がヘンリーの胸に突き刺さって抉る。
ボロボロでツギハギだらけの体と理解した時に、太子を怖がってしまったのは一度だけ。
それ以降、太子はヘンリーと会わないように、乙姫とも会わないように行動していた。
「そう……です。彼が怖かった」
「そこまでさせたのはお前たち。ということもわかっているな」
老婆は知らないとは言わせず、認めさせようともしない。
「聞こえているだろう小娘」
うずくまったままの乙姫が地面に額を擦り付けながら頷く。
「お前たちへ助言はもうしない。ジジババの戯言ととるのもお前たちの好きにしろ」
吐き捨てるように言葉を放った老婆は、軽く跳ねるように飛び上がりそのままの速度で、ゆっくりと雲間を抜けるほどの高さへ消えていった。
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