第20話 アンナ
チャイムが鳴るより少し早く講義を終え、太子は大空からもう帰っても良いと言われてしまう。
帰り際に大空は子供のように笑いながら言い放つ。
「あははは。役所にはケガしちゃったと言っておくよ。でもさ、その傷じゃ明日は動けないかもねー」
「全く、そういうところも変わってない。ありがとうございました」
正面玄関まで一緒に行くと、アンナが立っていた。
太子は大空へ軽く会釈し、歩いていくと小さな声で話しかけてくる。
「その、傷。病院」
「それより小腹がすいたな」
「ふん。おじさんの好きなスイーツの店なら誰よりも詳しいよ」
「よし。アンナに任せる」
機嫌の良くなったアンナが要領よく動き出し、あっという間に乗り込む。
太子はそこで金を持ってないことを思い出す。
「アンナ、すまん」
「なに」
「金持ってなかった」
「そんなのいつものことっしょ。モデルでちょっと稼いでるから任せなって」
安堵する太子は、他人から見ると若い子にたかるヒモおじさんでしかない。
運転手も怪訝な目で見ていたが、腕の怪我もあってあえて突っ込まれることなく目的地まで運ぶ。
「おじさん『しぶ2』来たことないでしょ」
「ほぁー、初めて来た。最近できたのか」
「そそ。こっちこっち」
アンナに引っ張られながら歩いている間、太子は街並みを眺めていた。
渋谷第2ターミナルと書いてある標札も見たことなく、自分がどこを歩いているのかすらわかっていない。
何度か黄色い声が響き、その都度アンナが手を振りかえしたり握手したりと忙しない。
大通りから路地へ入れば、小洒落た建物が並んだいわゆるカフェ通り。その通りの真ん中あたりでアンナは立ち止まる。
「ここの店はパフェがおいしいんだよ」
「フルーツは?」
「鬼盛りよ」
「素晴らしい」
強く拳を握り締めてゆっくりと突き上げる。
「予約とってんだから、早く入るよー」
店内は若い女性ばかりで、場違いな太子はあまり好まれていない。
しかし、隣のアンナを見てウェルカムになる様子に太子は戸惑った。
「本当に入って良いのか」
「ははは。ディナータイムは男性も見かけるけど、ちょっと早かったかな。でも問題ないよ」
中央の席へ座るアンナにならって、太子は対面に腰掛ける。
キョロキョロと店内を見て落ち着かない太子へ、アンナがメニュー表を手渡すと、注意事項として電話にバツ印が描かれている。
ペラリと表紙を捲ったところで、太子の目がメニュー表に釘付けとなった。
「こ、この
「大食いメニューだよ。見栄えは良いけど、食べきれない人が多かったらしくてさ。ここに書いてあるでしょ」
アンナが指したところに『ランクアップメニューは最後のページへ』と注意書きしてある。
一番後ろまで捲っていくと、最初に頼めるところは『ビル』からと書いてある。
ビルは高さ30cmの自家製ホイップに、チョコやフルーツがトッピングしてあるタイプの物。
それを見ているだけでよだれが止まらない。
「メニューはお決まりでしょうか」
「私はノーマルのマンゴーパフェとチョコホイップで、ビルに日替わりフルーツMAX」
「ふ、ふるーつまっくす!?」
「注文中だから黙ってて。ホイップは同じチョコが良いか。それでお願いします」
注文してから10分かかると言われ、アンナは落ち着かなくなった太子へと話しかける。
「ところで叔父さんは5年もどこ行ってたの」
「だいたい三浦ダンジョンで養殖の手伝いしてたかな」
「ほんと、叔父さんのツテがわかんない。そんで何を養殖してたの」
「メインはエビだな」
ガタリとテーブルが揺れたが、目の前だけではなかったことに太子は気づく。
それを無視して話を続けた。
「日本産は環境が悪くてできなかったけど、何とか海外から取り寄せてバナメイエビと赤エビは成功して」
「海外ってほぼ断絶状態じゃない。そんなの」
「そこはコネを使ってちょこちょこっとね。生産量も増えてたから、アクシデントがなければそろそろ東京にも回り始めるかも」
「それいつ」
「最近連絡取れてないからわからん。今年中に試作弾は来るんじゃないか。一般だと……んー」
太子が唸っていると、背の高いパフェが到着した。
「こちらはビルパフェチョコホイップにフルーツマックスでございます」
呪文のような名前に笑いそうになった太子も、口の中に溢れる唾液が「早く食べろ」と語りかけてパフェから目が離せない。
アンナの手が差し出されたのを合図に、太子の左手が動き出す。
最初のひと匙はてっぺんの左側から掬いとり、ひと口。
口の中でキウイのジュースが染み出し、ホイップの甘みと混ざり合って調和する。
「これ」
「アンナがおっさんとデートしてるぅ」
太子が感想を口にする前に、横から声が割り込んでくる。
アンナの表情は強張り、油を挿し忘れたロボットのように首を動かした。
「私はただ食事してるだけー。マリーはデートかな」
「タイラくんとデートしてるの。隣の席を予約しちゃったみたいなんだけど、座ってもいい?」
誰から見ても強引で、マリー本人も嫌々話しかけているように見える。
太子は立ったままの2人へ、チラリと視線を向けると興味をなくしてパフェへと集中する。
「おじさん。いいかな」
「いいんじゃないか。むひょー」
パフェをひと匙すくって口へ運ぶと目尻が下がっていく。
怪訝な顔でマリーは太子を見つめるが、意に介した様子もなく食べ進める様子に呆れてしまう。
「冴えないおっさんね。あんたはこんなのが良いわけ」
「だから違うって言ってんでしょ」
「ふーん。それより疑われる行動は控えろってマネージャーから連絡来たんよ。近くにいるからって迷惑だわ」
「だからマリーが」
髪を弄びながら腰掛けたマリーを見て、彼氏のタイラもそれに倣う。
体格の良いタイラが椅子に接触すると、卓上のパフェが一瞬浮き上がった。
「おっとっとっと」
太子は慌ててパフェにフォークを添え、倒れないように揺れを抑える。
しかし、アンナのパフェは手をつけてないにもかかわらず、造形が崩れて1欠片のマンゴーがテーブルに落ちてしまった。
「あー」
「ははは。未熟者め! おぉ」
アンナを笑った太子は、フォークを右手に持ち替えようとして目測を誤った。
軽い金属音が鳴ると、慌ててやってきたウェイターがすぐに状況を把握して、落とし物を片付けてくれる。
「ついでにグレープとミックスを1つずつ」
マリーはさらっと注文を終え、太子へ口を開きかけたが、彼女より先に野太い声が出る。
「初めまして、あなたがタコさんですよね」
「ん……うーん」
パフェへと伸ばしていた太子の手が止まり、『はい』とも『いいえ』とも受け取れる微妙な返答をする。
「タイラくん、この人知ってるの」
「うん。幹部の人に聞いたというか『聞け』と言われたというか」
アンナもマリーも全く理解できていないが、太子にはいくつか思い当たる節がある。
隣に座る男が所属さえ言ってしまえば、話しかけてくる理由も想像がつく。ただ、太子は耳に入れる前に退散したい気持ちであった。
「おっさん。タイラくんの話聞いてあげてよ」
「マリーやめて」
「彼は英雄会でも50以内なの。同業なら恩を売っておくのもありじゃない」
「本当に恥ずかしいからやめてくれ。すみません。タコさん今のは忘れてください」
タイラは耳を赤くしながら何度も頭を下げた。
頭を抱える男2人が横並びで片方は赤面し、もう片方は唸る。そして、対面にいる女の1人は腕を組んでイラ立ち始め、もう1人も頭を抱えていた。
太子は素早く思考を巡らせ、この地獄を抜けるための奇策を思いつく。
「アンナ。紙とペン貸してくれ」
「あ、うん」
アンナから受け取ったメモ帳を2枚ちぎり、それぞれにさらさらと筆を走らせる。
それをタイラとマリーへ突き出し、話す。
「それを聞いた本人に伝えてくれ。それでわかるはず」
「何それ。わっかんない」
「良いから聞いてみてくれ。タイラくんも」
2人がその場でスマホを取り出したところで、近くで何かを叩く音がする。
そちらに目を向けると、カウンターの横でウェイターがメニュー表の表紙を指していた。
「すみません」
「聞いてくるから待ってなさい」
太子は笑顔で2人を送り出した後、アンナへ声をかけた。
「アンナ。素早く会計だ」
「う、うん」
待っていたかのようにカードリーダーを持つウェイターがやってきて、一瞬で会計を済ませる。
帰りはこっちだと言いたげに、店の奥側を両手で案内。
「店長から手紙だけ受け取っていただければ」
「なるほど」
従業員用の通路を抜けていくと、マッスルレディの仁王立ちが見え、赤い物体を太子に放り投げた。
「これを見ればわかる」
と、一言だけ行って厨房へと戻ってしまった。
投げ渡されたのは折り紙で作られたエビ。
「みんなエビ食べてみたいんだね」
「だな。アンナは帰るか?」
「いや、放置すると五月蝿くなるから事務所行ってくるよ」
「じゃあ外までだな。ごちそうさん」
扉を開けて外に出た途端、太子は何者かに掴まれて空へと旅立った。
ぎょっとしたアンナは、耳だけ太子を追いかけると、仲良さげに罵り合う声が届いてくる。
相変わらず『変なおじさん』だと微笑みながら、少しばかり離れた大通りを目指して歩き出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます