第19話 恩師と講義

 新都大学を辞めたからと言って太子に暇はない。

 ただ、この日ばかりは最近の中でも気持ちに余裕ができた。


「頼まれたとはいえ、本当に1日押さえてしまって良かったのかな」

「大丈夫ですよ。というか、本音を言うとここ最近忙しくて助かりました」

「君も変わらないね。あれはいつだったっけ」

「それよりも講義の準備しましょう」

「そうだった! あの資料は……」


 太子は大学時代の恩師に頼み込んで1日見学を捩じ込むことに成功する。名目としては、特殊な新都大学と一般の大学の違いを認識するためというもの。

 そのために、大空講師が役所に提出しなければいけない書類を太子が全て作成したりと骨を折る。


 老いは見られるものの壮健な姿に和みつつ、資料探しを手伝っていると、ドアがノックされる。


「開いてますよ」

「失礼します。隣の高橋です。新都大学の教授がいらっしゃると聞いて挨拶をしに」


 太子が大空講師の小部屋に来てからこれで4度目の来訪者。


「元ですよ。退職して今はフリーです」

「それは失礼しました。これからどこかに所属したりなどは」

「ないですね。というかいくつか機密情報もあるので下手に入れないんですよ。今も監視つきです」

「新都ならそういうこともあるのですね。講義前にお邪魔しました」


 来訪者が出ていくと外から話し声が聞こえてくる。

『どんな人だったか』『思ったよりも変人ではなかった』と、この件も来訪のたびに行われ、太子も少しばかり飽きてきた。


「よしと、深海くん。講義に行こうか」


 大空が動き出すと、ようやくこの飽きから解放されると思い、太子の腰が軽くなる。

 新都大学と違い、白衣を着る者は1人もいない。すれ違う学生も私服しかおらず個性が出ている。

 地味から派手まで様々な色味で、太子からすると新鮮味があった。

 そんな中、ひとつのレンズが太子を捕らえていることに気づいてしまう。

 滑るように移動すると、カメラを持っていた女性の後ろへと立つ。


「あれ? 消えた」

「盗撮はダメだよ」

「あ」


 すかさずカメラを取り上げ、再び消えた太子が現れたのは、スマートフォンを持つ男女の前。

 無音のシャッターが押されると、真っ黒な画面だけが映されている。


「だから盗撮はダメだって」

「ち、ちげーし。勘違いしてんなよ」

「ダメだよ。こっちも監視されてるから放置はできないんだ」


 そう言いながら太子が上を指すと、小さな物体が飛んでいる。

 連れの女が目を凝らすと、明らかに人工物であるレンズが2人を捕らえている。


「も、もうしないから!」

「おい。勝手に」


 女が男を引きずっていくと、騒ぎ声がなくなり1つの声を残して静まり返る。

 カメラの所有者は、大空へ泣きつくように抗議をしており、ニコニコとして話を聞いている。

 が、太子は知っている。あの顔をしているときの大空は何も聞いておらず、他のことを考えている時の表情。

 太子が近くへ寄ると大空が話しかける。


「彼女が泣いてるみたいだよ」

「こいつが私のカメラを盗んだんです」

「こう言ってるみたいだけど」


 太子が半泣きの女をよく観察していると、面白いことがわかる。

 ぱっと見では気づかないほど精巧な擬態能力で、自身の外見を操作しつづけている。

 ただ、一般の大学内では能力の使用は厳禁。

 すぐさま彼女の喉を掴んで吊り上げると、周りから悲鳴が出てきた。


「深海くん! さすがにやり過ぎだ」

「よく見ててください。こいつ使ってますよ」

「だ、だが」


 駆けつけた警備員が太子へ近づいていくと、骨格から性別までも違う者へと変化する。


「君。ここの生徒じゃないよね」

「手を離しなさい!」


 太子が手を離すと、今度は警備員に向かって凝視した。

 掴んでいる時から全く変わらない表情でいた太子を恐れるように、警備員が一歩後ずさる。

 太子は今までの無表情から一変してニッコリと笑った。


「君の上司に伝えてください。深海太子は新しくどこかへ所属するつもりはないと」

「あ、あぁ」

「さぁ、大空先生行きましょう」


 大空の背中を押して進ませている間に、警備員と不審者は消え去っていた。

 周囲の人々は何が起こったのかわからず、さらに遅れてやってきた警備員へ状況を伝えたが、要領を得ず後で大空たちへ聞くしかないと判断する。


「先生もわかっていたなら、そちらで対処されてもよかったでしょう」

「私は安穏でいたいのだよ。ほら」


 教室の扉を開けると、石像のように固まった学生たちが太子から目を離せなくなってしまう。


「君のせいで生徒たちが緊張してしまったじゃないか」


 太子はぼさぼさの頭を掻きながら、小声で「すみません」とこぼす。


「講義前にちょっと問題はあったが、彼が前回話していた新都大学で教授をしていた深海くんだ。軽く自己紹介を」

「無職のおっさんをしている深海太子です。本日は恩師である大空先生の講義を見学させていただくこととなりました。よろしくお願いします」

「よくできました」


 太子は久しぶりに頭を撫でられて、少しばかり恥ずかしくなる。その様子を見たため、生徒たちの表情も少しばかり和らぐ。


「元とは言っても、君たちも深海くんに聞きたいこともあるだろう。後半は彼への質問時間にしたいが、深海くんも良いかな」

「構いません。ただ答えられない内容があるのと、今は機密漏洩しないように監視もついてるので、撮影はご遠慮お願いします」


 そこで学生たちはアハ体験をする。

 学生たちに届いた太子の情報に『ちょっと撮ろうとしただけ』という話が盛り込まれていた。

 そんなことを考えているうちに大空はおっとりとした声で授業を始めてしまう。


 授業が始まったところで、太子は生徒たちの間を抜けて一番後ろに用意された椅子へと腰掛けた。

 そこで見知った顔を見つけてしまう。

 それは授業開始前から一度も目を開けなかった女で、太子の姪っ子アンナだった。


 見分けられなかったのも、派手な服に濃い化粧をして、香水で極限まで匂いを消していた。

 更に一切ダンジョンへ潜らないため、核石で判別できるほど育っていない。

 太子が目を向けなければ気づくこともなかったかもしれない。

 そのため、太子はこのまま終わりまで声をかけないことにした。


 大空の講義はかなり退屈な部類に入る。

 声がそうさせるのも1つの要因だが、何よりも教科書を読むだけということが眠気を誘う。

 変わっていないというのが太子の結論。

 太子がいることで眠気を我慢している生徒は多いが、すぐにでも糸が切れそうな綱渡をしている。








「だからこの時代は金の流出が多かった。そろそろ良い時間なので質問の時間にしよう」


 大空が手を叩くと生徒たちが目を覚ます。

 太子が寝落ちした時も、この柏手で何度も起こされていた。


「うぇ」


 太子が嫌そうな声を出した方を見ると、アンナと目が合う。苦笑いしながら手を払ってアンナを前へ向かせ、大空の隣へ歩いていった。


「では質問を受け付けましょう」

「新都大学の中は、ここと違いますか」

「久しぶりに来たから何とも言えないが、おそらく研究のための機材は段違いに多いだろうな。各分野の物が揃っているかな」


 学生たちは選ばれた者しか入れないと思ってか、新都大学の中や講義内容について質問が多い。

 次に教授たちの話で、どの教授たちは学外でも人気があった。太子を除いて。


「国営養育所を出てないと入れないというのは本当でしょうか」


 アンナがぶっきらぼうに質問する。


「半分正解かな」

「ん? あと半分は」

「ちょっとややこしいんだけど、新都大学はカリキュラムにダンジョンへの単独潜航がある。そこで無理すると死んでしまうけど、大学側は責任を取らない。それを許可できる親御さんはほとんどいなかったということ」

「そんなの普通許可しねーし」

「だろうね。だけど許可証を持ってきた子は何百人もいて、学力も問題なかった」


 そこで生徒たちは疑問に思う。

 そこまでできた子は入ったんじゃないかと。


「最後の適正試験に合格した者がほとんどいなかった。だから正確には数人だけ入学している」


 入学できたとしても、何百人もいて数人しか抜けられないような試験。

 どんな試験か気になって仕方ない。

 アンナも自分で嫌そうに質問しながら、少しばかり興味が向いてしまった。

 そこかしこからどんな試験か、という声が上がってくる。


「深海くん。そこは機密ではなかったよね」

「そうですね……はい」


 太子は胸ポケットからペンを取り出して腕に触れて見せる。


「この試験は、自分の腕に鉛筆を貫通させて抜き取れるかどうかを見る」


 そんな仕草をして見せると、ほとんどの生徒が怪訝な顔で太子を見つめている。

 振り返った太子は、大空が笑いながら顎をしゃくる様子が目に入ってしまった。


「そして教授陣には、この傷を治す技術も求められる」


 太子はペンを握った手を反対の腕へ勢いよく突き立て、貫通しなかった最後の一息を叩いて押し出す。

 飛び出たペンの先端を握ってつまみ出し、ポケットから取り出した透明な液体を傷口へ振りかけた。

 さらに傷口の保護から、包帯まで太子だけで行い切る。


「これは単独潜航での生存率を上げるためと、研究結果を先に自身で行えるかという適正を見る。生存率はもちろんんだが、研究のために他人を犠牲にするような者は入学させないという大学側の意思でもある」


 表情を変えずに全てを行い、血の吹き出す量も明らかに少ない。

 この中でそれに気づいたのは大空のみ。

 生徒たちは口を押さえていたり、固まったまま動かなくなってしまう。

 約1名を除いて


「すまないが、この腕でね。質問者の君は床を掃除してくれないか」

「なんーで! 私が」

「これは君の質問の答えだよ」


 太子が指した先に小さな血溜まりができている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る