第4話 弁天

 日付が変わる10分前。

 太子は愛の先導でネオン街を歩く。やや広い通りから覗く路地には、昼間と違う毛色の立ちんぼうがビルに背中を預け、肌面積の広い服で露出部分を寒そうにさすっていた。

 その横では、酔っぱらいを店に引き摺り込もうとするポン引きが声を上げ、太子たちに狙いをつけて近寄ってくる。途中でそいつの動きに気づいた仲間が強引に引き留めにかかった。

 そいつらが軽い取っ組み合いをしている間に通り抜け、大通りの信号を待っていると、後方から破裂音が鳴り響いてビルに反響する。

 愛は塵ほども気にせず、太子へ次の研究について言葉を投げかけていた。


「つまり虫を操ることは出来たとしても、ペットには出来なかったわけだよ。他に試していないのは海の甲殻類なんだけど、下手に海辺へ行かせて問題にしたくないんだ」

「ここら辺の海だったらゴリ兄さんに頼めば……あー」

「ボクは嫌いではないんだけど、打診しても返事がなくてね。君に頼もうとしても直接連絡を取りようがなかったし、これでようやく助手くんの研究も進むよ」

「信号変わったぞ」


 愛は研究のことになると視野が狭くなってしまう。本人も自覚しているものの、記憶にあるものを口に出さないと落ち着かないらしい。

 太子も同じようなところがあるため、そのような場合は仲間内で互いにフォローするようになった。

 引きこもる際に愛から頼まれた研究の手伝いも、暇つぶしにはちょうど良く、どちらにも利点があった。


「5年じゃあまり変わらないもんだなぁ」


 太子から出た呟きに、愛が反応する。


「まだ建て替えるには早いよ。でも、区画整理はしても良かったと思うけどね。私もそこまで口を挟むつもりはないし」

「興味ないだけだろ」

「そうだね。それより、もう着いたよ」


 愛が立ち止まると、真新しい建物の中で、一棟だけ異色な薄汚れたビルがある。

 太子がそのビルを眺めていると、門前に構えた黒服の男が声をかけてきた。


「愛様。ご用件は承っております」

「どうもー」

「それでそっちの……」

「深海(ふかみ)太子だよ。免許証もだしてもらう?」

「いえ、ただの確認ですので必要ありません。どうぞ」

「ありがとね。太子くんもいつまでも眺めてないで行くよ」


 愛が太子の腕を掴み、引きずるようにビルへと入っていく。

 一つ中をくぐってしまえば、豪華なラウンジが待っており、ソファに腰掛ける者たちもブランド物の服をまとっている。

 愛はそれらに目もくれず、ずんずんと進んで死角となっている扉を開いた。

 カツカツと反響させる階段を下っていく。


「懐かしいよね」

「まだ残してたのか」

「半壊しちゃって上の方は直したんだけど、下は運良く残ってね。沙羅ちゃんが買ったんだよ」

「へぇ」

「そういえば、上野の方だと」


 また愛の研究話が湧き出してしまい、太子は軽く相槌を挟みながら、長い長い階段を降りていく。


 ようやく最下層へ辿りつくと、黒服がこちらに気づいてドアノブへと手をかけた。

 ゆっくりと開かれた先には小さなホールがあり、お立ち台の真ん中で着物姿の女が歌いながらも太子へと鋭い視線を向けている。

 太子はどうしたものかと、初めの一歩を踏み出せずにいると、違和感を感じ取ったのか数人が振り向き始めてしまった。

 着物女に釣られてか、徐々に気づいた者たちの眉間にシワが寄り始めてしまい。ついには立ち上がって太子へと感情の矛先が向かいそうになる。

 最初に立ち上がった男が声を出す直前、舞台の中心から空気の弾ける音が響き渡る。

 振り返っていた者達も舞台へと向き直り、その隙に太子たちは黒服の先導で別室へと案内された。

 扉を閉めてからも彼女の声は壁を貫通して、ビリビリと空間を震わせてくる。


 SLAP

 SLAP

 背中を向けてる悪い子は誰

 BANG

 BURN

 嫉妬の弾であなたを燃やす


 みんなの視線はどこに向ける

 ここは私の独壇場

 あなたの姿勢を直したげる

 音を奏でる神殿よ


 俗世の地位は関係ない

 扉の内は隔離世界

 体を重ねる? より気持ち良い

 アロマを届ける踊りで魅了して

 囁く音色が脳を刺す


 男も女も関係ない

 to be 腹の下は甘美な異界

 cool down おかされる? your leak smoke ちょい

 スメルを振り撒く吐息で目隠して

 落ち着く回路が時を戻す


「太子くん怒られちゃってるよ。ぷぷ」

「客にもお前にもだろ。それに、俺は悪くねぇ」

「5年も音信不通だったんだから、怒られてもしかたないさ。心配してたんだよ。それは一人だけじゃないし」


 愛が指さすと、奥から見知った男女が2人、見知らぬ女が1人現れる。


「太子! 5年もどこ行ってたのよ!」

「姉さん?」

「急にいなくなったかと思えば、翌日にはでかでかと新聞に載ってるし。心配したのよ!」

「ごめん」

「ヒロさんは大丈夫だって言ってくれたけど、それでも愛ちゃんから教えてもらうまでは心配しっぱなしよ!」


 怒声から始まった太子への説教はなかなか収まらず、半時は姉からの出てくる言葉は止まらなかった。


「乙姫さん。すみませんがそろそろ」

「え? あぁ、そうでした」


 見知らぬ男が声を出すと、乙姫は一瞬惚けたような顔になり、思い出したかのように太子へと要件を伝え始める。


「私の息子覚えてるわよね」

「エイジだね。大学は……もう卒業してるか」

「ダイバーになったわ」

「へぇ……よくOK出したね」

「出してるわけないでしょ! 気づいたらなってて、ダメって言えなくなったの……。なんか良いところに入ったみたいだし」


 愛が耳打ちしてくれたのは『天友会』という所で、ダンジョンが現れた初期から潜っている『ドンキー』がリーダーを担っている。

 日本では5指に入る超有望な組合で、入ろうと希望しても実績と経歴がなければ門前払いと言われている。


「エイジは優秀みたいだね」

「全然嬉しくないわ。そんなことより、エイジが渡航船団の警護に選ばれたって聞いて心配で……太子も一緒に行ってくれない?」

「なるほどね。エイジが行くなら良いよ」

「これで安心できる」

「言っておくけど、俺はあんまり強くないからね」

「それでも良いの」


 姉からの過剰な信頼で、思わず苦笑いが出てしまう太子。

 それを見て乙姫は手を振り、後日エイジを家に行かせると伝えて出て行った。

 乙姫がいなくなるのを部屋の者全員で見送ると、互いに向き直り顔を突き合わせる。


「さて、家族の話に付き合わせて申し訳ない」

「問題ありません。私たちの話とも関連しておりますので……」

「あまり聞きたくないけど」

「それはダメよ」


 突如現れた声にスーツ姿の2人が驚く中、太子はソファで仰け反りながら声の主へと話しかける。


「ダメかぁ」

「ダメ。苦労して愛と私でみんなを説得したのよ。あとはアナタが頷くだけなんだから、話くらいは聞きなさい」


 沙羅に小突かれながら渋々前を向かされた太子は、どうぞと言わんばかりに前方のスーツの女へと手を差し出した。


「異界対策省からOTKサークルへ公式の依頼です」


 太子の忙しい日はしばらく続きそうだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る