第3話 愛
中型トラックから身を乗り出した女が、守衛に向かって明るく声をかける。
「お疲れ様ー。異常研究科の
「教授さん、おかえりなさい」
「あぁ……これ見せておかないとね」
愛から投げ渡された2つのパスケースを上手にキャッチした守衛は、手持ちの読み取り機にかざす。隅々まで念入りに調べ上げると、ピピっと機械が了承の合図を出した。
「問題なし。お連れさんもここに潜るんですかい?」
「んー……ん? やめとくってさ」
「そいつは残念ですねぇ。おっと、すぐに門を開けます」
「さんきゅー」
守衛の操作でゆっくりと巨大な鉄柵が道を開け、トラックのエンジンが嬉しそうな声を上げる。そこで何を思ったのか、太子は三浦から持ち込んできたビニール袋を窓から放り投げてしまった。そのあとは電池が切れたように助手席へもたれかかると、目をつむってしまう。
投げられた袋は放物線を描いてすっぽりと守衛の手におさまる。
一瞬ゴミを押し付けられたかと思う守衛だが、妙に冷えた中身が気になってしまい開けてみる。
「今夜の飯にって渡されたんじゃないのかい?」
「ちょくちょく食べてるから良いんだ。魚食いたいけど手が出ないと言ってる奴がいるって聞いてたからなぁ」
サイドミラーから爪の先ほどサイズになった守衛が大きく手を振っている様子が見える。
「それに、みんなの分はまだまだある」
「呼んでもほとんど来ないくせに、来る時は手土産が多すぎる。君の悪いところだぞ」
太子は返事せず、空気に溶け込むかのように助手席と一体になってしまう。
搬入口へ入ってからも微動だにせず、愛の助手や生徒たちが忙しなく荷物を運び出すまでじっと目を閉じていた。
愛の研究室は15階の半分を占領している。周りの建築物も高層階が多いため、見通しは良く無いが、周辺で生活する人々の様子は良く見える。
派手な服を着る男や女、声をかけてまわる者、常に爪を齧っている若者。
その横を通り抜けようとする愛の助手たちに向かって走り出した女が、周辺の人々に取り押さえられタコ殴りにあっている。
「ゲットー」
「たまにいるんだよ。この大学に入れなかったことの逆恨みを学生たちに向けちゃう子がね」
交番の前に捨てられてから、数分後に救急車の到着となる。しかし、女が詰め込まれた救急車は一向に動かない。
それを太子はぼーっと見つめていた。ようやく動き出したと思った時は、先ほどから30分も過ぎていた。
「以前よりは落ち着いたと言っても、相変わらず物騒な街だな」
「良い子たちも多いんだよ」
太子は知っている。その言い回しは、身内や仲間にだけ良い子だと。
「良かったら紹介してあげるよ? 遊べて綺麗な子もいっぱいいるし」
「遠慮しておく」
「だと思ったー。ははっ相変わらずだねぇ」
わざわざ姉弟子に土下座までして人の少ない場所へ行ったのに、がんばって知り合いを増やさなきゃいけないのか。
ちらりと見た時計だと、現在17時。予定の時間まで7時間もある。
「持ってきた素材の状態でも確認するか」
「おっ! それならボクもやろう。今のうちに仕分けもしておきたいからね」
ダンボールから栽培していた草を取り出し、一本一本を瓶へと詰めていく。黙々と作業するつもりの太子に、そうはさせてくれない愛が声をかけ続ける。
「何年も離れているとこちらのこともわからないだろう。優しい私が少しレクチャーしてあげるとしようか」
太子が「間に合っている」と返しても、聞く耳を持たず被せるように言葉を撒き散らす。
「君が去ってから治安が悪化してね。多くの人が押し寄せて英雄たちの追悼をしたまでは良かったが、ところかまわずダイバーを撮影しては、誰が優秀だのあれは落ちこぼれだのと晒すようになってしまったんだ。中には酷いやり方の者もいて、まぁ……それで辞めてしまったり、反撃する者が出たわけだ。あまり気分の良い話ではないから少しばかり間を省くとして、色々とありどちらも監視体制が強化されて今では、街中は監視カメラだらけだよ」
先ほどのタコ殴りもしっかりと撮影されていたはずだが、最後まで警察は助けに来なかった。監視はするが、手は出さない。
太子は今になって、先ほどの女がどうなったか気になってきてしまう。
それを読み取るかのように愛が先手で言葉を畳み掛けてくる。
「さっきの子は親御さんのところに無事帰られるさ、映像と一緒にね。元々この大学に入れるわけないんだよ。親の同意が必要な時点で邪魔。なんてったってここは日本で一番エリートを生み出し、在学中の死亡率も全国一だよ」
「自慢することじゃない」
「事実を言っただけさ。今では国営養育所上がりの人間しか取ってないんだ。おっと、今のは忘れてくれ」
国営養育所は国が子供を育てるプログラム。様々な事情で子供を育てられない親から離して、国が用意した施設で成人まで育てるわけだが、当たり外れが大きい。管理人の差配が大部分を占めており、施設費の着服で捕まる話もよく耳にする。
「おぉ! やっと見つけた」
太子が嬉しそうな声に視線を向けると、くねくねと動く蔦が彼女の腕に絡みついている。強引にひっぺがした愛は、手早く丸めて口に放り込んでしまった。
もぐもぐと可愛らしい音が鳴りそうな見た目だが、生きたまま喰らう残酷なシーン。太子が眉間にシワを寄せても彼女は全く気にしない。喉を鳴らし、数秒もすると白衣の隙間から記憶に新しい緑の蔦が顔を出す。
「こらこら。勝手に出てきちゃダメでしょ」
愛おしそうに蔦をひと撫ですると、ピタリと止まった蔦がスルスルと白衣の中に戻っていく。その際に、愛の口から吐息が漏れ出し、とろけた顔で顎から一雫の液体が床へと垂れた。
「あっひっひ。漲ってしまったなら待ち合わせなんて放って、このあと二人で楽しむかい?」
「こっちは嫌嫌呼び出されたってのに自分の都合で約束を破るなら帰らせてもらう」
「待った待った! 冗談だよー。君も知ってるだろう? スキルの影響で取り込んだ直後は欲望が溢れるって」
「愛がそれを抑えられることも知っている」
名前で呼ばれたことが嬉しいのか、愛はニタリと笑って太子の体に絡みついてきた。
「ちょっと気が抜けてたみたいだ。話は変わるがお腹が減った。久々に太子くんが料理を作ってくれるんだろう?」
「そうだ!」
ガバッと立ち上がった太子は、倉庫から飛び出して自分の荷物へと一目散に走り出す。
「いたたた……私は料理以下ってかい。おーよしよし。慰めてくれるのかい? お前たちは優しいねぇ」
ボタンの隙間、胸元、
しばし触手たちを撫で付け、満足した触手が白衣の中に戻ったのを確認すると、愛はゆっくりと歩き出した。
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