第2話 太子引きこもれない

 三浦市特別2区。特別区とはダンジョンを指し、当てられる数字は見つかった順番で決められる。

 特別2区の五層に太子は居着いている。


 太子が朝起きて最初にすることは、顔を洗うところから始まる。錆びついたトタン小屋から出ると、ポリバケツを担いで徒歩30秒の川から水を汲み上げた。

 そのまま川に頭を突っ込みジャバジャバと洗うと、ついでに口も濯いでおく。


 再びポリバケツを担いで家の中に戻ると、いくつかの瓶がまとめられたカゴを下ろし、隙間に詰め込まれたメモを開いて目を通す。


「えー、鬼ホタテの貝殻粉末5つまみ。活力ボラの魚粉2つまみ。五層以降の火山灰小さじ1。あとは薬品Ωを3滴」


 声を出しながら間違いなく水に混ぜ合わせていくと、家庭菜園へ流し込みにいく。


 太子の家の裏手には何層にも積まれた水耕栽培の棚がいくつも並ぶ。水が循環されるよう最下部にポンプが設置されており、それにはダンジョンモンスターから取れる核石をエネルギーとした未発表技術が使われている。


「ベロ太ー、水流すぞー」


 太子が声を出すと、水槽に隠れていたイモリがノロノロと這い出てきた。

 こいつは太子がここで家庭菜園を始めてからすぐに姿を表す。太子が何度追い払っても戻ってきて、諦め始めた頃にこいつの有用性に気づく。

 ほとんどの野菜に手を付けず、食べてもせいぜい消毒草を3日に一枚程度。さらに、何度も害虫を捕食する様子が目に入る。

 役に立つのならと放置していたら、すくすくと育ってしまった。

 初めは手のひらサイズだったというのに、今では1m近くの巨体を水中に沈めている。


 太子が栽培用水槽の水を入れ替えて、そこにベロ太が戻るとギリギリ溢れない程度になる。


「ちょっと入れ過ぎたか。明日は無しでも良いかな」


 そんな太子の言葉を無視するかのように、目の前の両生類は水中で寝返りをうちながら短い前足で胸を掻いて水をあふれさせる。


「お前もオッサンか」


 太子の呟きに反応する者はいない。

 そんなことを気にする様子もなく家の中に入っていくと、朝食の準備を始めた。


 太子が定位置にカメラを設置し、動画の撮影ボタンを押すのも日常の一部になっている。何も撮りたくてやっていることではなく、知り合いに頼まれて仕方なく。それでも2年以上続けていれば慣れた動作になっている。

 目の前の川で昨日獲れた魚を串に刺し、軽く塩を振って手作りの焚き火台にブッ刺したところで、火を準備していないことに気づいた。

 だるそうな足取りで薪と油を持ってくると、雑に組まれた薪に軽く油をぶっかけてメタルマッチで点火。


「あっつ!」


 跳ねた火が腕にかかってしまい、数日前も同じ間違いをしたことを思い出してしまった。

 気を取り直して、焚き火台に網を張り、そのまま米と水の入った小鍋を乗せる。

 腰に差してあるナイフを抜き、皮つきのままにんじんと大根をスライス。ぽとりぽとりと小鍋に野菜を落としていく。

 萎びた消毒草をちぎって入れたらしばらく待つしかない。


 ボケーと見上げてもゴツゴツとした岩の天井が目に入るのみ。

 本来であれば光が入ってこないはずなのに、辺りは明るくて摩訶不思議。太子も一度なぜか考えたこともあったが、世界中の研究者がこぞってわからなかったことを思考するだけ無駄だとわかった。

 それこそ深層まで潜る人でなければ取っ掛かりすら掴めないだろう。

 瞑想のような高尚なものではなく。ただただ頭を空っぽにする。


 どのくらい時間が経ったのか太子にはわからないが、グツグツと煮えたぎる音で現実に引き戻される。


「もう良いか?」


 小鍋を網から下ろし、味噌を入れて軽く混ぜれば完成だ。

 ポケットから取り出したメモ帳に料理の名前を書いてカメラに写させる。『ぶち込み雑炊と魚の塩焼き』なんとも酷い名前だ。だが、味は悪く無い。

 頭から魚にかぶりつき、骨まで噛み砕く。尻尾を残すのは子供からの癖である。熱々の雑炊をお椀に注ぎ込み、息を吹きかけながら匙で口まで運ぶ。

 やはり熱すぎたのかハフハフと悶え、全く懲りないのか教訓が生きないのか。川まで走って水と一緒に流し込むと、ようやく落ち着き始めた。

 今度はじっくりと冷まして口に入れると、味噌と野菜の甘みが口に広がる。時折混じった消毒草はシソのような風味で、少しばかり口の中をさっぱりとさせてくれた。


 太子が消毒草の味を知ってから、鍋物にはほとんど入れるようになる。ある時、遠出した際に鮮度が落ちた消毒草しかなくなってしまった。仕方なくぶち込んでみると、風味だけは抜けないという事実に気づく。

 それからは、どうせクタクタになると思って、萎びた消毒草を優先的に入れるようにしている。


「ふはー。ごちそうさまでした」


 そこでカメラは停止する。


 薪だけを捨て、片付けは全て川で行う。

 ナイフや小鍋を川に浸け、水の流れを利用しながら布の切れ端で拭えば汚れは落ちる。

 焚き火台は重しを入れてそのまま川に沈めて夕方まで放置。

 この台は太子の力作で、側面にいくつかの穴が開けられており、魚取り用の罠にもなっている。川の流れに乗ってやってきた洞窟マス(仮)が隠れ家として入り込み、勝手に取れるという寸法だ。

 などと後付けしているが、本来は薪の燃えが悪かったため、風通し用に開けた穴がたまたま適した大きさだっただけ。以前、尋ねられたことがあった時に見栄をはって口から出任せが出てしまった。


「ふぅ。さーて、どこに行こうかねー」


 ぴしゃりと膝を叩くと、バックパックを背負いながらフラフラと上層に向かって歩き出す。

 時に道草を拾い、時に魚を釣り、気まぐれに海へ潜る。ダンジョンの中を思うがまま動いているとバックパックがパンパンに膨らんでしまった。


「やっちまったなぁ。今日は出かける予定じゃなかったのに」


 マスターから貰った休暇は引きこもると決めていたが、捕りすぎてしまった獲物を腐らすのは勿体無い。

 1層の漁師たちに渡そうかと考えてみたが、これは悪手だと思い至る。


「やっぱり組合行くしかないよな」


 やることを決めてからの行動は早く、できる限り速やかに、出口に向かって駆け抜ける。

 2層から1層へ登る穴を抜けると、警戒心の高まっている漁師たちが太子に振り返った。


「しまった」


 太子の口から漏れた言葉と同時に、振り返った漁師が膝を崩してしまう。


「私です! 太子です!」


 鳥肌をたてながらゆっくりと目線を上げた漁師から、徐々に緊張が抜けていくと、目に光が戻ってくるように見えた。


「お、おぅ。びっくりしたぞ。これがスキルってやつか」

「だ、だな……」


 一番に声を出したのは先日一緒に戦った猛者たち。


「すみません! 来る時の声かけ忘れてました」

「ま、まぁ。そういう時もあるよな……」

「今回が初めてだし……」

「喝!」


 許してやろうという意志が決まろうとしていたところで、出口から1層全体に響き渡る波が駆け巡る。

 全員が耳を塞いだまま目を伏せていると、カツカツと軽い音を鳴らす者が太子の元へ近づいてきた。


「あんたには、もっとじっくりと脳みそに刻み込まないといけないようだねぇ。お仕置きだよ!」

「ま、マスタああああゔぁああ」


 千切れんばかりに耳を掴まれた太子の悲鳴が出ると、漁師たちも一斉に立ち上がって直立不動になる。

 それでも、気になって仕方ないのか太子たちへを目線を向けてしまう者たちがいる。


「小童ども……見てんじゃないよ! 仕事戻りなぁ!」

「「「「ひぃぃぃぃ」」」」


 マスターに引きずられるようにダンジョンを出ると、ようやく太子の耳からマスターの手が離れる。


「相変わらずだねぇ」


 太子からすると、耳にタコができるほど聞いてきた声。

 伏せていた視線を上げると、ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべる白衣の女がトラックの助手席から顔を出していた。


「なんだ。お前か」

「お前とはつれないじゃないか。親しみを込めて『愛ちゃん』と呼んでくれと言っただろ?」

「はいはい。その『愛さん』が何用で? まだ頼まれてたことは途中だぞ」

「喜ぶと良い。君の大好きな”仕事”だよ」

「帰る」


 太子の言葉と共にマスターの杖が振り下ろされ、乾いた木の音が鳴る。


「帰るんじゃないよ。あんたはあたしに貸しが一個できたばかりだ。違うか?」

「ち、違いません」

「あたしに返すんだよな?」

「ぐ……はぃ」

「行ってきな」

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