クーデター

 それから約一週間後、俺は久しぶりに出勤する。立川に対する処分や事後処理については、全て彼女に一任するとしていたので、この一週間は補佐官として特にやることがなかった。学校へ行って中間テストを受けたり、聖地巡礼へと出かけたりと、割と学生らしいことをして少しリフレッシュをした形だ。


「おはよう、朝比奈君。この一週間は、よく休めた?」

「ええ。おかげさまで、久しぶりにオタク高校生らしいことができましたよ。打ち合わせは、三十分後の十時半からでしたっけ?」

「ええ。ただ、沙輝ちゃん少し遅れるみたいだから、それまでゆっくりしていていいわよ」

「了解しました」


 今日は海野から一連の抗争に関する事後調査の結果、具体的には工作員や不文律違反者などの特定結果と、反沙輝派に対する処分内容について説明を受ける予定だ。どのような手段で事後処理を進めたのかは全く想像もつかないが、事前にもらったメールによれば、もう全てが片付いたということらしい。なので、別荘ではなくここで話しても問題がないのだという。俺はその時を楽しみにしながら、部屋の整理をしてその時を待つ。

 海野がオタク部屋にしているので、俺も自分のデスク周りくらいは、グッズやフィギュアを並べてみようと思う。今日は色々と持ってきたので、これから時間をかけて、じっくりと配置を考えていくつもりだ。これからここでずっと働く覚悟を決めた俺にとっては、こういった環境の整備も欠かせない。

 俺が持ってきた品々を続々と並べていると、突然外で大きな音がする。防弾ガラス越しでも聞こえる音だったので、爆発音か何かだろうか。田辺さんも、驚いた様子で窓の方に駆け寄る。


「うわ……」


 見れば、本社地区南東にある倉庫街の一角から巨大な火柱が上がっている。恐らくは、本社地区の警備を担当している民間軍事会社――UMSの弾薬庫が爆発したのだろう。訓練にしてはあり得ない規模なので、考えられるとすれば、事故かテロのどちらかだ。しかし、状況を分析する暇もなく、田辺さんが叫び声をあげる。


「あ、危ない」


 田辺さんが指さす方を見ると、一機のドローンと思しき物体が火を噴きながら落下していく。続いて、遠くでもう一機。この瞬間、俺は確信した。これは事故ではなくテロ、いや、クーデターだ。UMSの中に立川との内通者がいて、そいつらが反乱を起こしたのだろう。恐らく、海野家の分家が裏で支援をしている可能性が高い。俺は海野と連絡を取るべく、すぐさま社用の携帯を取り出す。

 二十秒ほどコールを続けるが、電話は繋がらない。


「くそ……」

「落ち着いて、朝比奈君。秘書官や警護官の方にも連絡を取ってみましょう」


 そんなこんなで、関係各所へ電話すること約二十分、大混乱の中何とか秘書官二人と連絡を取ることには成功したものの、肝心の海野本人とはまだ連絡が取れていない。そうしているうちにも、外では何度も爆発音がした。


「とりあえず、本館の社員の避難はほぼ完了したみたい。元々隣で待機していた秘書達には、隠し階段を使って逃げるように言ったのだけれど、彼らはここに残るって」

「了解しました、警護官たちとは連絡取れました?」

「元々ここにいた一人を除き、まだ取れていない。彼らは沙輝ちゃんの護衛として、今朝九時から下での会議に同伴しているはずだから、彼らと連絡が取れれば沙輝ちゃんの居場所もわかるはずなのだけれど……」


 そう言うと、田辺さんは言葉に詰まる。


「既に拘束されている線も、あり得るということですね」

「ええ。ちょっと私、下の方へ行って様子を見てくるわ。本来なら、二十三階で会議中のはず」

「待ってください。それなら、僕が行きます」

「ダメよ、あなたは裏方なんだから、表の指揮は私に任せて。部下の情報によると、どうやら下層階では既に銃声が聞こえているみたい。けが人が出ているという話もあるから、あなたはここで待っていて」

「いや、でも……」

「高校生のあなたを巻き込むわけにはいかない。それに、あなたが行ったところで事態は変わらないでしょう。ここは私に任せてちょうだい」


 そう言うと、田辺さんはにこりと一笑してみせる。

 電話がつながらなかったときはかなり焦ったが、正直今はそうでもない。というのも、田辺さん自身が焦っているように見えて、よくよく観察すると全然焦っていないのだ。彼女の一連の反応を分析した俺は、今の状況と、自分がなすべきことをはっきりと理解する。


「わかりました。気を付けてくださいね」

「ええ。警護官と一緒に行くから、大丈夫よ。それじゃあ、見に行ってくるね」

「その必要はないな」


 田辺さんが扉を開けるや否や、彼女の顔に銃口が向けられる。


「ど、土井君?」

「あなたがいては海野インダストリーがダメになる。悪いが、取締役からは降りてもらう」


 そう言うと、正面に立ちはだかっていた二人の大男が彼女を取り押さえる。あまりの突然の出来事に、田辺さんはただ茫然とするのみで、言葉の一つさえ発しないまま拘束されてしまった。


「た、田辺さん!」

「動くな!」


 俺が近づくと、土井とやらは銃口を向けてくる。この状況は概ね想定通りなので、特に焦りはない。笑いを堪えながら、とりあえずは両手を挙げて、恭順の意を示しておく。


「補佐官のお前には、ひとまず手荒な真似はしないでおいてやる。今は、大人しくそこに座っておけ。ただし、絶対にそこから動かないこと、いいな」

 俺は両手を挙げたまま、彼の言う通り自席へと戻る。

「あなたは、田辺さんの警護を担当している土井さんですよね。こんなことして、オタクとして恥ずかしくないんですか!」

「ああ。恥ずかしくない。俺にとっては、海野沙輝のような小娘と、お前みたいなクソガキが社長室にいることの方が恥ずかしい。ま、それも今日で終わりだがな」


 彼が鼻で笑った直後、突如として社長室のモニターが点灯する。見れば、そこには分家の重鎮である、海野庄司取締役相談役の姿がある。


「全ての役員に告げる。海野沙輝によって、我が社の旧態依然とした体制が一向に改善されず、古き伝統に縛られたままの今の状況には、創業家の人間も非常に危機感を抱いている。先月の時点ではまだ交渉の余地も残されていたが、今月に入り彼女が支配体制を強化する動きがあったのを受け、私はいよいよ実力行使に出ることにした。既にこのビルの大半は、私を支持するUMSの兵士二千人によって占領されている。社長の海野沙輝もこの通りだ」


 カメラのアングルが切り替わり、拘束された海野の姿が映し出される。


「私は彼女を始め、役員や従業員の命まで奪うつもりはない。今もなお抵抗を続けている人は、今すぐ考えを改めてほしい。今回の抗争で対立した人達も、今後我々に協力してくれる意思があるのなら、喜んで歓迎する。実際、後任の社長には反沙輝派ではなく、沙輝派の立川君を据えるつもりだ。役員も社員も、沙輝派だからといって冷遇されることはないから安心してほしい。また、一部では立川君がオタクではないのではないかという噂も流れているようだが、あれは全くのデマなので気にする必要はない。後日、しかるべき場を設けたうえで、本人と私の口からきちんと説明をするから、こちらも安心してほしい」


 彼がそこまで話したところで、映像は途切れる。


「この映像は十分ほど前に、一部の区画で抵抗を続ける兵士や役員に向けて流されたものだ。今これがここで流れたということは、田辺さんや朝比奈君にも今後の身の振り方を再考してほしいという、庄司相談役なりの意思表示だろう。そのうえで聞くが、今後僕たちに協力する気はないかね?」


 そう言うと、土井とやらは田辺さんと俺の二人に視線を送る。田辺さんは即座に首を横に振ったが、俺としてはここで確認をしておきたいことがあるので、一旦は保留とする。


「そうですね……これまで私一人で社長を支えてきたわけではありませんので、自分としては秘書や警護官たちの意見も聞いてみたいです。今から、確認のためのお時間を頂いても宜しいですか?」

「そうか、そういうことなら、五分だけ許可しよう」


 彼が秘書室を指さすので、俺はそれに従い、ノックをして恐る恐る扉を開けてみる。見れば、彼らも俺と同様、拘束まではされていないものの、突入してきた兵士たちによって監視下にある状態だ。


「補佐官の朝比奈です。五分だけ、少し話をさせてください」


 兵士たちには既に無線で情報が伝わっていたのか、特に異議を唱える者はいない。俺は扉を閉めると、その付近で立ったまま意見の聞き取りを開始する。


「……そうですね、僕らはあくまで秘書ですので、他の社員の方々と違って現社長が退任した時点で、一旦退職となります。その後は再就職先を探すことになりますが、少なくとも、次期経営陣の下で秘書として働くことはありません。やっぱり、これまでお世話になった海野社長には恩がありますから、敵に与するような真似はしたくないというのが正直なところです」

「なるほど、やはり秘書の方々としては会社に対する恩よりも、海野社長個人に対する恩の方が大きいのですね」

「そうですね、私たちは沙輝さんのお父様の代からお世話になっていますから、どちらかというと海野家本家にお仕えしているという感じです。とはいえ、僕にも家族がいますから、今後のことはよく考えないといけません。朝比奈君自身は、今後どういう風に考えているんです?」

「僕自身は元々、海野家本家に仕えているという感覚はないので、待遇面などで折り合いがつけば、今後も会社に残ると思います。ここに来たのも、きっかけは報酬が良かったからという単純な理由ですし、実際今後も今の生活ができるのなら、それに越したことはないですから。それに、我々社長室の人間は退社しても、新経営陣からは前社長の取り巻きとしてずっと警戒されるでしょう。日々彼らの目に怯えて暮らすくらいなら、ここで大人しく降伏して、彼らに全面協力することで、心機一転新たなキャリアを歩んでいきたいと考えています」

「そうですか、理解しました」


 秘書達は口ではそう言っているが、顔を見る限り、心の中では明らかに『お前裏切るのかよ』と言っている。


「いや、僕は全然ありだと思いますよ」


 そう言うのは、警護官の城内さん。秘書達の俺に対する視線を感じ取ったのか、ここで助け舟を出すらしい。


「実際、僕も朝比奈君と同じで、新体制でも会社に残ろうと思っています。僕らはあくまでも雇われの身ですから、上層部のゴタゴタに左右される必要は全くありません。サラリーマンだって上司が変わるたびに会社を変えないでしょう、それと同じことです」

「まあ、僕らにも生活がかかっていますからね……」

「ええ。それに、僕は世界最大のオタク企業で働いていることに、一人のオタクとして誇りを持っています。社長が誰であれ、僕は生涯海野インダストリーのために働くつもりです。基本的には、新体制でも今の社長警護官の職を希望するつもりですが、朝比奈君はどうされるおつもりです?」

「そうですね、本音としては社長補佐官を続けたいですが、果たして立川新社長はそれを容認してくださいますかね……。私は一応、旧体制の人間ですし」

「もちろん、敬遠される可能性も少なくはないでしょう。ただ、僕には彼と個人的な親交がありますから、もし朝比奈君が補佐官を続けたいのであれば、僕の方でも協力しますよ」

「なるほど、盗聴をしかけたのはあなたでしたか」

「は?」

 俺の発言に対し、一瞬場が凍り付く。俺は扉を開けると、もう一度告げる。

「社長室に盗聴器を仕掛けたの、あなたですよね?」

「……」


 俺の問いかけに対し、彼は一瞬黙り込む。だが、すぐに俺に銃口を向けると、後方の兵士たちに拘束を命令する。


「ちっ、バレたか。おい、お前ら、こいつらを全員取り押さえろ」

「は、了解しました」


 瞬く間に視界が反転し、床へと倒される。見る限り、秘書達も同様の扱いを受けているようだ。ただ、心なしか彼らの拘束にはあまり力が入っていない。城内警護官はそれを悟ったのか、途中から彼らに加勢して俺を取り押さえる。


「お前、あんまり調子に乗るなよ」


 兵士たちとは対照的に、城内警護官は怒りに任せて俺の身体を強く拘束する。


「もうじき、次期社長の立川がこちらにお出ましになる。それまで大人しくしていろ」


 インカムに手を当てながら、彼はそう告げる。ほどなくして、立川が社長室へとやって来る。


「田辺といいお前といい、よくもここまで僕を蹂躙してくれたねえ」

「お前こそ、よくもここまで嘘をつき続けたな」

「うるせえ、黙れ。俺がオタクではないというのは、お前らが俺を陥れるために捏造したデマだ。近いうちに、庄司相談役から社内と世間に向けて説明がある。先日流れた情報は誤情報で、実際立川は立派なオタクだとの立証説明がな。まあ、間もなく死ぬお前がそれを聞くことはないだろうが」


 そう言うと、立川は俺に向けて銃を突きつけてくる。


「残念だが、お前にはここで死んでもらう。あ、もちろん会社としては自殺扱いだからね。城内君、彼を下の部屋へと連れて行きたまえ」


 立川は勝ち誇ったような笑みを浮かべながら、そう告げる。

 今の状況は客観的に見ればまさに絶体絶命。普通なら、心臓がはじけそうなくらい鼓動していてもおかしくない状況だが、残念なことに俺は一ミリたりともストレスを感じていない。むしろ、笑いを堪えるのに必死なくらいだ。

 城内らに連行され、俺は秘書室から社長室を通り抜ける。隣を歩く立川は俺を見せしめにしたいのか、わざとゆっくりと歩いているようだ。本人としては罪人を市中引き回ししている気分なのだろうが、彼はこれから立場が逆転することを知らない。田辺さんを始めとする周りの反応も、それとなく冷ややかだ。

 扉が開き、社長室を出る。すると、そこには一人の見慣れた少女の姿があった。


「おはよう、立川さん」

「な、なぜ貴様がそこにいる……」

「あなたは、本当に馬鹿ね」

「お、おい、お前ら、この女をさっさと拘束しろ。何でこんなところまで野放しにしているんだ」


 彼は一人そう叫ぶが、それに呼応する者はいない。社長室に静寂が訪れ、誰一人として動かないまま十数秒が経過する。


「まだ気づかないのね」

「気づくって、何がだよ」

「もういいわ」


 そう言うと、彼女は指を鳴らす。それに呼応する形で、これまで田辺さんや秘書達を拘束していた兵士らが、一斉に立川と城内へ飛びかかる。俺は瞬く間に、拘束から解放された。


「な、何するんだ、この野郎。お前らの敵は、あいつだろ」


 四方八方から一斉に襲いかかってくる兵士たちに対し、立川は暴れて必死の抵抗を試みる。だが、この状況ではどうあがいても勝てないだろう。拘束された立川は、兵士たちにより罵詈雑言を浴びせられる。


「お前、外国の工作員なんだろ。オタクのフリをして、よくも俺たちを騙してくれたな」

「あなたが工作員としてうちの会社に潜り込み、中から分断工作を仕掛けていたことは、とっくにバレているわよ。第一オタクではないことがバレた今の状況で、社内であなたに味方する人が一人でもいると思う?」


 海野は、嘲笑するようにそう言い放つ。


「ま、一人はいたわね、ここに。社長室に潜入しているスパイは、あなただったのね」


 そう言うと、彼女は城内の方に向き直る。


「盗聴をしかけていた彼をあぶり出せたのは、まぎれもなく朝比奈君のファインプレーよ。咄嗟の事態に機転を効かしてくれたこと、感謝しているわ」

「そうか、役に立てたようで何よりだ。てか、どうしてここにいなかったのにそれを知っているんだ?」

「中の様子を、ずっと映像でチェックしていたからよ。私が拘束されていたの、あれ演出だから。それにしても朝比奈君、今回のクーデター騒ぎが、社内の不穏分子を特定するための仕込みだったってことに、いつから気づいていた?」

「そうだな……最初の爆発から二十分くらい経った時点かな。一連の田辺さんの言動がよくよく見ると意外と冷静で、焦っているのは演技にしか見えなかったから、これは台本ありきだなと確信していたよ」

「そう。やっぱり、その辺も鋭いのね」

「でも、全てを把握していたわけではないぞ。正直、これだけ大規模なクーデターを、どうやってマッチポンプで仕込んだのかは想像もつかないよ」

「その辺のことは、後で詳しく教えるわ。とりあえず、今は原状復帰に集中よ」


 海野はそう言うと、田辺さん、秘書、兵士たちの順に矢継ぎ早に指示を出していった。

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