出会いは唐突に

 1


 俺の通う高校、私立緑沢学院では校舎の南側、通りを挟んですぐのところに高級学生寮が設置されている。俺も高級寮に入っている生徒のうちの一人なので、登校といってもたった数分程度のウォーキングでしかない。

 高級寮のエントランスを出て、アニメやゲームのビル看板が乱立する大通りを渡る。この道は幹線道路故、特にこの時間帯は車の往来が激しい。見る限り、多くは何らかのキャラクターが描かれた痛車のようだ。百年ほど前なら異様な光景であったのかもしれないが、今となっては特に珍しくもない、ごくごく普通の光景。このような光景が見られるようになったのは、ひとえに国民オタク主義共和党と、彼らの主導した一億総オタク化計画のおかげである。

 俺の暮らす日本共和国では、今から百年ほど前に国民オタク主義共和党――通称国共党が選挙で圧勝したことをきっかけに、一億総オタク化計画なるものがスタートした。計画では国共党の主導の元、業界に有利な法整備、大量の人的資源の投入、社会保障費の大幅な削減によるオタク業界への予算の付け替えなどが実施され、その結果、百年間でオタク産業のGDPは年間約二百兆円、全体の約四分の一を占めるにまで成長。クリエイターの平均年収は二千万円を超え、オタク産業は今や、三大大手と呼ばれる巨大オタク企業を中心に約一千万人が従事する超巨大産業に発展した。三大大手は経営陣のほとんどが国共党の党員で占められており、取締役クラスの人間が党の重要なポストを兼任していることから、事実上国共党との複合体としてみなされることも多い。

 こうして名実ともに世界に名だたるオタク大国となった日本共和国だが、もはやオタクであるのは当たり前のことになりつつある。一説には、国民の九割がオタク化しているとされており、少なくとも、若者に関してはほぼ全員オタク化しているとみて間違いないだろう。

 ただし、それは何も若者が皆俺のような陰キャになったということではない。若者の大半がオタク化しても、結局のところ陽キャと陰キャの分布は特に変化することはなく、オタクの中でイケイケの集団と根暗の集団に二分化されたのだ。もちろん俺は、後者の部類に入る。

 共和国の全オタクのうち、俺みたいな陰キャは一体どのくらいの割合で存在しているのだろう、などとくだらないことを考えているうちに、学校に到着した。今日は始業式なので、とりあえずは掲示されているクラス分け表の中から、俺の名前『朝比奈春斗』の文字を探す。当校は一学年に約千人が在籍するマンモス校のため、自分の名前を探すだけでも一苦労だ。ぼっちの俺には、一緒に名前を探してくれる友人もいないので、地道に端から探していくしかない。

 該当する教室へと入った俺は、特に誰かと話すわけでもなく、指定された席へと着く。できるだけ目立たないよう、下を向いたままスマホで電子コミックを読んでいると、程なくして、左隣に女子生徒が着席した。

 途端、ふわりと良い香りが俺の席まで漂ってくる。この香りはラベンダーか。そんなことを考えながら、恐る恐る左隣に座る女子生徒の顔を横目で覗く。

 うっ――

 反射的に目を逸らす。

 ヤバい、かなりの美人だ。

 俺は動揺を悟られないよう、何気なくスマホをいじって誤魔化す。

 しかし、あろうことか向こうから声をかけてきた。


「ねえ、ちょっといいかしら」

「え、あ、ああ」

「朝比奈君、あなたに頼みたいことがあるのだけれど、今日のお昼は空いているかしら?」

「え、えーっと……」


 今日は始業式ということで午前中に学校が終わる。なので、速攻寮に帰ってゴロゴロしたいというのが本音だ。しかし俺も男である以上、可愛い子からの飯の誘いとなれば話は別。どんなことを頼まれるのかは不明だが、とりあえずOKを出しておく。


「き、今日は特に予定もないから、ぜ、全然いいぞ」

「ありがとう。多分話自体は三十分もかからず終わるわ」


 そう告げると、彼女はラノベを読み始めて黙ってしまった。まだ名前すら聞けていない。

 どうやら彼女は俺と親睦を深めようとか、そういう意図で話しかけたわけではないらしい。内心少し期待していただけに、ちょっとがっかりだ。彼女がページをめくり始めるのを確認してから、俺は再度彼女の顔を横目で覗いてみる。

 端正な顔立ちに純白の素肌、漆黒のロングヘアに長めのまつ毛、横顔だけでも十分わかる、完璧な美人だ。あまりの美しさに釘付けになった俺は、向こうが視線を合わせてこないのをいいことに、しばらく彼女の横顔を拝み続ける。が、三秒と経たないうちに彼女はこちらの視線に気づいたのか、すぐさまこちらの方に顔を向けてきた。


「なに?」


 どこか冷めた表情でそう聞いてくる彼女。怒っているというよりはどこか見下したような、そんな雰囲気だ。彼女が向けてくる冷酷な視線に耐えかねた俺は、咄嗟に視線を逸らして弁明する。


「え、あ、ご、ごめん。その、どんな作品を読んでいるのかちょっと気になって……」


 上手いこと誤魔化した俺は、気まずいので一旦席を外してトイレへ行くことにする。

 たった数分間隣に座っていただけだが、俺は彼女が醸し出すオーラに圧倒された。あの雰囲気はどう考えてもただの高校生のものではない。ひょっとして有名コスプレイヤーだろうか。そういえばあのような顔立ちの子を以前、ネットやテレビで見かけたような気がする。

 そんなことを考えながら廊下へと出ると、ちょうど出勤してきた担任の西沢先生とすれ違った。


「おはようございます」

「おはよう……って朝比奈か。今年もうちのクラスになるとは奇遇だな」

「いえいえ、こちらこそよろしくお願いします」


 そう言ってお辞儀をすると、俺はトイレへ向かうべく歩みを進めようとしたが、止められる。


「待て。私は今度のGWの同人誌即売会で新刊を二冊出す。それから商業の方でも五月下旬に一冊だ。お前のSNSで宣伝しといてくれないか?」

「あーはい、わかりました。ただ、今年も遅刻や欠席は大目にお願いしますね」

「ああ、わかっている。でも、お前は出席しなくても定期試験は毎回必ず満点なのだから、単位はさして問題ではないだろう」

「いや、今年はひょっとすると出席率が二割を切るかもしれません。できれば学校に中々来られない、売れっ子作家並の配慮をしていただきたいのですが……」

「はぁ……仕方がないな。その代わり、きちんと私の作品を拡散しとけよ」

「はい、今年は特に気合を入れて拡散して参ります」


 俺の通う学校、私立緑沢学院高校は昔から、会社経営者や政治家といった金持ちの御曹司が通う名門校として知られるが、先ほど俺が担任と交わしたような裏取引が事実上黙認されるなど、校則やルールの類は非常に緩い。これは、当校が設立以来自由放任主義の校風を貫いているというのもあるが、それ以上に一億総オタク化計画の影響が大きい。

 一億総オタク化計画が始まって以降、我が校を含む大半の高校は校則や規則を大幅に緩和した。というのも、計画が始まって以降、日本中の学校で現役高校生ながらプロや同人で作家として活動する生徒が増えたため、厳しい校則を適用するとそうした生徒たちの生活が成り立たなくなってしまうからだ。今や日本の高校生の四人に一人は何らかの創作活動を行っていると言われており、在学中にプロデビューする学生も少なくない。そうした事情を反映してか、大半の高校で大学進学を目指す受験コースに加え、クリエイター育成コースが設置されている。緑沢学院に関して言えば、クラス分けは両コース混合で、各生徒は自分の所属するコースで開かれている開講科目の中から、自由に授業を選んで卒業に必要な単位を確保するというシステムになっている。どちらかと言えば、大学の履修の仕組みに近い形だ。

 当校では受験コースの場合は定期試験で八割、クリエイター育成コースの場合は提出した作品の五段階評価でB以上を取れていれば、単位取得のための出席率は最低二割でも良いとされる。ただし、実際には教職員との交渉次第で二割以下の出席率でも何とかなることが多い。ほとんど学校に来られない超有名作家が、普通に進級していることを見れば明らかだ。

 なお、俺自身はオタクブロガーとして活動しているものの、創作活動については特に行っていない。当然、当校では受験コースに所属している。受験コースの学生の中には同人活動や趣味の一環で作品を創る者も多いようだが、俺自身は同人含め一切の創作活動を行っていない。単純に、作家という職業に興味を覚えなかったからだ。


 2


 始業式とガイダンスが終わり、お昼になる。学校は午前で終了なので、本来であればこのまま寮に帰って適当に食事を済ませるところだが、今日は隣の美少女からランチの誘いを受けている。

 そう考えると、途端に緊張する。新年度初日からいきなり美少女と二人でランチ、一体これはどういう風の吹き回しなのだろう。


「……ちょっと朝比奈君、行くわよ」

「あ、ああ」


 状況の考察にふけっているうちに、どうやら向こうはもう外へ向かっているようだ。置いていかれないよう、急いで荷物をまとめてついていく。


「なあ、行くって一体どこへ行くんだ? 食堂ならそっちじゃないぞ」


 彼女が食堂とは真逆の方向に歩き出すので、心配になった俺はとりあえず声をかける。


「何を言っているの、別にご飯を食べに行くわけじゃないわよ。お腹が空いているのなら申し訳ないけど、できる限り手短に終わらせるから我慢してちょうだい」

「お、おう……」


 美少女からのランチの誘いだと勝手に早とちりしていた俺だが、どうやら違ったらしい。単に、何かしら伝達事項があるというだけなのだろう。確かに、彼女は一緒にご飯を食べるとは一言も言っていない。期待した俺がバカだったか。


「今日の話は内容が内容だけに、会議室を貸し切ってあるわ。このフロアの一番端、B302よ」


 廊下の奥の方を指さしながら、彼女はそう告げる。今更拒否するわけにもいかないので、俺はそのまま黙ってついて行く。

 会議室へと入ると、彼女はすぐに本題へと入った。


「それじゃあ、朝比奈君。早速頼み事についてだけど……」

「なあ、ちょっと待ってくれ。その前にその……な、名前とか教えてもらってもいいかな?」


 話を聞く限り、向こうは俺の名前を知っているようだが、俺はまだ彼女の名前を知らない。流石にそろそろ名前くらいは聞いておかないとマズいだろうと思い、何とか勇気を振り絞って尋ねた俺だったが、返ってきた答えは思いのほか冷たいものだった。


「え、あなたもしかして私のこと知らないの?」

「あ、えーっと……」


 やはり有名人だったようだ。言われてみれば、確かにどこかで見たことのある顔。名前については教室に掲示されている座席表を見れば誰でもわかるようになっているので、事前に把握しておくべきだったかもしれない。恐らく彼女は俺の名前を、そちらの方で把握したのだろう。


「す、すまないが、俺は君の名前をまだ知らない。教えてくれ」

「はぁ……まさかこの学校にいながら、私の事を知らない人がいるとは思わなかったわ」


 そこまで言うと、彼女は一旦間を置く。名前を言うだけなのに、何を考えているのだろう。


「……私の名前は海野沙輝。アニメ・ゲームの制作、漫画・ライトノベルの出版、グッズの企画製造、全世界向けアニメ配信プラットフォームの運営、オタク向け広告の配信、百貨店の運営、観光事業、エネルギー事業、軍事サービス業などを行う巨大企業、株式会社海野インダストリーの代表取締役社長CEOを務めているわ」

「…………!?」


 一瞬彼女の言葉の意味が理解できなかったが、数秒してようやく全てを解する。


「ま、マジで!?」


 普段、あまり大声を出したり派手なリアクションをしたりするようなタイプではないが、今回ばかりは衝撃が強すぎて自制できなかった。

 海野インダストリー、それは日本共和国最大のオタク企業にして、世界最大のオタク企業である。従業員数はグループ全体で三百万人、年商は百二十兆円を超えていて、これは世界の名だたる大企業の中でも、最大級の規模となっている。四代目社長である海野光一が急逝し、五代目として娘の海野沙輝が社長に就任してからは、現役JKが社長を務める会社としてもかなり話題となった。創業家である海野家一族は日本共和国の土地の約四分の一を所有していると言われており、中世より代々続く由緒ある資産家としても知られている。もちろん、総資産はダントツで日本一だ。


「ちょ、ちょっと待て。海野インダストリーの現役JK社長って、う、うちの学校だったのか。お、俺そんな話聞いてないぞ」

「あなたこの学校にいながら、本当に私のこと知らなかったの? ネットでは普通に学校特定されているし、第一学校中で話題になっているじゃない」

「いや、俺友達いないからそういう学校の話題とか全然耳に入ってこないんだよ……」


 悲しいが、これが現実だ。ぼっちだと周りの情報が一切入ってこない。


「ネットとかはあんまり見ないタイプ?」

「うーん、見るけど基本的には自分が興味のある情報や、生活する上で必要な情報しか検索しないな。海野インダストリーの社長がどこの高校に通っているかとか、声優がどこそこの大学に通っているとか、そういう有名人の私生活には全く興味がない」

「そう。まあうちはマンモス校で人数も多いし、私自身学校では偽名を使って通っているから、朝比奈君がそういうスタンスなら知らないのも無理はないわね。友達がいないなら、学校の噂とか話題も一切入ってこないでしょうし」


 耳の痛い事を言われてちょっとムッとするが、可愛いので許す。


「さて、それじゃあ気を取り直して本題に入るけど……」


 そう言うと、海野はクールな表情をより一層クールにする。朗々とした口調と相まって、とても様になっている。


「朝比奈君、私の社長補佐官になってもらえないかしら?」

「え? ほ、補佐官?」


 社長補佐官。聞きなれない言葉に耳を疑った俺は、念のためもう一度聞き返した。


「文字通り社長を補佐する仕事よ。仕事を通じて、適宜社長に対して助言や進言を行うことで、様々な面から社長を補佐してもらう。最初の三か月間については、試用期間という形にはなるけれど」


 意味がわからない。唐突になぜそんなことを俺に頼むのか。というかそもそも補佐官って一体何なんだろう。わからないことだらけだが、名前から判断するに、俺のような日陰者がやるべき仕事ではないだろう。ただ、即答で断るのは申し訳ないので、少しだけ詳細を聞いてみることにする。


「その……補佐官っていうのは秘書とは違うのか?」

「ええ、秘書とは違うわ。私には既に秘書及び秘書官が計六人ついているから、これ以上増やす気はない。あなたには、秘書とは違う形でサポートを行う補佐官として、働いてもらおうと思っている」

「わかった、だいたい理解したよ。でも、何でわざわざ高校生の俺にそんなことを頼むんだ?」

「様々な観点から査定を行った結果、あなたが一番ということになった」

「いやいや、待てって。普通に考えて、社長補佐官には秘書経験者とか、元エリート官僚とかそういう人間をつけたほうが絶対いいに決まっている。ド素人の俺に頼む理由なんてどこにもないだろ」

「いいえ、そんなことはないわ。あなたが選ばれた理由ならいくつもある。一つはあなたが高校生でありながら、自分でビジネスを起こしてそれなりに稼いでいるという点ね」

「え、な、何だそれ。俺は稼いでなんかいないぞ……」


 俺は月三百万円稼いでいるが、そのことは基本的に誰にも明かしていない。いや、というよりぼっちだからそもそもそういったことを話す相手がいないのだ。俺がこの事実を伝えているのは、学内では西沢先生や学院理事長といった一部の学校関係者のみ。他には一切話していない。彼らとは様々な取引をすることで、俺の身バレ防止のために色々と協力してもらっているので、情報が漏れたとすればそれ以外のところと考えるのが自然だ。

 表情を見る限り、彼女は全てお見通しといった様子。この場で白を切っても無駄なので、正直に全て白状する。


「……ああそうだ。俺は高校生プロブロガー。月に三百万円ほど稼がせてもらっている。だから今の話は嘘だ、すまない。でも、その情報は一体どこから仕入れたんだ?」

「国共党の中央情報部ね。先月から、彼らには私の補佐官候補として適切な人材を探してもらっていた。だから、あなたがプロブロガーであることも、フォロワー三百万人超のインフルエンサーであることも、IQ150超えの天才であることも全てお見通しよ。もちろん、国共党関係者からの依頼で世論工作をやっていることもね」

「マジか……てことは、俺の性格とかももう知っているんだよな?」

「ええ、知っている。あなたは他人、特に同世代の人間と群れるのが大嫌いで、アルバイトをしたくなかったからこの仕事を選んだ、そうでしょ?」


 首肯する。まさかそこまで把握しているとは驚きだ。


「でもさ、そこまで把握しているならなぜ俺にこの仕事を頼もうと思ったんだ? バイトが嫌でブロガーやっている根暗が、わざわざ補佐官なんて面倒くさそうな仕事をやるわけがない。こっちは、既に大金を稼いでいるんだし」

「あなたの性格を考えれば、そう簡単には引き受けてくれないということは、こちらとしても重々承知していた。だから、我々は破格の待遇であなたを迎えることにしたの」


 そう言うと、彼女は鞄からドキュメントケースと思しきものを取り出す。あの中に、待遇について記された書類が入っているのだろう。

 彼女が数多の資料の中から目的のものを探している間、俺の視線は自然と彼女の身体の方に吸い寄せられていく。やや控えめだが、制服越しでもはっきりとわかる二つの膨らみ。サイズはおそらくDくらいだろうか。引き締まったウエストとのバランスが絶妙で、男の理想的な体型といえる。容姿、スタイル共に完璧な海野だが、彼女の場合はさらに、世界最大のオタク企業の現役JK社長というステータスまでついている。まさにハイスぺ美少女だ。きっと、今まで男子から告白の嵐だったんだろう。


「はい、これ。とりあえず、二頁目の基本報酬の欄を見てもらえるかしら」


 見れば、当該箇所には月二百万円と記されている。


「えーっと、これは、試用期間も含めて月二百万なのか?」

「ええ、そうよ。試用期間中も報酬は出るわ」

「うーん……」


 正直微妙だ。破格の待遇と言っておきながらこの程度とは、俺も舐められたものだ。既にブログアフィリエイトやSNS運用、国共党関係者との取引だけで月三百万前後稼いでいる以上、わざわざこの仕事をやりたいとは思わない。


「朝比奈君、まさか報酬がそれだけだとは思っていないでしょうね」

「え?」


 どうやら、海野は表情から俺の不服を読み取ったらしい。さすが経営者といったところか。


「次のページまでよく読んでみなさい。そこには何て書いてあるかしら?」


 ページをめくり、上から順に読んでいく。節の終わりまで読み進めた俺は、そこに羅列された文字を見た瞬間、思わず声を出してしまった。


「じ、十億円!?」

「ええ、そうよ。もしあなたが補佐官としてこちらの提示する条件を満たした場合は、特別報酬としてあなたに十億円をあげるわ」

「うわ、マジかよ……」


 十億円、それはとてつもない金額だ。既に稼いでいる俺とて、流石にこのレベルの数字を提示されると無視はできない。とりあえずもう少し、聞いてみることにする。


「報酬については理解したよ。ただ、一つ腑に落ちないのはやはり君が高校生を補佐官にしようとしている点だ。確かに俺は稼いでいるけど、稼いでいるという点で考えるなら他にも候補はいくらでもいるだろ? 別に高校生である必要はないと思うけど」

「実を言うと、私自身は高校生の補佐官をつけることには反対だった。どちらかというと経験のあるベテランを欲していたのだけれど、秘書官や他の取締役が私と同年代の補佐官をつけるべきだって言い張ったから、結局は押し切られる形で渋々承諾したの。だから、私自身は別に高校生であるあなたを補佐官にしたいとは思っていない」


 まだこちらが決めかねている段階でのこの発言、普通ならこんな態度を取られれば即お断りだが、不思議と海野に関しては全く不快に感じない。やっぱり、彼女が可愛いからだろうか。


「……仮に俺がその補佐官とやらになったとして、具体的に何をすればいいんだ? ここには記されていない、特別報酬とやらの条件についても併せて教えて欲しい」

「とりあえずは、あなたが得意とする世論工作などを通して、社内で勃発している派閥抗争を解決へと導いてもらいたい。特別報酬の条件は、あなたの功績により、抗争が半年以内に解決されること。もちろん、朝比奈君が関与しない形で抗争が解決した場合は、特別報酬は支払われない」

「なるほど、そういうことか。実を言うと、俺も抗争の概要についてはある程度把握している。国共党関係者と取引する中で、何度かそういう話を聞かされたからな。とはいえ、俺は社外の人間なので全てを把握しているわけではない。話せる範囲で、抗争の詳細や内部事情を教えてくれないか。この資料には、そこまでのことは記されていないからな」

「その辺の詳しいことについては、同年代の補佐官をつけることを最初に提案したうちの上級副社長、もしくは私の秘書官にでも聞いておいてちょうだい。こちらが彼女たちのメールアドレスよ。彼女たちなら、ある程度は答えてくれるはず。私からの説明はこれで以上よ」


 そう言うと、海野は二人の氏名とメールアドレスが記されたメモを俺に差し出してくる。彼女はどうやら、忙しいのかこの場で詳細を話す気はないらしい。まあ、自分は元々根暗で他人と群れるのが嫌いなので、会社に入って何かをするのは正直ごめんだ。組織に属せば、人間関係のいざこざやトラブルを避けては通れない。


「もし、朝比奈君が今の時点で引き受けるというのなら、これから私と一緒に本社まで来てもらう。結論は出せた?」


 たったこれだけの情報で結論なんか出せるわけがない。そう突っ込みを入れたくなるところだが、怒ったところで彼女は何も教えてくれないだろう。ここは冷静に対応する。


「うーん、全体的にもう少し詳細を把握しないと判断できないな。たとえ十億くれると言われても、今よりも自由度が制限されそうな仕事はできれば避けたいというのが本音だ。とりあえず、結論を出すのは上級副社長とやらに話を聞いてからにするよ」

「了解。もちろん、会社としては是非あなたに来てもらいたいけれど、私自身は元々乗り気でないから、別に無理して引き受ける必要はないわ。変に気を遣わなくて結構よ」


 そう言うと、海野は席を立ち退室した。何となく、その場の流れで彼女の後を追う。

 海野は特に何かを話すわけでもなく、淡々と正門へ向けて歩みを進めている。陽キャならきっとここで上手い事会話を弾ませるのだろうが、残念ながら陰キャの俺にそのような能力はない。それに、先ほどから数人の学生がパパラッチの如く海野の周りに張り付いていて、正直落ち着いて会話ができるような状況でもないのだ。これが有名税ってやつかと驚かされつつ、俺は無言のまま海野と共に正門まで移動する。

 正門付近に着くと、海野は校内のロータリーに止まる一台の車へと向かう。恐らく社用車だろう。周りには、銃を携行したSPと思しき大人が何名もいる。


「私は午後から仕事なので、これにて失礼するわ。補佐官の件は明日までに連絡してもらえると助かる。連絡先は、秘書官の方で構わないわ」


 海野は淡々とそう俺に告げると、中年のSPに向けてドアを閉めるよう視線で合図を送る。SPによってドアが閉められ、社用車は本社へ向けてゆっくりと走り出していった。

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