第23話

いま、俺は夕食の支度をしている。特別なものを作っているわけではなく、カレーを作っている。二美子ニミコが小さい頃から作っていた俺の定番の料理。

そんなに上手じゃないから、料理。でも、二美子は嬉しそうに食べてくれた。美味しいって……。

くつくつと音を立てて煮込まれている鍋に目を落とす。


《回想》

「声帯に何かしらの異常がある訳ではないなら、心因的なものと考えるのが筋よね」

「そうか……」

「……いつから声が出てないの?」

「少なくとも…診察すっぽかした日の数日後ぐらいからだな」

退院に際して喉の異常や心臓に何かしらの負担がかかりすぎてないかのチェックをしてもらった結果、今のところ何かの異常があるわけでもなく、日常生活を送ることに問題はないとのことだった。けれど、声は戻ってこなかった。俺はどうしたらいいのか、二美子への対応に困っていた。

「そう…。基本的になにか有効な薬があるわけではないから、様子見なんだけどね。」

「同じこと言われた……」

内科、耳鼻咽頭科の2人の医師に診てもらったが、返答は梨緖先生と同じだった。そりゃそうだわな……。異常がないのに声が出ないんだから、二美子が声出したくないって思っちゃったんだろうな……。

分かってるんだ。原因も、きっと親父と会ったことで二美子の中で何かが起きたんだろう。


「……うーん、リハビリしますか」

「リハビリ?声帯は異常ないのに?」

「声じゃなくて、心のよ」

「心の?今も受診してるけど、それとは違うのかよ」

「ちょっと違うかな……あれはね、整理してるの、頭の中の」

「リハビリは?」

「二美子さんの人生を歩む準備かなぁ」

「二美子の?」

「そ、二美子さんの。自分で決めて、自分で歩んでいく人生。自分のための生き方」

「よく分からない」

「うーん、出来ることを見つけてく、で分かる?」

「出来ることを……」

「そ。守ってばかりではダメだと思う。二美子さんがいることで役割がないと、つまりそれが生き甲斐に繋がっていくと思うのよ」

「俺は二美子がいるだけで十分なんだが」

「そうね。よく分かる。でも二美子さんの生き方は彼女が決めなくちゃ。そのリハビリ。これはお兄さんにも必要だと思うのよ」



なんだか余計に分からなくなったけど……俺の課題は見えてきたような気がする。


俺はずっと、二美子の幸せを思ってきた。でも、うまくいかなくて……。辛い記憶だのストーカーだの、声もってかれるとか……。


俺だったらよかったのに。


そんなの全部俺が代わってやるのに。どうしていつも妹にゆくのだろうか?

俺の妹だと親父が連れてきたとき、こんなに小さくて可愛い生き物が俺の妹だなんて嘘かもと、ちょっと狼狽うろたえた。でも、いつも俺の後を追っかけてくる二美子が可愛くて……。お袋が辛く当たるのが許せなくて、ぶつかることもあった。でも、二美子を守りきれなくて、何て弱い兄だと許せなかった。お袋が死んで、タケルに会って、ああ、こいつが本当の兄かと羨ましかった。本当のことを告げたら二美子は去っていってしまうのではと、尊が兄だと言えなかった。尊が言えないのをいいことに、俺は黙っていたんだ。後ろめたくて、けれど愛おしくて。

肩を誰かに触れられてハッとする。

振り返ると二美子がいた。戸惑ったように俺の顔に触れる。


ああ……涙が……


どうしたの?

たぶんそういう表情だ。

「目に染みただけだ、大丈夫だよ」

二美がふいてくれている手を止めて、自分で拭う。

「今日はカレーだぞ。好きだろ?」

にっこり笑う、二美子。

言葉が発せられなくても、ここに愛しい妹がいて、一緒に飯が食えることは、幸せなことだよな。今日はそれでいいよな。

「二美子、サラダ作ってくれるか?」

パアッと表情が明るくなる。

「頼むよ」

頷く二美子。

こうやって2人で台所に立てる喜び。


尊と一緒に暮らすことについて、ちゃんと話そう。尊が兄であることも、ちゃんと伝えよう。尊がどう考えているのかを聞いてからになるけれど、俺たちのことだから、俺たちがきちんと整理した方がいいよな。

ご飯が炊ける匂いがして、コトコトと包丁がまな板に当たる音がして、こうしてきた十数年を噛み締めていた。

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