第9話

目の前に俺の母がいる。

実家に帰ってくるのはいつぶりだろう…。

学生の頃に見た母の記憶からは、やっぱり少し歳をとった気がする。

「珍しいわね。元気でやってるの?」

「ああ、元気だよ。母さんはどう?」

字面で見るとそうでもないかもしれないが、なんと他人行儀な空間か……。

まあ、こんなものか。家を出てからは、自分と裕太、二美子の3人が家族だという意識が強かった。俺が実家と距離を置いていたという事実がある。この空気感は俺のせいでもあるのだ。

久しぶりに母さんがいれるコーヒーを飲む。少し濃い、苦味のあるこの味…。

「ブラックで飲むようになったのね」

向かい側の席に座り、同じようにコーヒーを飲む母は、穏やかに笑った。そういえば、母の知っている俺はミルクも砂糖も入れていた。机に置かれた砂糖とミルクが母の中の俺の記憶なのだと感じた。

二美子が出してくれるときには砂糖もミルクもない。それが今の俺の嗜好なのだ。

「あのね、母さん。聞きたいことがあるんだ」

「なに?改まって……」

「俺に……妹がいたよね?」

明らかに母さんの表情が変わった。

思い出した。父さんと二美子がいなくなった時、2人の事を聞いたんだ。そのときの反応と同じだ。あの日、俺はそれ以上聞かなかった。けれど、今回は違う。

「今、どうしてるか知ってる?」

「……なぜそれを、今、聞くの?」

手元に視線を落としたまま、母は言葉を発した。いつかはこういうときが来ると思っていたのだろうな……。

「俺もモヤモヤしとくままだと、前へ進めなくて。ずっと聞きたかったんだ。でも、聞けなかったんだ」

母は、ため息をひとつついて、視線をあげた。

「あの人は、最後まで、私を苦しめるのね……」

「……あの人って父さんの事?」

「そうね、彼もだけど」


え? 彼も……?


「そうよね、前に進めない。タケルの言う通りだわ」

「ちょっと待っててね」

そういうと、母さんは席を立ち、何かを取りに行った。俺は軽く混乱していた。

父さんだけではなく誰か他に恨んでいる人がいる。順当に考えたら裕太の母さんか?

数分後、母さんは1枚の写真と戸籍謄本を

持ってくる。

写真に写っていたのは

「叔母さん……?」

そこに写っていたのは母の妹だった。歩き始めたばかりだろうか、小さい女の子を膝の上に抱っこして、笑顔で写っている。

あれ……叔母さんって……

「子どもがいたの?」

なんだか嫌な予感が頭を掠める。このタイミングでどうしてこんな写真…

戸籍謄本に目を落とす。


ああ……そういうことか……


それは二美子の戸籍謄本でそこの父のところには父さんの名が、母のところには叔母さんの名が書かれていた。


「叔母さんて若いときに亡くなったよね」

「そうね。心臓が弱かったのよ」


そうなのか……


「出産が堪えたんでしょうね。まだ二美子が小さいのに死んじゃって。それは可愛そうだなって思ったわよ。でも、まさかあの人との間の子だったなんて……」

「母さんは知らなかったの?」

「知ってたら、引き取らなかったと思うよ。私だって人の子だもの」

母さんは、写真を見ながらゆっくりと話し出す。

「でも、だからって二美子が悪い訳じゃなかったのに、私は酷いことをした……」

「どう言うこと?」

「うん。タケルは二美子が妹だと思ってたんでしょ?まあ、確かに母違いの兄妹ではあるけど。二美子が来た頃の記憶ってないんじゃない?」

そういわれてみると……。

困っている俺を見て、母は微笑んだ。

「そうだろうね。貴方がここで暮らしてたときからそうじゃないかなって思ってた。あなたにも辛い思いさせたね」

母は、俺の方をしっかりと見る。

「二美子がここへ来たのは、妹が死んですぐの頃からよ。シングルで産んだから、相手も知らなかった。だから、引き取り先もなくてうちに来たの。泣き虫ちゃんでね、食も細くて。けど、尊が抱っこすると泣き止むのよ。それが可愛くてね、たくさん写真を撮ったわ」

それは、記憶にある。俺たちの写真を父さんと母さんが撮っているところ。その写真をアルバムにしているところ。

「父さんはあなたが産まれる前からあまり家にいなかった。でも二美子が来てから家にいることが多くなって、嬉しかったのを覚えてる。今、考えたら…行く場所が減ったのだから、そうよね」


父さん、あなたって人は……


「ある日、二美子を正式に養女にしようってことになったんだけど、あの人が躊躇するのよ。で、問いただしてこういう事実が出てきたって訳」

「それっていつ頃の事?」

「二美子が2歳になる頃かな…。母さん、騙されたって思って、すごく父さんを責めた。で、また帰ってこなくなって。その怒りを二美子に向けた」

「母さん……」

「酷いね…分かってる…。でも、どうにも出来なくて。まだ人恋しい二美子に辛く当たった……。尊にも近付けなかった……お兄ちゃんを慕っていた二美子に……、二美子を可愛いと思っていたあなたに……、酷なことをしたわ。たぶん、その頃の事は、尊の中でなかったことにしたのね。」

母の目からは涙が溢れていた。ずっと言えなかった懺悔だったのだろう。俺はその間の記憶を消しているのか。俺も辛くて消していたのか……。

「2人がいなくなった日は、あの人が見かねて連れて出ていった日よ」

自嘲気味に話す母だが、話を進めれば進めるほど母の表情は穏やかになっているようだった。

「母さん、辛かったね」

「!尊……!」

「俺、いろいろ忘れててごめん。随分帰ってきてなくて、ごめん」

母は、頷きながら、頭を垂れていた。

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