第四章 狂の話

「あたしもなの」


 放課後もだいぶ過ぎて、辺りはどっぷりと日が暮れた、月と星が輝く濃紺の夜。

 K小学校の中庭に、私と親友は立っている。

 シャベルを抱えた親友は言った。


「あたしも、消えてほしい人がいるの」


 どこか悲しげな表情で、しかし決意を秘めた彼女の言葉を聞いた瞬間、私は悟った。


 彼女は、私を消そうとしている。


 先に彼女を消さなくてはいけない。彼女が、私の名を書いた紙を埋める前に。


 だから私は、死体を掘り返した穴に逃げるように走り向かって、ポケットから取り出した紙を、彼女の名を書いた紙を、投げ入れた。




 消えてください消えてください消えてください消えてください!




 私はしゃがみこみ、目を瞑って、必死に祈った。




 神様!

 彼女を早く消してください早く消してください!

 でないと――




 私が消される。




 ざっ……



 背後から、足音。

 しん、と静まった闇夜の中、砂を噛む靴の音が、ゆっくりと、少しずつ、近付く。

 その足音が誰のものなのか、常識で考えれば判る事だった。

 けれどその事実が、今の私には信じられなかった。

 私は見開いた目を音の方に向けるのが怖くて、確かめる事ができなかった。




 ざっ……




 恐怖に身が締め付けられた。

 体温がすっと消え失せて、痙攣したように体が震える。

 しゃがんで自分の体を抱き締める。


 そんな……


 歪んだ絶望が、脳に染みを作るように広がってゆく。


 彼女はまだ、消えていない。


 あのうわさは、七不思議は、やっぱり迷信だったのか。




 足音が、止んだ。

 辺りは再び静寂に包まれる。鈍く光る星空の下、冷えた夜風がざわめいて、化け物のような万年桜の木の影が幽かに揺れる。




 だめだ、だめだ、だめだ。

 消される、消される、消される。




「ねえ」




 親友の、声。

 私の中の恐怖は、限界を超えた。


「わぁあああああああああ!」


 私は振り向きざまに、手元のシャベルを振り払った。


 異様に激しく、湿った音が響いた。何かに当たった反動で、手がシャベルから離れた。

 一瞬、シャベルの取っ手が宙に浮いた。

 その先端部分、尖った鉄の切っ先が――


 親友の右のこめかみから、右目の下にかけて、斜めに突き刺さっていた。


 やがて重力に負けたシャベルは、梃子てこの原理で眼球をえぐり出しながら地面へと落ちた。


「え……?」

 彼女は一瞬の後、


「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああ!」


 耳を劈く断末魔。

「目がっ……いやあ! 痛い! 痛い痛い痛い助けて! 助けて!」

 膝がくずおれ、垂れ落ちた眼球を元に戻そうと必死で眼窩がんかにねじ込む親友の手から止め処なく赤黒い血が滴り流れる。


 現実が映し出すあまりにも非現実的な光景を、私は見ていた。

「助けて! 助けて助けて助けて助けて!」

 歪んだ顔で叫ぶ、親友。




 だめだ。




 私はやけに冷静だった。

 ただ、思考回路が完全に止まってしまっただけかもしれない。

 ただ、親友の流す血の量や、怪我の具合を見て、思った。




 彼女はもう、助からない。




「あぁぁぁぁあああああぁぁあああああぁぁぁぁぁぁあああぁあ」




 右眼から血液を。左目から涙を。口から唾液を滴らせ、彼女はびくびくとうずき苦しんでいる。




 楽にしてあげなくちゃ。




 私にできる、彼女へのせめてもの慰みであり、償いであり、慈悲だと感じた。


 だから私は、血に塗れたシャベルを、再び振りかざした。

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