第三章 歪の話

 その日私は早退し、その後二日間、学校を休んだ。

 休んでいる間、私は考えた。


 中庭にある万年桜の木の下に、消えてほしい人の名前を書いた手紙を埋めると、その願いが叶う。


 そんなの、迷信だ。ただのうわさ話だ。信じない。そんなものには、頼らない。

 そもそも、消えてほしいだなんて、もう二度と思わない。


 正直に、伝えようと思った。

 大親友の女子には、仲直りしよう、と。

 大好きな男子には、貴方が好きだ、と。


 例え私や親友が彼を好きでも、選ぶのは彼だ。破局しても良い。親友を恨むより何倍も良い。私が振られたら、それで良い。それでも私は、親友との縁をたいせつにしたい。もし、たとえばだけれど、自信は無いのだけれど、万一、彼が私を選んでくれたなら、私が必死に取り繕って、親友との縁を保ってみせる。だって親友だから。分かってくれるに違いない。

だから私は、正直に話そうと思った。




「学校、辞めたんじゃなかったんだ?」

 開口一番、親友だった女子は私に、そう言った。

 朝礼五分前。彼女と例の男子は、一緒に登校して来た。彼女は私の姿を認めると、険しい顔で、そう言った。

「彼に近付いちゃ、だめだからね」

 私の頭の中は真っ白になって、かける言葉も思いつかないまま、今日最初に鳴るチャイムを聞いた。


 私は諦めなかった。五年以上一緒にいる、大切な親友だ。失いたくなかった。

 けれどそう思っていたのは、私だけだったみたいだ。


 朝礼後の休み時間、私は親友の彼女に声をかけた。

「あ、あのっ」

 恐る恐る、手を差し伸べた。

 彼女は私の方を振り返る事すらせず、席を立った。向かう先は、私と彼女が大好きな、男子の席。彼女は彼と、彼を取り巻く他の男子たちの輪に入って、自然に談笑を始めた。

 昔から、たまにある事だった。

 私は声が小さくて、たまに、彼女も気付かない事があった。その後すぐに、ごめんごめん、と謝って、相手をしてくれる。

 今回もきっとそうだ。それに偶々彼らと話したい事があったから、気付かないままあっちに行ってしまったんだ。

 タイミングが悪かった。私はそう考えて、自分の席に戻った。

 その時初めて気付いた。


 自分の机が、傷だらけだった事に。




*     *     *




 嫌がらせはどんどん悪質になっていった。

 彼女に何度話しかけても、無視された。クラスメイトのみんなが、私の事を無視していた。

 机の切り傷は増え続けた。国語と理科の教科書が無くなった。引き出しには落ち葉やゴミが入れられていた。体育が終わって更衣室に戻ると、服が無くなっていた。


 それでも私は仲直りしたかった。諦めたくなかった。

 けれどそう思えば思うほど、現実との軋轢あつれきに心がすたれた。




 私は教室に居たたまれなくなって、いつからか、人の居ない中庭で、休み時間を過ごすようになった。少し怖かった万年桜のうわさ話など、その時の私にはもうどうでもよくなっていた。

 茹るような熱風と太陽光線の中、万年桜の大きな影と、季節はずれの桜の花弁が、癒し慈しむように、私を包んでくれた。




 ある日の放課後、私は中庭の万年桜の前に居た。帰り道での嫌がらせを避ける為に、敢えて遅く帰る事にしていた。

 そこに、大好きだった男子が突然現れた。

 私は心底驚いて、桜の木の裏側に隠れてしまった。けれど彼はまっすぐ、そんな私の元へやってきた。

「話が、あるんだ」

 彼は言った。


 嫌がらせを始めたのは、やっぱり親友の女子だった。彼は最初反対したけれど、無駄だった。それから彼女は、彼に強引に近寄って来たらしい。彼女の家に呼ばれて、誰も居ない時を計らって、彼女のなすがままにされた後、

『あたしと付き合わないと、無理矢理されたって言いふらすわよ』

 そう脅迫されたという。

 話した後彼は、真上に広がる万年桜の花を見上げ、物憂げな表情で呟いた。

「『消えてほしい人』、か……」

 それから、私の方を見た。

 誰も居ない中庭の、万年桜の木の裏側。大きな影に飲み込まれた二人だけの世界で、私と彼は見つめ合った。

「彼女が消えてしまえば、僕は君と話ができるのに」

 彼はそう言うと、少し照れたように、微笑んだ。

 私は心が生き返ったような気がした。

 胸が踊って、光が差して、気持ちが弾けた。




 私なら、彼の力になれる。

 彼のためなら、私は何でもしよう。




 彼のために、彼女を消そう。




 本気でそう思えた。

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