第二章 恋の話
好きな人ができた。
小学五年生になった時、一緒のクラスになった男子だ。
彼は背も高くなく、細くて、顔も中性的というか、優しそうというか、正直、弱そうな男の子だった。
好きになったきっかけは、新しいクラスになって初めての体育の授業。
私の苦手な、ドッジボールだった。
本当は最初からずっと外野に居たいのに、いつもやる気満々の男子達が、
「外野は重要だ! サンドイッチ作戦だ!」
とか何とか訳の分からない事を言って、腕に自信のある男子が占領してしまう。
だから私はいつものように、コートの隅っこをちょろちょろと逃げ回っていた。ボールに当たれば外野に行けるのに、当たると痛いし、飛んでくるボールはやっぱり怖い。いつもそんな板ばさみの気持ちになるから、ドッジボールは嫌いだった。
けれど、内野に居ればいつかは当たる。
ついに私は標的にされ、加減はしてくれるだろうけれど、男子が私に向かってボールを投げた。私は逃げる事もキャッチする事もできず、立ち尽くしてしまった。
そんな私の目の前に、例の男子が現れた。
彼は私めがけて飛んできたボールを、なんと顔面ではじき返した。
彼はボールの勢いに負けて、私の方に倒れ込んできた。私は咄嗟に庇おうとして、けれど支えきれなくて、一緒に倒れ込んでしまった。
彼はごめんごめん、と謝りながら立ち上がって、私の手を引いて起こしてくれた。
そしてすかさずこう叫んだ。
「顔面セーフ!」
クラスのみんなは、爆笑した。
彼が鼻血を垂らしていたからだ。
それから、敵味方両方のチームから拍手が起こった。
彼はその日、ヒーローになった。
単純で、ありきたりなきっかけかもしれないけれど、私は間違いなく、彼の事が好きになった。
鼻血ヒーローの話題の度に、一緒になって私の事も話されるものだから、彼と私は自然と話す機会が多くなった。
彼と話せば話すほど、好きになっていった。
けれど、彼の事が好きだったのは、私だけではなかったらしい。
小学校入学時から、ずっと同じクラスだった女子がいる。彼女と私は、とても仲が良かった。五年生になっても同じクラスで、六年生もこのまま変わらないから、彼女とは小学校六年間、ずっと同じという事になる。住んでいる地区も近いから、中学校も同じ学校になる予定だ。
そんな大親友もまた、その男子の事が好きだったようだ。
ドッジボールで起きた事は、もちろん彼女も見ていた。彼女は、もっと前から彼の事を知っていたらしい。
「彼に近付いちゃだめ!」
昔からまっすぐで勝ち気だった親友は、私に直接そう言った。
逆に私は気弱な性格だから、その時はつい、約束してしまった。
諦めよう。
けれどそれは逆効果だった。
近付いてはいけない、話してはいけないと、意識するほどに、彼の事が気になった。
欲情と抑圧の狭間に彷徨って、私はぐるぐると堕ちていった。
六年生になると、私は親友だった彼女とも、もちろん彼とも、口を利かなくなってしまった。近付く事はおろか、教室で二人の声が聞こえるだけで心が騒いだ。心臓を抉られるような、胃が締め付けられるような、脳を揺さぶられるような、強烈な嫌悪感に苛まれた。
そんな辛い気持ちで過ごす事になった、六年生も半ばの、ある夏の日。
教室の遠くの席で話していたクラスメイトの声が聞こえた。
『中庭にある万年桜の木の下に、消えてほしい人の名前を書いた手紙を埋めると、その願いが叶う』
それはこの学校に昔からある、うわさのひとつだった。
私も低学年の時から知っていたが、怖い話は嫌いだったから、無理矢理忘れたものだった。七不思議とも言われる、どこの学校にもあるらしい不思議で不気味で、少し怖いうわさ話。七つあるらしいが、私は他のうわさを知らない。知りたくもなかった。
それ故に、唯一知っているそのうわさ話は否が応でも耳に残った。
消えてほしい人。
嫌な考えが脳裏を過ぎる。私は慌てて振り払った。けれどまるで煙のように、私の中で生まれた悪意は纏わり付いて離れない。
だめだ。だめだ。だめだ。
この学校の校則には、こうある。
校庭に、物を埋めてはいけません。
だめだ。だめだ。だめだ。
それ以前に、私は何を考えているんだろう。
信じられなかった。
あんなに仲の良かった女の子の事を。
いつも気弱な私を先導してくれた、憧れの可愛い彼女の事を。
勝ち気だけど、とても優しかった親友の事を。
消えてほしいと、思うなんて。
涙が出た。それはすぐに溢れて頬を流れて、止まらなくなった。
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