第一章 夜の話

「万年桜のうわさ、知ってたんだ?」

 私は、少女に尋ねられた。

「…………」

 私は、まだ上手く喋る事ができないでいた。

「まあ、知ってたんだろうね。だから、ここに居るんだもんね」

 赤黒いランドセルを背負い、藍色のワンピースを着た、勝ち気そうな少女。六年間同じクラスだった親友は、再び私に問いかける。

「なら、こんなうわさは、知ってた?」

 彼女は口元をほころばせ、詩を読むように、優しくうたう。


「『万年桜の木の下には、昔行方不明になった女の子が、今も埋められたままになっている』」


「……っ!」

 私は息を飲んだ。心臓が止まってしまったかと思うと、今度は強い鼓動を打ち出して、嫌な汗が、さっと背中をなぞった。体が一気に冷えた気がして、全身に鳥肌が立つ。

「まあ、知らなかったんだろうね。だから、怯えてるんだもんね」

 彼女は金切り声で嘲笑う。


 放課後もだいぶ過ぎて、辺りはどっぷりと日が暮れた、月と星が輝く濃紺の夜。

 K小学校の中庭に、私と親友は立っている。

 彼女はゆっくりと、私の背後にある、万年桜を見上げた。

 それに釣られて、私も後ろを仰ぎ見た。


 万年桜の花弁は、完全に散ってしまっていた。

 闇に溶けた黒い葉だけが、冷えた風にそよいでいる。


 前に向き直ると、彼女は、再びまっすぐ私を見ていた。月明かりの逆光で、その表情は暗くて見えない。


「ほら、それよ」


 彼女が軽く指し示した場所には。


 散った万年桜の木の下には。


 つまり、私の足元には。




 そこには、手足を何度も何度も折り畳まれ、腐食して千切れた皮膚から骨が突き出し、もう残っていない眼球が星空を見上げている、泥のように黒い死体があった。




「……はぁ……はぁ……っ」

 悲鳴を上げる余裕などなかった。私は呼吸する事さえ必死になった。私の視界の中心にある少女の死体が、その大きく開かれた口からまるで呪いを吐き出しているかのように、私の体はその場から動く事が全くできなかった。

「うわさは本当だったんだね」

 風にまぎれて消えてしまいそうな程の、親友の声はそれでも、私に届いた。

 彼女は少しずつ、私に近付いて来る。

 彼女は、私と同じ物を持っていた。

「あなた、『消えてほしい人』の名前を書いた紙を、埋めに来たんでしょう?」

 すぐ目の前で、彼女は言った。

「あたしもなの」

 彼女は私と同じ、大きなシャベルを持っていた。


「あたしも、消えてほしい人がいるの」

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