第16話 孤独な惑星

 ロンリープラネット。それは唯一の生命体を育む地球のことで、その唯一さを「THE LONELY PLANET」=「孤独の惑星」と表現した。この場面は孤独さというのをソロを用いて物語る。

 吹奏楽でソロというのは最大の見せ場であり、普段は大勢で演奏しその1パートを担っている存在が切り取られる瞬間でもある。全体の演奏がソロに見合わなければソロが引き立たないし、ソロが全体の演奏に見合わなければ全体の演奏は完成しない。つまり、ただ上手いだけではソロを任せることはできないし、それ以前に周りとの調和を上手く取れない。実力や表現力はもちろん、周りをよく聞いてアンサンブルできる力と、堂々と吹ききれる自信、そして周りを信頼すること。これが上手くバランスがとれた瞬間、ソロというのは最大の力を引き出す。

 そんなソロを任せられた部員の音があちこちから聞こえてくる。クラリネットの部室に張られた表も少しずつ埋まり始め、理子は陶子と瑠菜に並び同率の1位になっていた。

「ねぇ。」

 冷たい言い方で理子を呼ぶ声。理子はそれに反応して視線を上げると、そこには両手にクラリネットを持って立つ蘭々が見下ろしていた。

「どうしたの?」

「ちょっと聞いてて欲しい。」と理子に頼んだ。他に2年生も3年生もいるし、1年生も練習をしているなかで、あまり関わりのない理子に聞いてきたことに疑問を抱きながらも「わかった。いいよ。」と答えた。

 蘭々は何も言わずに、理子のメトロノームを手に取ってテンポを変えた。そして立ったまま理子にその音を聞かせた。

 演奏されたのは宇宙の音楽のハルモニアの部分で、いつも蘭々が練習していた1stのパートだった。

 性格は音に出るというが本当にその通りで、蘭々から出てくる音はキツい。音も安定的とは言えなかったが、不思議と実力以上のものを理子は感じていた。

 幼少から嗜んできた音楽の知識と経験。何度も踏んできたであろう舞台。その全てが活かされていて、この部活で1番スポットライトを浴びることに映える演奏だった。そこで理子は初めて蘭々が選ばれた理由を思い知った。

 最後の音を吹ききると蘭々が「どう?」と聞いた。

「いい・・・と思うよ。」

 素直に感想を伝えた理子に対して、蘭々はいつもの自信はどこかへ飛んでいってしまったように理子には見えた。

 それからも蘭々の様子が変わることはなく、ただひたすら1人で楽譜に向かい苛立っている。その理由を誰も知ることはなく、時間だけが過ぎていた。

 

 週末の部活、理子が登校すると既に鞄が1つ置かれていた。理子は珍しいと思いつつも慣れた手つきで楽器を用意して練習に向かった。

 木工室まで続く長い廊下には誰かのクラリネットが響き渡り、理子が1歩ずつ近づくにつれてその音は大きくなっていく。理子が扉のガラス窓からそっと覗くと、そこには練習する蘭々の姿があった。その様子はどこか切羽詰まっているようで、今にも崩れてしまいそうなほど必死だった。

 理子はそっと扉を開けて中にゆっくりと入ると、蘭々はその瞬間理子の方を見た。

「お、おはよう。」

 とおどおどと挨拶をすると、蘭々は気にもせずに練習に戻った。

 相変わらずだなと思いつつも、理子はいつもの場所に荷物を置き椅子に腰掛けた。窓の外は微かに雲の隙間から見える太陽の明かりが校舎を照らし、影を長く延ばしている。そこに登校してくる他の部員達の姿とともに、運動部のユニフォームを着た生徒が登校してくるのが見えた。

 理子はそんな様子をまったりと眺めながらリードを取り付け、練習に取りかかろうとしていると

「ねぇ。」

 と蘭々が理子を呼ぶ。理子は咥えていたリードを口から離して、「何?」とのんびり答えた。

「いつもこの時間なの?」

「まあ、この時間が多いかな。」

「なんで?」

「特に理由なんてないけど。」

 理子は持っていたリードを取り付けて、メトロノームのぜんまいを巻く。そして机の上にそっと置くと、

「だからそんなに上手いの?」と小さく蘭々が言うのに対して、「え?」と上手く聞き取れなかった理子は反応して顔を上げると、いつもあった自信は全くなく、もどかしさが怒りに変わっているような蘭々の姿があった。


「2人とも朝早くから練習なんて感心ですね。」と雨宮先生は言いながら足を踏み入れてきた。小脇にはフルスコアを抱えている。そして蘭々の近くに行き、

「調子はどうですか?」と聞いた。蘭々が無言を貫くので、雨宮先生は理子の方に視線を向けて「桜庭さんはどうですか?」と聞いた。同じ質問をされると思っていなかった理子は思わず、

「だ、大丈夫です。」

 と咄嗟に答えたが、自分から出て来た意味不明な回答に理子自身も謎めいていると雨宮先生は「大丈夫ってなんだ。」と笑い飛ばしてくれたおかげで、その場の空気は和んだ。

「姫川さん、昨日のところをやりましょう。」

 雨宮先生は蘭々の指導を始めた。理子はそれを横目に見ながら自分の練習にとりかかった。

「そんなに自分勝手に吹かない。そこは他の楽器を引き立てないと。」

「はい。」

 雨宮先生の熱い指導が朝から始まっている。その様子を見ながら練習をしていたら、

「桜庭さん。まだ基礎練が終わってないかもしれないですが、一緒に吹いてあげてくれますか?」

「はいっ。」

 理子は慌ててメトロノームを止めて、楽譜をめくりハルモニアの書かれたページを開いた。

「では。さん、はい。」

 雨宮先生は蘭々のメトロノームが鳴らすテンポに合わせて声と指揮で合図をした。2人はそれに合わせて言われたところを吹いた。

「姫川さん。あなたは今何を聞いてました?」

「・・・メトロノームのテンポ?です。」

 蘭々は曖昧な答えを出したあと、

「じゃあ、桜庭さんは何を聞いていましたか?」

 雨宮先生は同じ質問を理子にした。理子は必死に演奏していたときのことを思い出して、

「姫川さんの音、です。」

「それはどうしてですか?」

「ここは1stが主旋律だからです。」

 雨宮先生その答えを待っていたようだった。

「聞きましたか?姫川さん。あなたに足りないのはアンサンブル力。周りを聞いて合わせる力です。」

「アンサンブル。」

「音楽の知識、経験はこの部内で1番あることは認めます。ですが、ここは吹奏楽部です。何十人という部員で1曲を作り上げる。今まで姫川さんがやっていたこととはわけが違う。声楽なら最後までずっと歌で、伴奏は伴奏。ミュージカルでも役割が途中で変わることはなかったと思います。でも吹奏楽は1曲のなかでころころと役割が変わる。クラが主旋律をやることも伴奏をやることもあって、その役割をちゃんと担うには自分が今どの立場で、いつ主役になるのかを考えなければならない。だからアンサンブルが必要。それが足りていない。」

 雨宮先生は持っていたフルスコアを開いて、

「これだけの楽器が集まって1曲になっている。もう少し周りを信頼することも大事だ。ここは確かにみんなライバル。でも、それは信頼があってこそのライバルでお互いが尊重をしつつも、いいところも悪いところも認め合っている。焦ってばかりではダメですし、自分は他と違うからと見下していてはライバルとしても取り合ってくれなくなりますよ。それにどれだけあなたが音楽で優秀だったとしても、楽器は初心者です。その点はみんなと同じなので、焦りは禁物。でも焦らなさすぎてもダメです。周りはこれからどんどん上手くなっていくので。」

 雨宮先生はそこまで話すと、「桜庭さんも同じです。それから付き合わせてしまって申し分けないです。ありがとうございました。」と丁寧に感謝し部屋を出て行った。

 理子が蘭々を見ると、蘭々は静かに俯いた。

「えっと、大丈夫?」

 と理子は様子を伺いながら声をかけると、

「蘭々、焦ってた。確かに楽器は初心者だけど、音楽いっぱいやってきた。だから上手くならなきゃ、周りに追いつかれないようって。だけど周りはどんどん上手くなって、どんどんいろんな知識つけてた。それを吹奏楽部入って初めて知った。上には上がいるんだね。そうやって焦ってるうちに周りとも打ち解けられなくなってて、どうしていいのかわからなかった。」

 蘭々は体ごと理子の方に向けて、

「今からでも、その。仲良くして。」

 やけに素直な蘭々に理子は不思議な感じがしたが、荷が下りたような蘭々の表情に理子はホッとしていた。それから練習の始めに、

「この前『蘭々は上手いから1st』とか『蘭々より下手』って見下したみたいなこと言ってごめん。」

 と素直に1年生のクラリネットに謝った。誰も蘭々を攻める人なんておらず、ようやく輪に入れた蘭々を歓迎した。


「たまにはさ、練習付き合って。り、理子ちゃん。」

「理子でいいよ。その代わり私も蘭々って呼ぶから。」

 顔を見合わせて照れ笑いをした。

 こうやって孤独だった世界をすり抜けて、これからまだまだ続く冒険への1歩をふみだしたのである。

 

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