第15話 最後の1人

 じめっとした日が続き、空はいつも灰色の雲がかかることが多くなった。

 クラリネットの部室に詩織先輩は手書きの表を貼って。

「スケールのチェック表。これが全部できるようになるのが1年生の目標だからね。ここにスケールの音階と名前が書いてあるから、誰かがチェックして合格このシール貼って。2・3年生は厳しめにチェック、お願いします。早速今日から始めようと思うから。」

 縦には音階の始まる音12個、横にはクラリネット1年生の名前が並んでいる表。

 吹奏楽部1年生全員に与えられた課題はメジャースケール、長音階とも呼ばれるものを習得すること。これは全音 → 全音 → 半音 → 全音 → 全音 → 全音 → 半音の間隔で上がっていくもので、例えばドから始まる音階だと「ド・レ・ミ・フ・ァ・ソ・ラ・シ・ド」だが、レから始まると「レ・ミ・ファ♯・ソ・ラ・シ・ド♯・レ」となり始まる音が変われば♯や♭、つまりピアノで言う黒鍵の音が使われる数も変わってくる。そんな音階を全て暗記で1オクターブできるようになるのが1年生全員に与えられた課題だった。


「理子どのくらいできる?」

「まだまだ。絵美は?」

「絵美も全然。上りができても、下がってくるときに間違えたりして。」

「それわかるかも。」

 部活が始まる頃はまだ真っ新だった表も、1年生が帰宅する頃にはシールが貼られていた。理子はその表を眺めながら横にいた絵美に、

「やっぱコンクール選ばれた2人はできるの早いね。2人とも1番多いじゃん。」

「そう言う理子だって2番目に多いよ?」

「でもこっからが問題。」

 1番できる数が多いのはコンクールメンバーにも選ばれた陶子と瑠菜。その次が理子だった。1番数が少なかったのは彩葉だったが、どこまでもマイペースな人で全く気にしていなさそうで「帰ろっか。」と片付けを終えた彩葉は言った。


 合奏室からはまだ練習中の音が聞こえてくるなか、3人は生徒玄関に向かう。

「あ、これ今週なんだっけ?」

 と絵美が立ち止まった先にあったのは1枚のポスター。地元のホールで行われる音楽会のポスターで、地域の才能発掘・育成を目的としていることもあり、出演者はオーディションで選ばれた小学生から高校生ばかりだ。

姫川ひめかわ蘭々らら声楽せいがく。」と彩葉はポスターに載った蘭々の顔写真の下に書いてある部分を読み上げた。絵美は一緒になってポスターを見て他の出演者の部分に目を通して、

「他はピアノにピアノにフルート・・・って楽器ばっかり。それもそっか。声楽ってこの辺りだとやってる人全然いないみたいだし。」

「そこまで頑張りたいならどうして吹奏楽部なんだろう?だって練習多いし、続けたいなら他のもっと活動が少ない部活とかに入ればよかったのに。」

 彩葉の抱く疑問は吹奏楽部の1年生が思っていたことだった。

 練習日には練習に参加することが決まりで、多くの人があたりまえのようにほぼ毎日ある練習に参加している。そのなかで蘭々は声楽のレッスンで週に1回は部活を休み、本番が近づくとその頻度は増えていた。


 蘭々が部活に来たのはそれから3日後のことだった。相変わらず人を惹きつけない雰囲気と威圧的な態度で部内では完全に孤立。何より、前にも増してその態度は大きくなっていた。

「ねぇ、何か怒らせたかな?」と絵美はその様子を不安になりながら理子に言った。

 その瞬間、部屋に大きく響く物音。それから蘭々の大きなため息。それに釣られて理子もため息が出そうだったところに入ってきたのは雨宮先生。そして1人ずつの様子に耳を傾け、たまに指摘する程度で見て回った。

 雨宮先生は蘭々の練習しているところに足を止め、耳を傾けた。その時間は他の誰よりも長く、何かを見極めているかのよう。そして何か納得したのか、雨宮先生はそのまま去って行き、その足でクラリネットの部室に雨宮先生は訪れ、

「クラリネットから姫川蘭々を追加しようと思う。」

 その場にいた誰もが驚くことしかできなかった。



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