第9話 響き始めた日常

 理子はいつものように部活に向かい、クラリネットの部室に足を踏み入れる。早かったのか来ていたのは1年生の新井絵美だけ。黒い髪を腰まで伸ばしたロングヘアに、白い肌。少しでけつり上がった大きな目。高級な猫のようなものを感じさせる。

 理子が入ってきて一瞬、絵美は理子の方を見た。理子は気にもせずに荷物を壁に寄せて置き、楽器を用意し始めた。毎日のように組み立てると手際もよくなり、組み立てる時間は以前にも増して早くなった。それでもまだ不慣れな感じは拭えない。

 理子が用意していると、絵美は嬉しそうに理子の横にしゃがみ混んで、

「ねぇ。」

 と話しかけた。理子は初めてのことに戸惑いつつ、絵美の方を見る。

「えっと。どうしたの?」

「理子って呼んでいい?」

 と聞いてきた。理子は断る理由もなく「うん。」とだけ頷く。

「やったー!絵美でいいからね。」

 見かけによらず内面は犬っぽい。

「なんで急に?」

「ん?ほら、あの彩葉ちゃん?が『理子』って呼んでたからいいなぁって思って。同じ小学校?」

彩葉いろは?」

 絵美の口から出て来たのは山下彩葉の名前。理子とは家も近所で保育園から今日まで同じ道を辿ってきた言わば幼馴染みの1人。合わせたわけでもないのにお互い吹奏楽部で、お互い同じ楽器になる。ここまで来れば腐れ縁も良いところ。

「うん。保育園から一緒。」

「そっかぁ。」と絵美は普通に言った。保育園から同じなんてことは、この町ではよくある話で珍しくもないのだ。

 ニコニコしながら絵美が理子に話しかけていると、続々と練習場には部員達が集まり始めていた。


 部活開始のミーティングが終わり、理子は組み立てた楽器を必要なものを手に抱えて立ち上がると、

「理子~。一緒に行こう。」

 絵美はまたも嬉しそうに理子に近寄ってきて、一緒に練習場の木工室へ向かう。

「理子って、なんで吹奏楽部入ったの?」

 理子はそう聞かれて正直に答えるか迷ったが、何となく濁して、

「他に入りたい部活なくて。なんとなく?」と答えた。

「絵美と同じだ。絵美も他に入りたい部活なくて吹部に入った!だから仲良い人と入ったって訳でもなくてさ。まあ、同じ小学校の先輩も1年も結構いるから話せる人もいるっちゃいるけど。まあ、そんなものだよねぇ。」

 と絵美は何かを自己解決した頃には木工室に辿り着いた。そしていつも通りの練習が始まった。8人いたクラリネットの1年生はいつの間にか6人になっていた。減った2人はバスクラリネットになり、パートもベースパートとして括られるようになっていた。それでも日常が変わることはなく、初めての楽譜が配られたものの練習の大半は基礎練習ばかり。とにかく基礎を身につけることで必死だった。

 理子は未だに出せない音に苦戦する。周りをみれば同じところで躓いているようで、理子は少しだけ安心しながら練習を続けた。


 不思議なことにあれだけ希望通りにならなかった楽器に対して、もう今さら何も思っていなかった。少しばかり残念な気持ちはあったものの、この運命と出会いを受け入れつつあった。それにそんなことを考えられないくらい時間は目まぐるしく過ぎていく。


「うわ。」

 理子は配られた吹奏楽部のスケジュール表を見て思わず声が出た。平日も休日も関係なく書かれる練習の文字。休みがあったと思えばそれはテスト期間で部活がないだけ。それを見た1年生は誰もが一瞬は驚くも、それが普通なのかなと思ってしまう。

「ごめんなさい。配るのが遅くなってしまって。1年生は基本的に平日は通常練習、休日は午前練習になります。先輩達とは少し違うので気をつけてください。」

 と理子はもう一度スケジュール表を見ると、2年・3年は平日は延長練習、休日は1日練習と記載され1年生の倍以上の練習時間が確保されている。

「それからもう少しで中間テストがあります。部活は学校ありきなので、部活が忙しいからと言って勉強は疎かにしないでください。あと、テスト明けに個人チェックをします。と言っても、皆さんが今どれだけできるのか把握したいので。できないからと言って心配する必要はないです。とにかく今できる全てを見せてください。」

 雨宮先生はにこやかな笑顔を見せたが、目の奥は笑っていない。理子にはその笑顔がとてつもなく怖く見えた。

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