第6話 ほど遠い場所
「はじめまして。クラリネットパートリーダー、3年の田村詩織です。よろしくお願いします。」
並んだ1年生に自己紹介をした彼女は短い髪を2つに結び、学年ごとに違う色の内履きは青だ。他の人は1年生のために何かをいろいろと準備していて手が離せなさそうだった。
「じゃあ先に説明しちゃおうかな。まずこの部屋はクラリネットの部室です。パート練習とか、こうやって荷物置いたりとかしてる部屋。だから明日からはこの部屋に来て荷物置いたり、準備したりしてね。それでクラリネットは見ての通り人数が多いし、種類も多いです。今からみんながひとまず練習するのはこれ。」
と詩織先輩は自分が使っている楽器を見せた。調べたら1番最初に目に付くであろう形のものを手に持って、
「これが1番普通?なやつで
と詩織先輩と同じ青い内履きを履いた部員が首からぶら下げている楽器を指して、
「これがバスクラリネット。名前の通りベースを主にやるクラリネット。見た目も大きいし、さっきのより低い音が出る。」
見た目は管が曲がりS字のようになり、サックスに近い形になっている。
「それからこれがE♭管。みんなは
と赤の内履きを履いた部員の横に置かれた楽器を指して詩織先輩は言った。
「B♭管よりも小さいし、高い音が出る。基本的にはB♭管と同じ動きだったり、フルートとかと同じだったりする。まあ、こんな感じ?他にもいろいろあるけど、基本的にはこの3種類を使うことが多いかな。早速、練習しようか。じゃあ・・・」
と詩織先輩は1人か2人の1年生に必ず1人の上級生がつくように分けて、
「とりあえずこれで。」
理子の前に立ったのはクセのある髪をボブにし、内履きは2年生であることを示す赤色だった。
「2年の井上あかねです。よろしくね。」
と軽く自己紹介をした。
「桜庭理子です。よろしくお願いします。」
理子も慌てて自己紹介をすると、あかね先輩は地べたに理子に地べたに座るように促したあと、持っていた黒いケースを差し出した。
「これ、理子ちゃんの楽器ね。開けてみようか。」
理子はチャックを開け、さらになかのケースを開けた。なかはコンパクトになったクラリネットが入っていた。黒い木に付けられた銀のパーツはメッキが剥がれて、大部分は緑の錆びが目立つ。そのクラリネットは理子の想像より遙かに輝いていない。
「ごめんね。古い楽器しかなくて。」
あかね先輩は申し訳なさそうにそう言った。周りの1年生が持っているクラリネットも、全て年期が入ったものばかりで、かなり長い間眠っていたことがわかる。
あかね先輩は指を指しながら、
「上から順にマウスピース、樽、上管、下管、ベル。これを組み立てるとあんな感じのクラリネットになる。」
最後に指差したのは、壁際に置かれたクラリネット。どれも銀メッキはそこまで剥がれていない、現役のクラリネットたち。
あかね先輩は一つ一つ丁寧にポイントを教えながら、理子に楽器の組み立て方を教えた。全てのパーツを組み立てると、やっとみたことのある形になった。
「これから部活に来たら、まずこの楽器を組み立てて。じゃあ、移動しよう。」
理子に組み立てたばかりのクラリネットを持たせ、あかね先輩は自分の譜面台と必要な小物を持って理子の前を歩いた。理子が着いていくと、そこは木工室で「この辺でいいかな。」とあかね先輩は椅子を用意して、理子を座らせた。あとに続くかのように他のクラリネット部員もやって来る。
「じゃあ、ちょっと待ってて。まだ取ってくるものあるから。」
しばらくして、あかね先輩はクラリネットを持って再び戻って来た。そして、理子の横に椅子を置いて座った。そしていろいろと用意しながら、
「理子ちゃんはクラリネット希望だったの?」
と興味本位に聞いた。
「フルート、希望でした。」
と正直に答えるとあかね先輩は「同じだ。」と答えた。
「私もフルート希望だった。ちなみにクラリネットが第一希望だった人いないんだよね。結構メロディ多いけど、別に目立たないし、まあ地味だよね。」
と苦笑いを浮かべたあと、「早速始めようか。」と理子から楽器を取り机の上に置いた。それから数枚の木の板のようなものを理子に差し出し、理子の手を見て、
「うわぁ。手小さい。ちょっと合わせてみてもいい?」
と言われ理子は右の手を出すとあかね先輩はそれに合わせた。指先3cm以上はあるその差は同じ中学生の手とは思えない。他の1年生と比べても小柄な理子の手は、それに比例して小さいくて指も細い。
「かわいい手。私、手は結構大きい方だから。」
と理子の手から話した自身の手を見てあかね先輩は言った。その手をそのまま伸ばして、楽譜入れのなかから1枚のルーズリーフを取り出した。そこには小ぶりな字で何かをいろいろと書かれている。
「まず、これを覚えてほしい。ここでは音は基本的に英語読みで言い合ってて、例えばクラリネットで
あかね先輩は念押しした。初めて読む読み方に理子は戸惑いつつも「はい。」と答えた。あかね先輩はさらに机に置かれた荷物に手を伸ばして、
「リードとりあえず3枚くらい渡しておくね。これがないと音鳴らないから。」
理子はそれを受け取った。理子の小さな手にもすっぽり収まってしまうほど小さな板は、半透明なケースに1枚ずつ入っている。
「じゃあ、これを出して。それから先の方を舐めて。」
とあかね先輩は言った。
舐める。これ舐めるの。美味しいの?
そんなことを考えながら理子は取り出して、先端の方を口に入れる。少しだけざらっとした質感だが、先端がとてつもなく薄いのは舌先でわかる。少しでも歯で力を加えれば割れてしまいそうだ。そして何とも言えない、初めての味が口に広がる。
「もういいよ。」
あかね先輩に言われて理子の口から話したリードは、先端が締めって少し透けていた。
あかね先輩は理子の持って来た楽器の上2つの部分、つまりマウスピースと樽がくっついた状態で取り外し、それを理子に持たせ、自分が持って来た楽器も同じようにして、理子に見せる。
「今からリードを付けるんだけど、こうやって指で押さえて、それで上からこの留め具。リガチャーって言うんだけど、これを付ける。それでネジを締める。」
あかね先輩は慣れた手つきでリードを取り付ける。そして、
「このリード斜めになってたらダメ。それから上過ぎても、下過ぎてもダメ。よく『髪の毛1本分は空ける』とか言うけど、そんなのわかんないから私は気にしてない。まあ、気持ち程度下ってことで。」
理子も見様見真似でリードを取り付けていく。ここまではみんな同じ段階をそれぞれ指導されていた。
「これでやっと音が出る。最初はとりあえずこの状態で音を出す練習。吹き方は、下唇を巻いて咥える。それで吹くときに、ここ。下唇と顎の間のところが真っ直ぐになるようにする。これが正しいアンブシュア。」
あかね先輩は下唇と顎の間部分に人差し指を置いて説明をした。
「あんぶしゅあ・・ですか?」
「あ、わかんないよね。アンブシュアってなんて言うか・・・楽器を吹くときの口との形のこと。この説明でわかるかな?」
理子は「はい。」と返事をした。
「じゃあ、音出してみるね」
あかね先輩が手本の代わりとして、目の前で吹いてくれる。しっかりと振動して音が鳴っているのがわかる音がした。理子も吹いてみるが、出てくる音は隙間に風が通り抜けていくだけの音で、音と言っていいのかわからない。あかね先輩が出す音とはほど遠く、足下にすらもほど遠い。
「難しいよね。私も全然できなかったし。」
あかね先輩はそうフォローをし、繰り返し練習していく。時間が経つに連れて百発百中とは言わないが、音を出せる人が増えた。次々と音を出せるようになるなか、理子はその日の最後まで音を出すことはできなかった。
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