第3話 曖昧

 「早速ですが。」


 雨宮先生は前から順に何かを配り始めた。前から後ろへと回っていくそれは、ざらっとした質感のわら半紙1枚。全員の手に渡ったところで、

「みなさんの楽器を決める前に、このアンケートに答えてください。難しく考えずに気楽に。」

 雨宮先生は余っていたアンケートを1枚手に取って、みんなに見えるように持ち、最初の文章を指す。

「最初に希望楽器。上から希望順に書いてください。欄の数と横に書いた楽器の数は同じですが、第何希望まで書くかは任せます。全て埋めても、埋めなくてもいいです。その代わり、やりたい楽器が複数あるからと言って同じ欄には書くのはダメ。1つの欄に書くのは1つの楽器だけです。」


 新入部員達は手元にあるアンケート用紙を見ながら先生の話を聞き、雨宮先生は持っていたアンケートを自分が見えるように持ち直して、

「えぇ、次に楽器経験。音楽の授業でやるようなピアニカやリコーダーは書かないで。習い事やクラブ活動で行っていたものを書いてください。楽器であればなんでもいいです。その横にはどのくらいやっているかを書いてください。最後に意気込み。数行でいいので書いてください。質問がある人は?」

 雨宮先生は視線をアンケート用紙から新入部員に移す。誰も手をあげる気配はなく、

「書き終わった人から先生のところに持って来てください。そのときに面談もします。まあ、ちょっと先生もみなさんのことを知りたいので。質問があればそのとき聞きます。まあ、初日ですし。交流も兼ねて話ながら書いて貰って構いません。ただ、騒ぎすぎないようにだけ。では始めてください。」

 雨宮先生のその合図で新入部員たちは手に持っていた筆記用具を取り出して、アンケートに取りかかる。机はないので、地べたにそれぞれが持っていた下敷きを使って書いた。


 それから5分後。最初にできた人が立ち上がり、雨宮先生の元へ提出しに行った。そして軽く話し込んで、すぐに終わる。そのたった1人を皮切りに続々とできあがった人が雨宮先生のもとに列を作った。雨宮先生は1人ずつアンケートを受け取り、名前の確認と軽く質問をしていく。

 楽器経験で1番多く書かれているのはピアノ。やはり人気のある習い事であることは間違いなく、なかにはコンクール出場者もいた。だが、管楽器経験者はたったの1人だけ。大半は楽器経験はなく、楽譜すらもまともに読めないと言う人が多かった。


 雨宮先生はアンケートを受け取り「桜庭さくらば理子りこさん?」と名前を確認した。

「はい。」と自信なさげに返事をした女子部員は、制服の胸元に“桜庭”という名札を付け、少しだけ茶色がかった髪をボブに切りそろえていた。真面目で大人しそう。体格は他の部員に比べると小柄だった。

「桜庭さんは希望楽器はフルートですか。楽器経験はピアノとこの、篠笛って言うのは?」

「小学校のときにクラブ活動でやっていました。」

「なるほど。」雨宮先生はその話を聞きながら、理子から渡されたアンケートに何かを書き足していき、「ピアノをやっていたと言うことは楽譜は読めますね。」と質問をした。

「はい。」理子はまた自信のない返事をした。

 雨宮先生はまたさらに何かを書き足し、理子の方を向く。

「桜庭さん。本当に吹奏楽部でよかったですか?」と真剣に聞いた。理子は返事に困り、目が泳ぐ。それでも、

「はい。」

 と答えることしかできなかった。

「はい、わかりました。これからよろしくお願いします。」

 雨宮先生は笑顔を振りまいてそう言い、理子は「お願いします。」と言うと自分が座っていた場所に戻った。その頃には列は長くなっていて、アンケートを記入している人はいなくなっていた。


 同じ小学校同士で集まったり、同じクラス同士で集まったりし、賑やかな会話が聞こえてくる。


 理子はその様子を見ながら、1人膝を抱えて座った。


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