第4話


 季節外れの暖炉の前に新聞を広げた。暖炉に青い紙を入れながら目的の記事に辿り着いた。


『運命な出会いを経て 妖精姫がゼベランの若き竜に嫁ぐ』


 堂々と大きく書かれた新聞の見出しを見て、私はため息を吐いた。


 あの日、彼と出会わないといけないのがこの「辻褄を合わせる」ためだった。嘘は真実を織り込んだ方が説得力が増すから。


 「普通」の貴族なら、ここまでする必要はなかったはずだ。だけど、アルブル家ではそれが少し違う。

 妖精を信仰するフルメニア国にとって、妖精の血筋が濃く流れているアルブル家は特別である。そのために、王族はできるだけアルブル家を国内に囲い、血が他国に流れないようにしている。


 何よりも、大勢の国民は妖精を今でも信仰している。だからこそ、「妖精姫」は国民にとって特別な存在だ。


『フルメニアの妖精姫がファルク殿下とアクイラ王子妃殿下の結婚式に参加し、護衛として訪れたゼベランの英雄を見初めた。情深き竜は妖精姫を望み、フルメニア国王直々に求婚をされた。中々首を縦に振ってくれない妖精姫が竜の情熱に負けて、ついにそれを了承した。

 ファルク殿下とアクイラ殿下との結婚に引き続き、妖精姫が竜のもとに嫁ぐ。これはフルメニアの安寧が約束されるのだろう』


 王の企みが見えた。書かれた記事を読めばわかる。

 私と彼の出会いが新聞記事らしくもない劇的で美しく書かれていた。

 これを読めば、人はどう思うのだろうか? 愛の力で凶暴な竜を懐かせる「妖精姫」に見えるだろうか? それとも皆も目で「妖精姫」が竜のもとに送られる悲劇の「贄」に見えるだろうか?


 どっちに転んでも、結果は同じだろう。

 どんな形であれ、「妖精姫」を人の心に爪痕にできるのなら、それでいいんだ。


 口から乾いた笑いがこぼれた。

 この筋書を用意した方は、国王だけではなく立派な劇作家にもなれるだろう。

 そう思いながら、暖炉にまた青色の紙を放り投げた。


 暖炉の火が強くなり、額から汗が流れる。

 背中にも汗が流れたせいで、服が皮膚にくっ付いている。


「気持ち悪い」


 最後に吐き捨てた独り言が真っ白な部屋の中に溶け込んで消えた。




* ・ * ・ *




「では、この書類にサインを」


 向かい側に座っているゼベラン国の使者がそう言った。隣にいるロートネジュ公爵は何も言わず、サインをした。彼からペンを貰い、私もそのまま無言な笑顔で彼のサインの隣に私の名前を書いた。


 使者がその書類に不備がないと確認したあと、一つ頷いてから安堵しながら笑った。


「これで大丈夫です。閣下、アルブル嬢、おめでとうございます」


 その祝いの一言を残して、使者が応接室から出て行った。部屋の中は静寂で、二人しか残されていなかった。ちらりと隣を見ても、相変わらず感情が読めない横顔があそこにある。


 正直言うと退出したい。だけど、彼より先に動くわけにはいかない。

 これからどうすればいいのかと迷っている最中、彼が先にソファから立ち上がった。


「案内する」

「はい」


 すっと、皮の手袋に包まれた右手が差し伸ばされた。

 私はこの屋敷をよく知らないといけないから、有無を言わずその手を取った。


 本日から私はこのロートネジュ公爵の屋敷に住み始めた。


 この日は私と彼の結婚式だ。正確に言うと、婚姻書類にサインをした日と言ったほうが正しい。式自体は来年の春、ゼベランの建国記念日に挙げる予定になった。

 英雄と妖精姫に相応しい結婚式や吉日、祝い事を分散することが大事である、等々。様々な事柄が上げられたが、おそらく一番の理由はそれではないだろう。

 あまりの滑稽さに笑いそうになった。それに耐えて、私は大人しくロートネジュ公爵の案内に従った。


 一階を淡々と周り、三人しかいない使用人も紹介してくれた。彼を小さい頃から面倒を見てくれた年配の女性、ハンナ。彼女の夫であり、公爵の執務を手伝ったり、屋敷を管理してくれるニコル。そして、二人の孫である私より五つ上のソフィは侍女として働いている。


 公爵家の屋敷としては明らかにも小さく、使用人も護衛騎士の数も少ない。

 そんな第一印象を抱き、内心首を傾けながら彼の説明に耳を傾ける。


 屋敷の所々に施された妖精と竜が施された少しちぐはぐな調度品に好奇心を奪われながら、一階の説明が終わった。最中でも、やはり彼は必要以上に話してくれなかった。

 例えば、「あちらは食堂だ」や「ハンナだ」など、余計な一言を口にしなかった。その紹介に対して頬を膨らませながら彼を静かに問い詰めるソフィの姿を見た時、正直倒れそうになるほど肝が冷えた。

 その行動はあまりにも主人と使用人を超えるようなものだったから。

 私の「当たり前」の中では、それが信じられなくて、ものすごく驚愕した。何よりも、ハンナやニコルがそれを見て、ソフィを咎めなかったことに対して。むしろ、その風景を当たり前かのように眺め、温かく、にこやかに二人を見守った。


 四人のやり取りはそう、まるで、まるで完成された「家族」そのものだった。


 胸が、名状しがたい不安で苦しくなった。

 その痛みを上がった息のせいにして、少し早い彼の足取りを追いかける。従えば、これからは二階に連れて行ってくれるみたい。重い足を何とか動かして、ゆっくりと階段を登ろうとした。


 だけど、やはり努力なんて無力であった。

 「残りあと少し」と自分自身への励ましは長旅の疲労には勝てないみたい。足から力が溶けた。「しまった」と同時に、体が前に倒れ、なかった。代わりに、背中から生暖かい温もりが伝わった。


(違う)


 よく知ってる温もりと違う。

 そしてそれが異様なほどに気持ち悪かった。その束縛から逃れるために、両手に力を入れた。私はあっさりと囲った手から解放された。次に目に入ったのは、僅かに開かれた蜂蜜色の瞳だった。


(しまった、なんということを!)


「す、すみません、あの、ありがとうございます。ですが、大丈夫です。ちょっとだけの不注意で足が絡まってしまって」


 感謝と言い訳が混合された。知っているのは無礼な行動を取ってしまったことのみだった。足からさらに力が抜けた。

 顔にはもう立ち上がれないという羞恥心の熱と、背中には目の前にいる人に対する恐怖の寒さが広がる。混乱している頭を抱え、次何をすればいいのかと模索していたら、ふっと体が浮いた。


 いや、浮いたのではない。ロートネジュ公爵は私の膝裏と背中に手を回して、抱き上げたんだ。

 何をされたかに気付くと、より慌てだした。


「あの、大丈夫です! 自分で歩けます!」

「危ないから暴れるな」

「閣下!」

「……君を部屋まで案内するだけだ」


 その言葉で私の動きも反論が封じられた。

 任務を遂行しているだけだ。そんな雰囲気を漂わせている温度が感じられない声色だった。邪魔してはいけない気持ちになった。

 それに、今彼は私を横抱きしながら階段を登っているのを思い出した。私はともかく、彼にも怪我などしたら大変なことになるだろう。

 離すまいと語るように、彼が私を抱え込んだ。その拘束に身を委ね、小さく呟いた。


「すみませんでした」


 謝罪の言葉は無言で返された。その代わりに、拘束する手が少し強くなった。


 とん、とん、とん。


 先ほどまでの歩く速度が嘘のように感じるほどに彼はゆっくりと階段を登っている。

 緊張しているはずなのに、目蓋が重い。そのゆるやかな歩調が疲れてる体の眠気を誘ってるだろうか。抗おうとしたが、駄目だった。

 体が彼の温もりに包まれている。眠いからなのか、先ほど体の中から湧いた拒絶が少し薄まった。


 それでも。


(やっぱり、違う)


 感覚が自然と違和感を拾った。

 あの人の体温はもっと高かった。握る手ももっと優しかった。笑顔がとても素敵だった。

 そうやって私はまた自らの手で掘り起こした。燃やして灰にして深く埋めたはずなのに。

 性懲りもなく同じ失敗を繰り返してしまう自分に嫌気を差しながら、深い眠りに落ちた。




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