第2話


 二人を目撃してから、数日が経った。

 不安と猜疑心に支配された数日だった。


「シエラ、僕はアクイラ王妹と結婚する」


 そして、これは長い間会えなかった婚約者の開口一番のセリフだった。


 その言葉に私は「やっぱり」と脱力した。

 むしろ、市場で彼を目撃した時から、この瞬間を待っているかもしれない。


 違和感など、もう前から抱いていた。ただ、今までそこから目を背けただけ。

 最近、私といても彼の心はここにあらず、どこかぼーっとしていた。私と会う時間も頻度も徐々に減っていく。代わりに多くなったのは彼が吐いたため息の数だった。

 体調が悪いのかと心配して彼に問えば、返ってくるのは「大丈夫だ」という一点張りのみ。


 そして、増えたのは彼のため息だけではなかった。

 「案内」と称され、彼が隣国の王妹殿下と会う回数も増えた。


 赤髪をなびかせる、アクイラ殿下と。


 こんなの、私が勝手に出した結論だと頭ではちゃんと理解している。

 でも、あの市場での風景を思い出すたびに胸がズキズキと痛む。


「わかりました」


 ぐっと左手に力を入れて、いつも通りの笑顔を作る。

 あまりにもあっさりとした返事からなのか、ファルク様は目を丸く開いた。あまり見ない表情に心を揺さぶられた自分に嫌気が差した。

 彼の反応に対して、さらに笑みを深める。


「だって、国のため、ですよね?」

「……そうだ」


 嘘つき。

 それだけではないくせに。


「なら、仕方ないですね」


 ざわめく心を悟られないために、視線を手元にあるカップに移す。


 我々の国、フルメニア国のため、というのは確かな事実である。

 自然豊かで、海に囲まれた小さな国であるフルメニアはよく他国に狙われている。それだけではなく、唯一陸で繋がってるゼベラン国のより北にあるルナード国が昨今不穏な空気を漂わせている。

 軍事に力を入れたゼベラン国を他国への抑止力に、ルナード国との間の緩衝材に。

 その代わりに、フルメニア国は優先的に物資をゼベラン国に流す。ゼベランとルナードが休戦中とはいえ、いつ勃発してもおかしくない戦争に備えるために。

 だから、二つの国の間に同盟を強めることは必然となる。


 その証としては、ゼベラン国の国王の妹、アクイラ殿下が宛てがわれる。

 そして、アクイラ殿下と身分的に釣り合い、唯一正妃を迎えてない王族はファルク様のみ。


 アクイラ殿下と何回か顔を合わせ、会話を交わす機会があった。彼女の言葉選び、振る舞いから王族の高貴さと慈愛が溢れている。だけど同時に、夏の花の溌剌さと気安さも備えている。

 二人が並んで、政治的な話はもちろん他愛もない会話を咲かす姿を見る度に胸が痛くなる。毎回、言葉にできない不安を無理矢理呑み込んだ。二人の間に流れる親密な雰囲気を眺めながら、後ろで拳を握ることしかできなかった。


 だからなのか。

 怒りよりも絶望だった。

 悲しみよりも諦めだった。


 どんなに努力を積み重ねても、私が彼に向けるような感情で彼は返してくれなかった。

 もう、彼の一番になれない。


 そう、頭で理解できても、決定的な言葉にしてくれない彼の中途半端な優しさは私の気持ちを宙ぶらりんにする。

 中途半端に意地汚く、「もしかすると本当に国のためだけ」という希望に縋っている。

 そんな自分が彼らの後ろに立つことを想像すると吐き気がする。

 それを今、笑顔で被せる。


「だから、私は大丈夫ですよ? アクイラ殿下と何回もお会いしたことがありますし、仲良く過ごせると思います」


 拳を握る手に力を入れ、願望を主張で包み込んだ。ぐちゃぐちゃに混ざり合う感情を抑えながら優しい彼にそう伝えた。

 王族や貴族なんて、一夫多妻。だから、いつか彼が現国王のように複数の妃を娶る可能性だって大いにある。

 それを理解しているから、せめてのこと、彼の正妃になりたかった。

 

 私の精一杯の強がりに、彼は顔を顰めた。どこか、傷ついたかのような顔だった。

 一瞬、心が弾んだ。


 だけど、彼の口から予想外の言葉が出た。


「違う」

「え?」

「違うんだ、シエラ」


 ファルク様は顔をしかめ、首を弱く横に振った。

 悪い予感が背中から首に走る。


「僕達の婚約が、解消されたんだ」


 一瞬、言葉が理解できなかった。

 そんなはずがない。だって、この国の王族はアルブル家の家名を必要としているはずなのに。


「……どうして」

「……君の、新しい嫁ぎ先が決まったからだ」


 その言葉に、私は息を呑んだ。

 解消された婚約。新しく決まった嫁ぎ先。

 知っているはずの単語なのに、頭がそれらの意味を見いだせないまま、ファルク様は話を進めた。


「同盟の証として、アクイラ王妹が僕の正妃に。だけど、そのままなら釣り合いが取れていないと、ゼベラン側が主張した」


 淡々と、音が流れる。

 大好きな声のはずなのに、今は聞けば聞くほど胸が冷えていく一方。


「フルメニアには王女がいない。だから、その代わりに王族とも同等と言えるアルブル家の令嬢が選抜された」

「それは、わかっています。わかっていますが……」


 妖精の愛し子の子孫であるアルブル家。

 遠い昔、アルブル家の先祖は妖精と交わり、子孫を残した。そのために、妖精を信仰するフルメニア国では特殊な立ち位置にある。

 血の純度により妖精と意思疎通や祝福に必要不可欠な「妖精の言葉」が扱える人材を多く輩出した、王族にも劣らない特別な家柄だ。


 理屈がわかった。

 わかったが。


「なんで、私……」


 だって、アルブル家には――。


 ――バン!


「お嬢様、おやめください!」


 メアリの制止を無視し、一人の女性がずかずかとファルク様の前まで歩いている。

 彼女はファルク様を冷たく見下ろす。


「……ロディネ」

「こんなの、聞いてない」

「……急遽、決まったことだからね」

「そういうことじゃない! 私が納得できないのがシエラの嫁ぎ先だ!」


 ロディネ、私のお姉様は声を荒げた。

 感情的になったお姉様は、何年振りだろうか。


こんなに、場違いな感想を抱けるほど、私は蚊帳の外だ。


「何でよりによってシエラがルカ・ロートネジュに嫁がないといけないの!?」


 新しい嫁ぎ先の名前を聞いて、私は天井を見つめる。


 ゼベランの若き英雄、ルカ・ロートネジュ。

 「英雄」という呼び方は聞こえがいい。だけど、彼の呼び名はそれだけではなかった。


 殺戮者、戦争狂い、同胞殺し。

 煌びやかな戦果と共に並べられた血生臭い呼び名。


 そうか、そんな相手に私は送られるのか。


「あちらも、あちらの事情があるんだ。僕たちと違って、貴族でも一夫一妻制の国だ。国王は四年前停戦の証としてルナードの姫君を迎えた。彼以外は全員姫君で、大公などもいなかった。なら王族の次に相応しいのがロートネジュ家だ」

「……こちらからはアルブル家の娘を差し出せばいいでしょう? なら、私が行くわ」

「それは、無理だって君も分かっているだろう?」

「無理なことはないよ。今までもアルブル家が諸外国に嫁ぐ事例なんていくらでもあるわ」

「でも、君は……君だけは駄目だ」


 二人のやり取りをただただぼーっと見つめる。

 本当に、他人事のように感じてしまう。でも、そのおかげで客観的に状況を見つめ直すことができる。


 三歳上の姉、ロディネお姉様は妖精の言葉が扱えるだけではなく、先天的なそれをどう後天的にできるかを長年研究している。王族もそれを支持し、援助もしていると私は知っている。


 守らないといけない妖精の言葉に精通している上にそれを次世代に繋ごうとしている姉。

 姉と違って妖精言語ができなくて、その見た目だけで「妖精姫」という肩書を与えられた妹。


 どちらを他国に差し出すか、答えが明白だった。


 だから、答えは一つしかない。

 いや、もう前から一つに決まったものだ。


「お姉様」

「……シエラ」


 未だにファルク様を見下ろしているお姉様の肩を撫でる。

 ここまで、私のために感情的になってくれた。その姿に喜びと罪悪感を抱いた。


 こんな感情を抱くまま、姉の顔が見られるわけがない。


「……ファルク殿下」


 姿勢を正し、顔を上げる。

 ここで、俯いてはいけない。私は、誇り高いアルブル家の娘だから。


「謹んで、お受けいたします」


 今まで沢山笑顔の練習をしてて、本当によかった。

 唇が僅かに震えているように感じるが、おそらく気のせいだろう。


「シエラ!」


 私の返事に納得できないからなのか、お姉様は私の肩を掴んだ。

 眉間に皺を寄せるなんて、お姉様らしくないな。


「……引き受けてくれて、ありがとう」

「いいえ、当然のことです。国のためですから」

「そう、か。……そうだな」


 ため息を一つ吐き、ファルク殿下は立ち上がる。

 私たちに一瞥をしないまま、扉の方に歩いた。


「詳細は、陛下がアルブル侯爵に直接知らせてくれる」


 それだけを言い残し、彼は退室した。


 部屋の中に、私とお姉様、二人だけ残されている。


「なんで……どうして……」


 姉はそう呟き、ぎゅっと私を抱きしめる。

 彼女の暖かい抱擁は、私の罪悪感を刺激する。


 こんな風に、愛情を向けられる資格なんてなかったのに。

 だって、私はほんの一瞬だけ己の保身のために「何でお姉様ではないの」と思ってしまったから。


 唇を噛み、胸から広がる痛みを耐える。

 強く握った左手から力を抜けば、そこから皺だらけになった、二羽の青い鳥が寄り添っているハンカチが現れた。

 まるで、今の私みたいだ。


 一番目になれなくても、二番目になれる。今までそう信じて疑わなかった。

 それでも、私は幸せになれる。彼の隣にいて、彼の役に立てるのなら、それでいい。


 でも、大好きな人の二番目にすらなれず、大好きな姉を犠牲にしようともしている。

 そんな私にどんな価値が残っているのだろうか。


 もう、自分自身のことがより嫌いになった。



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