それでも、私は幸せです~二番目にすらなれない妖精姫の結婚~

@s_itoma

第1話


 私は来月、幼い頃から大好きな人と結婚する。

 そのはずだった。


 それは、雲一つない、空が青く広がる日だった。


 私はアルブル侯爵の次女、シエラは自国であるフルメニア国の第二王子であるファルク様の婚約者だ。そして、私たちは来月、私が十六歳になる日に結婚する予定。

 政治的な理由で結ばれた関係とはいえ、私はファルク様を慕っている。だから、今年の誕生日がとても待ち遠しかった。


 何年も成人になるまで、私を支えてくれた彼に感謝の印を贈りたい。

 そのために、孤児院の慰問の帰りに侍女のメアリと護衛と共に城下町に向かった。

 軽くステップを踏みそうになった足を諌めながら、あれではない、これではないと頭を抱えてる。背後から生暖かい視線を感じるが、むず痒いから気づかないことにしておこう。


 太陽が頭上を照らす頃。

 春の涼しい風が吹き始めたが、それでも体から汗が流れた。


「シエラお嬢様、こちらへ」


 私の疲労を察してくれたのか、メアリが木漏れ日が落ちる場所に案内してくれた。飲み物を買ってくる彼女の言葉に甘えて、大きな木の下に置かれたベンチに腰を下ろした。

 賑わっている市場の中に溶け込む背中を見守りながら耳が含み笑いの音を拾った。


「結局、それを買ったのですね、お嬢様」

「もう、悪かったね、優柔不断で」

「いえいえ、そんなことはありませんよ」


 私の膝の上に置かれた紙袋を見て、護衛の方が小さく笑った。

 二時間近く歩き回った結果、私が買ったのは真っ白なシルクハンカチと青色の糸だった。ブローチやカフスなども視野に入れたが、最近の物価の上昇を考えた結果、手を伸ばさなかった。

 と、いうのが理由の一つに過ぎなかった。

 贈るのなら手作りがいい。そう思いながら袋の底から覗く青色を見て、自然と唇が綻ぶ。


 青色。

 ファルク様の色でもあり、私の色でもある。


 最初は彼のことが好きどころか、すごく怖かった。

 この見た目のせいで、同年代から遠ざかられて、友達がいない。

 だから当時、家族は私の世界の中心だった。


 平均よりも背が低い十歳の私にとって、四つも年上の男性は恐怖対象にすぎなかった。

 父の足のうしろに隠れて、彼を見上げた時の記憶は今でも鮮明に覚えている。

 だけど、律儀に自筆で書かれた青い封筒の手紙を受け取る回数に比例して、心に「すき」という感情が降り積もっていく。

 彼の行動一つ一つ、いとも簡単に私の心を揺さぶる。

 目線、贈り物、時間。そして、言葉も。

 気づけば震えが温もりに、温もりが恋に芽生えた。


 血筋と見た目だけで選ばれた、そんなことは誰よりも理解している。周りの人にだって「何故優秀な姉の方ではないのか」と囁かれていた。

 その上、彼が私に向けた感情と私が彼に向けた感情が同じではないことも分かっている。

 だからこそ、祖国のために努力している彼を支えられる伴侶になるために、沢山頑張った。

 聡明なお姉様に及ばなくても苦手な勉強も、他者からの心ない言葉を何もかも、何年も耐え抜いた。


 その結果は、来月の結婚式だ。


 だから、今は私の人生の一番幸せな時だ。

 さあ、この青色で何を描こう?

 今回は幸せの象徴である青い鳥がいいのだろうか? それとも彼の大好きな青い薔薇がいいだろうか?

 一ヶ月後が待ち遠しい。王子妃という立場は決して楽なものではないが、それでも待ち遠しい。

 ようやく、背後に忍び込んでいる不安から解放され、堂々と彼の隣に立てるから。


「ほら、お嬢様。飲み物が来ましたよ」


 そんな幸せな未来像に浸っている私を現実に引っ張り戻してくれたのは護衛の声だった。

 顔をあげれば、人数分の飲み物を買ってきたメアリの姿が、目に――。




 メアリの向こう側にいる二人組以外、全部霞んで見える。

 目に映るのは、古びた茶色の外套だけだった。使い込まれたそれを、見間違えたりなどあるはずがない。

 だって、数え切れないほど、その外套の隣を歩いたから。


「ファルク様?」


 あれは、ファルク様がお忍びをする時に身につけるものだった。


 そう確信に近い何かを感じた直後、思考が氾濫する。

 混乱している頭が次々と疑問を投げかける。

 何故彼がここに? 今日は外交の仕事で忙しかったはずなのに。手紙にそう書いてあったはずなのに。彼は私に嘘をついたのか? そんなはずがない。彼だけがそんなことをするはずがない。


 彼の手が動いた。

 出口のない猜疑心がさらに刺激された。

 だって、その手は彼の隣にいる、フードを深く被っている女性の肩に置かれていたからだ。


 この時、私の感覚は完全に遮断された。

 耳の、口の、肌の感覚を全部失った。感じるのは、胸から全身に広がる不規則に叩く衝撃だけだった。


 ファルク様は親しげに顔が見えない女性をエスコートしている。

 女性がファルク様を手招き、彼の耳に何かを囁いた。

 フードから覗いた二人の唇が笑みを咲かす。


 親密に、甘く。恋人同士のような仕草だった。

 私に見せたことのない仕草だ。


 頭が目の前にある風景に対して拒絶反応を起こした。

 もしかするとあれは別人だって、ファルク様ではないって。万が一ファルク様だったとしても、彼が仕事としてあの女性を案内しているだけかもしれない。

 もしかすると、私の早とちりで勘違いにすぎなかったかもしれない。あまりにも不特定な要素が多すぎて、早まって決めつけてはいけない。

 そう、次。次、彼と会う時に確かめればいいんだ。感謝の気持ちが込められたプレゼントを渡して、彼に今日のことをさりげなく聞けばいい。きっと彼は私を安心させる答えを出してくれる。彼を信じさせてくれる。


 そう希望を抱いて、青い糸を胸の中にぎゅっと抱きしめる。


 その時、風が吹いた。

 優しい葉擦れと共に、男性の外套から紺色の継ぎ合わせが揺らぐ。昔、破れたファルク様の外套を直すために私が使った布と同じ色。

 風で女性のフードが頭部からずり落ちて、燃える炎のような赤髪が曲線を描く。同時にファルク様は女性を抱き寄せた。


 青い糸が詰まっている紙袋が地面に落ちて、鈍い音を立てる。


 賑わう人の声、メアリと護衛騎士の声、乾いた口の中。

 体が感覚を取り戻した。

 それでも、私は寄り添う二つの背中から目を逸らすことができなかった。


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