第242話 『灰色の何か』

 一方、少し前、剣神道場では。


「ふっ!」


「ーーーっ!」


 交流戦を控えているエリーゼ、セレスティア、バロールの三人を中心に、今日も鍛錬に取り組んでいる。


 エリーゼは最近、模擬戦では敗北が続いている。刻一刻と迫る最愛の少年……青年との再会に胸を躍らせ、気持ちが逸っているせいか、相手に見せる隙が多く、そしてそれが致命的となることが多々ある。


「エリーゼ。気持ちは分かるが、少し力が入りすぎだ」


「分かってるわよ。こんなはずじゃないのはあたしが一番分かってるもの」


 リベラの言葉に少しばかり苛立つエリーゼ。これまでにこの道場内で敗北を喫したことが無かったこともあってか、敗北続きの自分にうんざりしている。


 エリーゼは当然、道場内のエースとして、学院一位であるベルと戦う。そんな彼女が、自分よりも実力が下であるセレスティアや、その更に下であるバロールにまで負け続けているというのは、道場にとっては非常事態と言っても過言ではあるまい。


 もちろん、代表選手となっている剣士以外には依然として敗北の経験はないが。


「エリーゼ、もう一本やる?」


「……いいわ。少し休ませて」


「ああ、わかった」


「じゃあ、バロールはアタシと一対一で戦ってもらおうか」


「お、お願いします、師範!」


 エリーゼは建物内に張ってある薄く頑丈な結界を一瞬だけ解き、外へ出た。


 あと一ヶ月足らずで、交流戦は開幕する。何年も待ち望んだベル・パノヴァとの再会が、エリーゼは楽しみで仕方がない。


 四月一日はベルの誕生日である。誕生日までに再会が間に合わなさそうなのが少し残念なところだ。


 エリーゼは、ベルと再会をするだけでは終わらせない。


 自分の気持ちを、はっきりと伝えるつもりなのだ。


 エリーゼがベルを愛してやまないことなど、誰もが知っていること。しかし、こうして成長してからは、相手にしっかりと気持ちを伝えたことは無かった。


 アラキアにて、ベルが『砂嵐』の『四皇』と死闘を繰り広げた後、生きて帰ってきたベルにも思わず飛びつき、頬に口づけをきてしまったことはあったが。


「はぁ……早く会いたいなぁ……」


「ほんと、そのベルって男のこと好きすぎじゃない?」


「セレスティア……」


 道場で一番仲の良い、セレスティアがエリーゼの様子を見に来た。エリーゼの独り言は丸聞こえだったらしい。


「前にも言ったけど、ベルに勝ったら、プロポーズするつもりよ」


「プロポーズ、か……まあ年齢的に言えば少し早い気もするけど」


 この世界では、男女共に成人年齢は十五だ。エリーゼが現在十八で、ベルは次の誕生日でちょうど十五の誕生日。結婚は一応成立する。


 交流戦の試合で、エリーゼは勝利を収めることが出来れば、ベルに結婚を申し込むつもりなのだ。


 恋人関係の期間を経て結婚することが多いが、もちろんそんなものはすっ飛ばしてスピード婚なんてことも少なくない。


「ベルさんは、エリーゼよりも強いの?」


「……正直、それは分からないわ。

 一緒に旅をしてた時はそんなに負けたことは無かった覚えはあるけど、昔は昔、今は今よ。とっくに手の届かない存在になってるかもしれない」


「あれだけの人数がいる魔法学院の頂点に立ってるくらいだから、相当な強さは持ってるんだろうね」


「ええ」


 速度も、攻撃力も、ほぼ全てにおいてエリーゼの方が上。


 しかし、いざ戦ってみればどちらが勝つかなんて分からない。


 ベルは何より、『魔人大戦』を経験しているランスロットや、『剣帝』ルドルフからの直接指導、そして冒険者として積んだ経験もある。短い冒険者生活ではあったが、内容はとても濃かったといえよう。


 ベルが冒険者活動をしている間、エリーゼはひたすら剣に打ち込んできた。

 『代理剣神』リベラから教わった剣技は、相当ハイレベルなものだ。エリーゼだって、経験が豊富なのは間違いない。


「勝負は戦ってみるまで分からない。だから、高められるところまで高めるわ」


「ベルさんのことを考えすぎて、私に負けるようになってるじゃない」


「ちょ、調子が悪いだけよーーー」


「ーーーおい、二人とも!ちょっと来てくれ!」


 リベラの呼ぶ声に二人は顔を見合わせる。声を荒らげているのを聞く限りでは、何やら緊急性のある事態が起こったらしい。


 セレスティアとエリーゼはすぐに立ち上がり、リベラの呼ぶ声の方へ向かう。


 声が聞こえたのは道場の中ではなく、外だ。


「何?リベラ」


「あれを見ろ」


 二人はリベラが指す方へ視線を移す。そして、同時に目を見開いた。


「何、あれ」


「あの方角は……学院のある方向だな」


「学院で何かがあったのかしら」


 ドーム状に広がる、灰色の何か。それは、ケントロン魔法学院のある方角に見えている。


 それはみるみる広がっていく……ということはなく、膨張しているような様子は確認できない。


 しかし、エリーゼの顔からは血の気が引いている。


「……リベラ、あっちへ行きましょう」


「……正気か?」


「……あんたが正気なの?ベルが危ないかもしれないのよ」


「学院から出てるとは限らないだろうーーー」


「ーーー出てないとも言い切れないでしょ!?」


 バロールの言葉に、エリーゼは思わず声を荒くする。突然の叫びに、バロール含む剣士達はビクッと驚いた。


「だって、危ないかもしれないじゃないか。こんな形でエリーゼに死なれでもしたら、どうにかなってしまう」


「……あっそ。勝手にどうにかなってればいいわ」


「おい、エリーゼ。勝手な行動はよせ」


「リベラ。あんた、まさかとは思うけど、学院にはベルがいるのを忘れてるの?」


 エリーゼは、常に最悪の事態を想定する。


 あの『灰色の何か』の出処が仮に学院だとしたら、ベルが危険にさらされているかもしれない。エリーゼは、その可能性を危惧しているのだ。


 エリーゼにひっそり……というか、ガッツリ想いを寄せているバロールは、エリーゼを止めようと言葉をかけたが、ベルのことしか頭にないエリーゼに通じるはずもなく。


「……誰に止められても、あたしは行くわ。

 リベラとセレスティアも来なさい。他の奴らは待ってて。とんでもない強敵だったら、あんたたちじゃすぐに死ぬ」


「エリーゼ、僕は……」


「あんたも足でまといになるだけ。ここで皆の護衛を頼むわ」


「でも……」


「行くわよ、リベラ、セレスティア」


 エリーゼは誰の話も聞かずに、一人で剣神道場を飛び出して行った。


「……セレスティア。やむを得ん。アタシらも出るよ」


「はい」


「アンタたちはここで待ってろ。すぐに戻ってくる」


 剣士たちはリベラの言葉に頷く。それを見て、リベラは剣士たちに背を向け、セレスティアと共にエリーゼの後を追うように飛び出して行った。

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