40 大人からのアドバイス

「う゛あ゛ァァァァーーーーっ!」


 マイの声である。

 自室に戻るなりNADのような奇声をあげて、自分の唇をゴシゴシと拭っている。


「なんで、なんであんなことを……あんたのせいよ! バカ虎二!」

「俺のせいかよ!」


 一言言い返した虎二は、少しうーんと考えて、言葉を繋げた。


「まあでも、ありがとよ」


 カーッ、と沸騰したようにマイの顔が赤くなる。


「ありがとうじゃ無いわよ! きっ……きっ、キスにお礼言うだなんて! て言うかキスじゃ無いわ! 人工呼吸のようなものよ! 勘違いすんなばか! エロ!」

「ばっ、勘違いしてんのはお前だろ! 誰がてめーのキ……キッ……なんかで! 連れ戻してくれた礼だっつの!」


 ぎゃーすかぎゃーすかと喚き散らす二人の傍ら、明日香は一人呟いている。


「人工呼吸……そう、人工呼吸。だめだめ。意識しちゃだめ」

「……明日香、大丈夫か?」

「ひっ、へ、へいっ」


 明日香は妙な返事をした。本当に大丈夫だろうか。


「ふふ、若いっていいわ」


 少し遅れて俺達の部屋に来たエリナさんが、壁に身体を預けて笑っていた。

 そして、すっと息を吸って、真面目な表情に戻って言った。


「ごめんなさい、あの時、二人を隔離するのは止めに出来たけれど……ここにあなた達を置いておけないのは変えられない。私と隊長二人の意見では覆せなくて……臆病な男達が、ごめんなさいね」


 エリナさんが頭を下げようとしたから、俺はいえいえ、と遮った。


「構いませんよ。今まで通り、俺達は俺達なりに、一から暮らしていきますから」


 ――明日香、虎二と同じく俺とマイも、その身にウイルスを宿した身体となった。

 唾液や血液で、他の誰かをNADにする可能性がある。


 そんな危険な人間と同じ屋根の下で暮らすのは、確かに不安な事だろうし、俺達だって疎まれながら暮らすのはごめんだ。


 ちなみに健太とゆりは二人して「同じものを背負う」と言っていたが、そのために誰かとキスするのも変だし、別にわざわざそんなことしなくたって何も変わりはしないと説得し、そのままの身体でいる。


「とりあえず、もう陽も暮れているから、せめて今夜はゆっくりして行って頂戴。夕食の用意は出来ているわ。よかったら一緒に食べましょう」


 喜んで、と俺達は返事をして、食堂へと向かった。


 リクを交えて、全員でテーブルを囲む。ちなみに俺達の食器だけは全て使い捨てのもの。エリナさんは申し訳ないと言っていたが、感染のリスクがある以上当然だし、何も気にならない。


 エリナさんはくるくるとパスタをフォークに巻いて口に運ぶ。その顔はなんだか穏やかで、さっき見せていた葛藤はどこかへ消えたようだった。


「ところで鷹広君。あなた、学校での成績はどうだったの?」

「え? 成績? えっと、中の下くらいで、別に誇れるようなものでは……」


 何でいきなり成績の話になるのだろうか。エリナさんは微笑みながら言った。


「そう。なら、学問に気持ちが向かなかっただけで、勉強は好きなのかもね」

「ああ、なんとなくわかるかも」


 明日香が同調する。


「ふふ、そうですね。必死で勢いだけと思ったら、実はちゃんと状況を読んで、考えていたりとか」


 ゆりまで。なに? どゆ事? 


「いいかしら、大人からのアドバイス」


 その言葉になんだか色っぽさを感じた。と思った瞬間、隣の明日香に耳をつねられた。なんだか段々と明日香がエスパーか何かに思えて来た。


「もうこの世界では、試験だとか偏差値だとか、薄っぺらい紙切れで測れる力は何の意味もない。ケツを拭く紙にもならないわ」

「エリナさん、食事中です」


 リクがエリナさんに耳打ちするが、意に介さずに続ける。


「もっと幅広く深い、根底の力が必要なの。生きていく為に試行錯誤して、間違えて。それを繰り返して一歩先に進む。その力をあなたは持っている。とても頼れる、そしてとても誇れる素敵な力よ」

「そ、そうかなぁ、確かにそれ、よく言われるかもしれないですけど」

「嘘つき」

「あだっ」


 照れ隠しのつもりだったのに、向かいのマイがテーブルの下からゴンっと俺のスネを蹴った。


「それ、失くしちゃダメよ。まあ、きっと大丈夫でしょうけどね」


 そう言って、エリナさんは空の食器を持って立ち上がった。


「明日、部屋まで迎えに行くから外まで送るわ。リクくんは積もる話もあるでしょうから、好きにするといい。でもあんまり夜更かししちゃダメよ」

「うん、ありがとう、エリナさん」


 パタン、と静かに食堂のドアを閉めて、エリナさんは出て行った。

 その時一瞬、寂しそうな顔をしたのが気になった。


「あの人、すごいいい人だな。最初はとっつきにくそうと思ったけど、全然違った」

「うん……僕はね鷹広、あの人の側で力になりたいんだ」


 リクがすごくいい顔をしてそう言うから、一緒に来いよ、とは言えなかった。


 もしかしたらエリナさんは、リクが俺達と来るかもしれないと思って、その話がしづらいんじゃないかと思って、一人食堂を出て行ったのかもしれない。


 ――でも、その心配はいらない。リクはあなたの力になるそうですよ、エリナさん。


「僕、鷹広にこんなに良い仲間ができて嬉しいよ。あまりに人見知りで心配だったから」

「親みたいなことを言うなよ」

「あの、皆さん。鷹広のこと、どうかよろしくお願いします」


 リクは深々と頭を下げる。


「ええい、本当に親みたいだな! やめろ!」

「まあ鷹広君は僕らに任せて、リク君はエリナさんを幸せにしなきゃね」


 唐突な健太の言葉に、リクは途端に顔を赤らめてあたふたとし出す。


「えっ、いやそんな、幸せにとかそんなんじゃ」

「おいおい照れんなよリク! エリナさんにバシッと漢気見せてやれ!」

「やめてくださいよ……」


 あはは、と全員で声をあげて、いつもみたいに笑った。

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