35 マイクロフォンで繋がる絆
――納豆菌でNADの発症は防げる。この事実をどう生かすべきか。
MASAHIKO達も交え、俺達はロジータで作戦会議を開いた。
「噛まれてしまったら、発症する前に納豆菌を摂取する。この行動が鍵だと思います。まずは自分自身の最悪の事態に備えましょう」
ゆりがそう提案して、もちろん全員異論は無かった。
納豆水を全員分精製してペットボトルに詰めたら、雑貨屋にあったペットボトルホルダーにぶら下げるとかして、今後それぞれ必ず携帯しよう、と言うことになった。
ちなみに誰からともなく呼び始めた納豆水と言うネーミングについて、「何だかダサい」と譲らないマイの意見を発端に、白熱した議論の結果“エリ
このエリクサーの存在を、他の生き残った人達に知らせたい。そのために、生き延びている他のコミュニティを探しに行かなければ。
結果、この近くの研究学園都市で、生き残った誰かが何かしら研究をしてるんじゃないか、そこにエリクサーを持っていけば、かなりの成果が見込めるんじゃないか、と言う答えに達した。
――しかし、実行するには大きな課題が一つ、残されていた。
「また、増えてる」
洗濯物を取り込みに出た屋上から地上を見下ろして、明日香が言った。
ショッピングモールを囲むバリケードの周りに、このところNADが急激に増えているのだ。
「MASAHIKO達が撒いた群れが、戻ってきたのか……?」
あれからそんなに時間が経っていないにも関わらず、余裕でモールをぐるりと一周できるくらいにNADが集まっていた。
ろくに外にも行けやしない。下手に出ればあっという間に囲まれて、物量に押し切られて最悪やられる。
もう、調達や探索ではなく、脱出を考えなくてはならなかった。しかも恐らく、日を追うごとにそれは難しくなる。
「脱出方法の目星がついたら、すぐにここを出よう」
止まらないベルトコンベアのように、旅立ちの時がいつの間にか、すぐ側まで近づいてきていた。
▼
「動かせる車は二台だ。U.GとSYACHOがNADを遠くへ誘導するのに使ったジープと、この間TAKAKOが運転していたコンパクトカー」
MASAHIKO達の真っ赤なRVは、スガとの戦いのダメージのせいか急に調子が悪くなり、今はもう動かなくなってしまっていた。
「TAKAKOの車には俺達四人が乗るからYO。人数的にそれがベストだ」
ジープは五人乗り、コンパクトカーは四人乗り。無理して乗ってプラス一人が限度だ。
「ああ、分かった。問題は、どうやってモールの敷地から出るかだ」
既にバリケードの向こうはNADだらけだ。車で無理に突破しようとしても、NAD達の肉壁に阻まれてすぐに止まってしまうだろう。
「バリケード越しにエリクサーをばらまいて倒せばいいんじゃないかしら!」
「確かに安全だけど……かなりの量を作る必要があるから、納豆足りないかもな」
「気合いで行くしかねえんじゃねえか? こっちにゃエリクサーがあるんだしよ!」
「強行突破は最後の手段にしたいです。あの数は相手にした事がないし、たとえ発症を防げるとしても、噛まれた傷自体が致命傷になれば、助かりません」
ここまで来て八方塞がりか。中々これだと言う案が出ない……。
「オイオイ待てYO。俺にいい考えがあるぜ」
――MASAHIKOの案はこうだ。
楽器店の大きなアンプを使って、車とは真逆のモール裏手で大きな音を鳴らし、一箇所にNADを集める。そうしてNADが手薄になった所を、車でバリケードを越えて脱出する、と言う算段だ。
「それしかないな……みんな、どう思う?」
「私は賛成だよ。いい作戦だと思う」
「おおよ。上手く行きそうだ」
「ほんと、意外と頼りになるわよね」
「ジープまでたどり着いたら、運転は任せてください」
「決まりだ。出発は明日の早朝。アンプの準備を済ませて、今日は早めに休もう」
そうして各々、明日に備えた行動に移った。
「早く世界を安定させて、またフリースタイルで競い合いたいね」
「おうYO、次は負けねえぞ、健太」
健太とMASAHIKOが、長年連れ添った旧友のように話していた。
――そして旅立ちの日。
この荒ぶった世界で、俺達のアジトとなったこのショッピングモールともお別れだ。
普段は使わない非常階段にアンプを設置して、音楽プレーヤーをつなぐ。ボリュームは既にフルテンで、アンプからジー、というノイズが鳴っている。
あとはボタン一つで、爆音がNAD達を呼び寄せる。
「みんな、準備はいいか」
全員が頷き、俺はプレーヤーのボタンを押した。
MASAHIKO達とフリースタイルバトルを繰り広げたあのビートが、大音量で鳴り響く。
耳を塞いで全員で屋上へ上がり、地上の様子を伺った。層を成して蠢くNADが、バリケードやフェンスを伝って流れるようにみるみる爆音へと吸い寄せられて行く。
「いいぞ、この調子なら行ける」
やがて駐車場のゲート付近が手薄になったことを確認した俺達は、いつもの非常階段を降りて地上へ降りた。
「よし、俺らも車へ走るからYO!」
「ああ、急いでな!」
危なげなく脱出は叶うと思った。
――しかし、そんな俺達の慢心を踏みにじるように。
「あんた達! あれ見て!」
第二波とでも言うような、新しい巨大な群れの接近にマイが気付いた。
その物量に押され、バリケードが悲鳴をあげて破られたその瞬間――俺達全員に電撃のような緊張が走る。
「ア゛ア゛ァァァァァ!」
群の一部、十、二十のNADが猛スピードで走って迫って来る。
「まずい、走る奴だ! あれだけの数は危険だ!」
さらに――突然、追い討ちをかけるかのように、ぷつりと音楽が止んだ。
爆音のビートが鳴り響いていた駐車場は一転、残響を残して静寂に包まれる。
「!? なんでだ!? やべえぞ鷹広!」
あの数の走るNADと対峙すれば、間違いなく誰かやられる。しかもビートが止まった今、物音がするのは俺達がいるこの場所だけ。
静かなステージで、スポットライトを浴びているようなものだ。このままでは爆音でモール裏手に誘導したNAD達も、走る奴らも、その後ろに控える群れもここに集まってきてしまう。
どうする。考えろ。このままじゃ――。
「オイオイお前ら、ジープに乗って隠れてろ。機材の扱いは俺達の領分だ。速攻でまた音鳴らして戻って来るからYO!」
直後、俺達の返事を待たずにMASAHIKO達は非常階段を引き返した。
ちょっと待てよと言いかけたが、走り出したMASAHIKO達はもう、誰にも止められない気がした。
俺は頭を振って、切り替える。
「早くジープへ! ドアを閉めたらロックして、頭を下げてやり過ごせ!」
俺達はジープに飛び乗り、身を低くして息を潜めた。下手に外を伺って、見付かってしまえば一瞬で囲まれる。そうなればMASAHIKO達の咄嗟の判断が水の泡だ。
ジープの側を、NADの影が猛スピードで走り抜ける。そして間を置いてから、唸りながらゆったりと歩く群れが、車のボディを挟んだすぐ向こう側を流れて行く。
祈るしかなかった。MASAHIKO達の無事と、成功を。
――しばらくするとモールからリズムが聞こえてきた。俺達は、揃って安堵のため息を漏らす。
だが、健太だけは様子が違った。
「ボイパ……? なんで」
健太がそう呟いた途端、リズムに重ねて声が響いた。
『――オイ、お前ら!』
MASAHIKOの声だ。マイクを通して、俺達に向けて喋っている。
『――悪い、こうするしかなかった。プレーヤーがイかれた』
「――何でだよッッッッ!」
健太は千切れそうな声で、ジープのドアを拳で叩いた。
『――行ってくれ。戻ってきたら許さねえ。ここは俺らが引き受ける』
「ちくしょうッ! MASAHIKOは、あいつらは僕にリベンジするって言ってたのに! ちくしょうッ! ちくしょうッ!」
「ねえ! あたし達で大きな音を鳴らして、NADを誘導できない?」
「……難しいです。車に積んでたアンプはもう下ろしてありますし、NADを引きつけるような音量で音を鳴らせない」
「ゆりちゃん、クラクションはダメかな!」
「周囲のNADだけならなんとかなるかもしれません。けど……とてもMASAHIKOさん達を助けられるほどでは……」
『――オイお前ら。やるべき事をやれ。救うんだろ、こんなになっちまった世界を。俺らをなめんじゃねえ。ここを脱出して、いつかどこかで、また会おうぜ!』
もう、行くしか無かった。
破られたバリケードに、何倍にも増えたNAD。そして何より、ここは自分らが食い止めると叫んだ、MASAHIKO達の決意。
虎二が健太の肩をグッと抱き寄せて、言った。
「おい健太、これで戻ったりしたら、次フリースタイルでバトった時に盛大にディスられて、お前ボロ負けだぜ? 役目を果たして、いつかどこかで、また負かしてやれよ」
「……分かってる。……分かってるッ!」
モールから響く、ボイパに合わせたMASAHIKOのフロウ。
『――YO、偶然出会い、信頼し合い、共に生き抜いたお前らに感謝!
俺らいつもそう、見切り発車、
でも後悔はしねえ、最高にDEEPでDOPEなお前らを守れんだからYO!――』
後半はもはやラップではなく、叫びだった。
健太は後部座席から身を乗り出して、クラクションを鳴らした。きっと、別れの挨拶だ。
『――安心しろ、俺らは死なねえ!
ギリギリの攻防、だけど負けねえ!
いつか返しに来いよ、次はてめえのターンだ、健太!
マイクロフォンで繋がる、最高のダチ!――』
また会えなかったら、ただじゃ置かないからな――。
心の中でそうMASAHIKO達に告げて、俺達は研究学園都市へ向け、ショッピングモールを脱出した。
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