31 青空の笑顔

 怖くなかったと言えば嘘になる。

 あまりの緊張で視野が狭まって、俺を向く銃口以外は何も見えなくなっていたし、引き金の音に少しビクッとしたのは秘密だ。


 それはともかく――思った通りだ。

 俺へ向けられたスガの自慢の拳銃は、カチリ、と虚しい音を立てた。


「はっ? ハァァっ?」


 手の中で何の意味も成さなくなった拳銃を、何度もまたカチカチとおもちゃのように鳴らしている。


 RVの影に隠れていた時、ゆりが教えてくれたのだ。警官のリボルバーだとすれば、多くても六発だと。

 驚くことにゆりは残弾数まで数えていて、俺と虎二が突っ込む前に、スガは既に五発撃っていた。

 健太がボウガンで阻止したのが、スガも健太も、お互い最後の一発だった。


「打ち止めみたいだな。覚悟はいいか?」

「クソがっ! ち、ちょっと待てよ!」


 きっと、再装填は出来ない。スガは「弾もちゃんと入ってて、ラッキーだった」と言っていた。弾のストックは無いか、弾を込める術を知らないんだと俺は確信している。


 しかしスガの動揺も束の間、奴の視線は俺の後方。

 振り返ると、健太が矢の装填されていないボウガンの柄で、接近したNADを殴っている。


「……ケッ、そっちも残弾ゼロかよ。だったらこんなもんなくたってなぁ」


 スガは拳銃を投げ捨てた。

 そしてバンに積んでいたのだろう木刀を片手に、さっきまでとは別人のような好戦的な目をして、車の陰からゆっくりと姿を現した。


「片腕で十分だ、クソガキ」

「やってみろ。俺はお前を殺す」


 ―ここからは、一対一の決闘だ。

 俺は、鞘から蜂須賀虎徹を抜いた。


「オラァッ!」


 スガは一足飛びで間合いを詰めて木刀を振り下ろす。俺は咄嗟に刀身で受け止める。


「戦い方を知らねえか! 唐竹の大振りは受け流すんだよ、トーシロウが!」


 直後、スガはつむじ風のようにぐるっと回り、遠心力を木刀の切っ先に乗せて水平に薙いだ。間一髪で後ろに躱したが、瞬間的に間合いを詰められて鍔迫り合う。


 こいつ、強い……! 手負いとは思えない身のこなしとスピード。そして、片腕ゆえに力は半減しているが、何より厄介なのはそれを補うだけの――。


「ヒャッハァァ!」


 みぞおちに蹴りを喰らった、と思った瞬間、目の前のスガが舞うように回転し、俺の左肩に鋭い痛みが走った。


「いってェ!」


 刀を振るうが、スガは飛び退いて空を切る。左肩を見ると、血で赤く染まっていた。


「いてえのはお互い様だ……テメェの仲間のボウガンの味はどうだ? 美味ェかよ?」


 ニヤリと笑いながら、スガは自分の右手を貫いているボウガンの矢を掲げた。

 そう、こいつは使えるものは何でも使う。拳銃でも仲間でも、自分に刺さった矢ですらも。

 力とかスピードとか、そう言うものより何より厄介な性質を、こいつは持っている。


「まさか卑怯だなんて言わねえよなぁ? 試合じゃねえんだしよ」

「俺達だって今まさにNADを利用してるところだ。そんな気はさらさら無い」


 痛みを堪えて息を吐いて、刀を構え直す。


「上等じゃねえか。かち割ってやるよ頭ァァァァ!」


 スガが叫びながら、乱打を仕掛けて来る。

 間合いを一定に何とか捌きながら、俺は一つの突破口を見出していた。俺の読みが当たれば、そろそろ来るはず。

 スガは打ち込みの嵐を一瞬止めると、また一足飛びで木刀を振り下ろして来た。


 ――ここだ!


 真っ直ぐ振り下ろされる木刀を、斜めに掲げた刀で、右に押し出すよう受け流した。

 刀身を滑って逸れるスガの木刀。そのままそれを刀で地面に押さえる。

 と、同時に。スガはぐるりと右腕の肩を回し、俺の首元をめがけて右手に刺さったボウガンの矢を振り下ろして来た。


「かかったなバァァァカ!」

「それはお前だァァァ!」


 ――初撃のコンタクトで、スガは俺に「受け流せ」と言った。こいつの性格上アドバイスなんて有り得ない。俺をそう誘導したかったか、純粋な苛立ちか。


 どちらにせよ睨んだ通り最初から、俺が刀で受け流した後意表を突いて、右手の矢で仕留めに来るつもりだったんだ。

 熟練者であればスガの思惑通り、最初から受け流すことも出来ただろう。だけど俺は素人だ。素人だったからこそ、裏の裏を探るきっかけが出来た。

 ――ナメてくれて助かったぜ、スガ。


 俺は刀を手放し、左手で矢を掴む。

 先端の鏃が手のひらの皮膚を切り裂いたが、力は緩めない。

 右拳に全力を込める。


 イメージは、虎二の拳。脇を締め、腰を溜め、真っ直ぐに――。

 メキッ、と言う手応えがした。


 スガの重心が完全に俺に傾いていたおかげで、結果、俺の拳は綺麗なカウンターになって顎を打ち抜いた。

 動かす糸を切られたようにスガの足は力を無くし、仰向けに倒れた。


「うぅ、く、クソガキ、が」


 スガは地面に四肢を広げながら、目だけで俺を睨む。

 俺は手放した刀を拾い上げて、スガを跨いで見下ろした。


「これで終わりだ。あの世で、おじいさんに詫びろ」


 俺は刀を振り上げた。



 ――瞬間、よく知っているいい匂いがした。

 俺を止めるように、明日香が背中にしがみついていた。



「――だめ。NADじゃなくて、生きてる。それだけはだめだよ」


 必死に声と腕に力を込めて。

 まるで、渡ったら二度と戻ってこれない向こう岸に俺を行かせまいとするように。


 力が抜けて、振り上げていた刀を下ろした。

 周囲を見渡すと、あれだけいたNADはかなりの数が地に伏せて、スガの取り巻き達が残った数体を倒しているところだった。


 俺を見ている虎二と目が合った。その目は、悲しさと厳しさ。そんな色を映していた。


 ――しばしの沈黙。


 突如それを壊したのは、誰も予想していない場違いな「ニャー」と言う可愛らしい声。

 道の陰から子猫がよちよちと歩いて来て、スガの頬を舐めた。

 それを見て、スガは震えている。見開いた目からは、大粒の涙が溢れていた。


「お、おい。あの猫」

「あぁ、レイラさんにそっくりだ……顔つきも、キジトラの毛並みも、鍵尻尾もレイラさんの生き写しだ」


 取り巻き達が口々に呟く。


「レイラは死んでねええ! きっとどこかで生きてる! てめえら次にふざけたこと言ってっと……殺すぞ……」


 怒声の合間合間に子猫が鳴き、その度にスガの言葉から怒気が消え、尻すぼみになる。


「頼むよお前ら! この子からスガさんを奪わないでくれよ!」

「俺からも頼む! スガさんも俺達もやりすぎた。スガさん、レイラさんがいなくなってからあんな調子になっちまって、俺達便乗してた!」


 取り巻き達は俺達に頭を下げて来た。スガは、自分の顔を腕で隠しながら言った。


「お前ら、消えろよ……。どうでもいいんだよ、お前らなんて。何で俺がレイラを守れなかったのに、お前は守れてんだよ……クソが……」


 俺はそんなスガを見下ろしながら、立ち尽くしていた。

 許せるのか。許していいのか。

 今でこそ明日香もマイも無事でいるが、結果そうなっただけ。色々なものが奪われていたかもしれないんだ。


 ――だけど今、背中越しに感じる明日香の温もりが、憎しみを何倍にも凝縮して鋭く研いだようなスガへの殺意を、薄れさせていく。

 この感覚は、あれだ。いつも学校へ行く時、家の玄関を出て毎朝見ていた空。

 感情が淀んだ時、その半分を、いつも吸い取ってくれたあの青空。


 俺はスガを許すとか許さないとかではなく、ただ、やめよう、とだけ思った。



 虎二がポケットに手を突っ込み、ゆっくり歩いて来た。


「片付いたか」

「あぁ」


 振り返って、俺を心配そうに見つめる明日香に言った。


「大丈夫だよ。ありがとう」

「うん、よかった」


 表情がほころんで、優しい笑顔で応えてくれた。

 あの、青空の笑顔で。

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