28 オフの日

 なんだか早く目が覚めた。

 春先の寒さも消え、もう日中はTシャツ一枚でも過ごせそうな陽気だ。


 MASAHIKO達と組んでからは調達もだいぶ楽になり、一日置きにチームを編成して食料の調達をしたり、周辺に異変が無いかを調べている。

 その時に乙姫さん達も探してみてはいるが、手がかり無しで見つかるほど簡単では無かった。


 けれどこのところ走るNADも減ってきたし、今までより格段に生き延びやすくなっている。焦らずに、地道に探し続けようとみんなで決めた。


 ベッドから降りて伸びをすると、もう一人、誰かが起きた気配がする。


「んー、おぁようござぅます。鷹広さん」


 ゆりが眠そうな目で眼鏡をかける。その姿はいつ見ても小動物のようで可愛い。


「おはよう、ゆり」


 ゆりは、普段のあずき色のジャージではなく、ピンク色の可愛らしいパジャマを来ていた。このところ明日香とマイに着せ替え人形のようにされて、頻繁に部屋着が変わっている。



 ――だが今俺は、ゆりのパジャマなどどうでもよかった。


 広く開けたボタンのせいで、黒髪ショートカットの毛先の下に、ゆりの左肩があらわになっている。

 俺の視線を釘付けにして離さないのは――鎖骨だ。

 少しの力で折れてしまいそうな、細く、儚く、美しい鎖骨。思わず唾を飲み込んだ。


 あぁ、まただクソッ! 鎖骨は尻じゃ無い、そんな事分かってる。余りに遠く位置が離れているのに……。

 明日香と出会って太ももに恋をして、マイと出会って胸に心を奪われて、そして今、ゆりの鎖骨にまで俺の心は惹かれている。

 ……滑稽だ。尻一筋になれない俺。こんな軽薄野郎が尻好きなどと笑わせる。もう陽の当たる道を歩くことは、俺には許されない。それも当然の報いだ。


 ゆりに俺の葛藤が伝わったのか、はだけたパジャマを直し、自分の肩を抱いてこちらをジト目で見つめている。

 そんな時だった。


 ――コーン。


 どこかで何かを打ち付ける音が響いた。


「なんだ? 今の音」

「さあ、なんでしょう」


 また、コーン、コーン、と音が響く。

 規則的な音だから、NADではなさそうだが……。


「なんだか、不気味ですね……」

「こんな早朝に誰が何をしてるんだ」


 俺とゆり以外のみんなはまだ寝息を立てている。非常事態ってほどでも無いし、起こすのも悪い。俺とゆりの二人でインテリアショップを出て、音の方に進んだ。

 どうやらその音は、モール一階のホームセンターの奥から聞こえて来るようだ。


「ちょっと、おばけみたいで怖いです」

「大丈夫だよ、こんな爽やかな朝に、幽霊なんて出ないよ」

「鷹広さん、それは甘いです。今日びホラー映画では、昼夜関わらずおばけが現れることも多いんですよ」

「まじか。じゃあ安らげる場所なんてどこにもないじゃんか」

「そうです。ないんです。お布団の中にだって出てくるんですから」


 なにそれやだ怖い。今日の夜が不安になった。

 話をしているうちに、音のすぐ側まで来た。この陳列棚の向こうだ。


「ゆり、準備はいいか?」

「は、はい。いざという時は鷹広さんを盾にします」

「いつからそんなこと言うようになったの!」


 俺達は互いにこくり、と合図をして、陳列棚の向こうをそっと覗いた。

 そこには――。

 釘を口に加え半笑いで金槌を振り下ろす、ツインテールの妖怪がいた。


「「ぎゃァァァァァ!」」

「わっ! びっくりした! 何よもうあんたたち、驚かせないでよ」


 あ、マイだ。この世のものでない邪悪な何か、いや邪悪そのものだと思ったらマイだった。でもそんなに違わないか。むしろ正しく認識している。


「マイさん、何を、してるんですか……?」


 怪訝な顔でゆりが尋ねる。


「ふっふっふ、よくぞ聞いてくれました」


 いけ好かないドヤ顔でマイはそう言うと……。


「じゃーん! アンディを強化したわ!」

「「ぎゃァァァァァ!」」


 戦慄した。アンディの顔面に打ち込まれた、無数の釘。

 焦点の合っていない瞳や歪な口に、釘がびっしりと刺さっている。なんかもうグロい。


「マイ……これ……」

「いやー、こないだの調達で、NADを倒す為のパワーアップが必要だと感じたのよ。いざと言う時、一撃で倒せないと危険じゃない?」


 危険なのは間違いなくお前だ。ゆりは石化したかのように硬直している。口から何か魂のような白いモヤが漏れ出ているように見えた。



 ▼



 闇属性への進化を果たしたアンディを見たらなんだか気力を消耗して、少し横になった。まあ今日は探索の予定も何も無いし、誰かに文句を言われることも無い。二度寝し放題だ。


 しばらくゴロゴロしていて、気付いたら太陽が高く昇っていた。

 インテリアショップの中には今は俺一人しかいなくって、いつの間にかみんなどこかへ出かけたようだ。とは行っても、モール内にはいるのだが。


 のそのそとベッドから這い出して、一つ伸びをしたら少し腹が減って来た。

 なんかどうしてもアクアパッツァが食べたい。昼にいきなりは難しいかもだから、夕飯で明日香に作ってもらおう。


 俺は明日香を探すことにした。

 まずは、このモール一番の人気スポットである屋上だ。

 今の時間の見張りは確か虎二とMASAHIKOだが、他にも誰かしらいるだろう。三階の隅にある広い階段を上がり、両開きの大きな扉を開ける。


「どっせいやァァァァァ!」

「あーっ! くそ脳筋! 手加減しなさいよ!」


 屋上では、熱血! 白熱! 青空バレーボール大会! の真っ最中だった。どこから持って来たのかポールとネットを立てていて、TAKAKOの上げたトスに虎二が放ったアタックが、マイとU.Gの隙間を閃光のように突き抜けた瞬間だ。


「TAKA虎チーム、ハァ、ハァ……1点」


 審判は健太だ。息切れしているところをみると、先ほどまでこの死闘に参加していたようだ。

 絶対普段運動しないタイプなのに、虎二とマイの肉弾コンビと球技なんてさぞ大変だったろう……。


 しかしこいつら、こんなにはしゃいでNADを引き寄せたらどうするんだ。危険と隣り合わせの暮らしだって言うのに、弛みすぎじゃ無いか。ここは俺がビシッと言ってやらねば。


「お、鷹広! お前も参加しろ! 勝ったらマイがパンツ見せてくれるってよ」

「マイ、仲良しごっこは終わりだ。全力で潰す」

「見せないわよバカたれ!」


 瞬時に上裸になってすたすたとコートに乱入しようとした俺に、マイがバレーボールをぶん投げてきて顔面を跳ね返った。ドッジボールじゃ無いのに。


 ところで本当にNADは大丈夫なのかと思ったが、屋上の両端でMASAHIKOとSYACHOが双眼鏡を持って見張りをしていた。二人とも汗だくで首にタオルを巻いているから、見張りとバレーボールをみんな交代でやっているんだろう。

 ていうか、MASAHIKOの足元に酒瓶が大量に転がってるけど、ちゃんと見張り出来てるんだろうか……。


 ま、そんなことより明日香だ明日香。この屋上にはいないようだ。


「なあ健太。明日香知らない?」

「あ、えっと確か、ゆりと本屋に行ったと思うよ。料理の本でも読んでるのかな」


 サンキュー、と健太に手を振って、俺は運動部みたいな暑苦しい屋上を後にした。


「さ、本屋本屋ー明日香パッツァー」


 鼻歌交じりにモール内の二階にある本屋へ向かう。インテリアショップとは真逆の方向にあって距離が離れているが、暇なときにみんな漫画を拝借しに行くから、屋上の次に人気スポットかもしれない。


「明日香ー? お願いがあるんだけどもー」


 声をかけるが、反応が無い。

 本屋にはいないのかと思ったら、少し離れた通路のソファの背中越しに、ポニーテールと黒髪ショートが仲良く並んでいる。

 足元には山程の本が積まれていて、読書に耽っているようだ。なんだろう、本の大きさからして小説か何かかな。


 俺の存在には気づいていないようだ。

 近くに寄ると、ひそひそとしてよく聞こえないが、楽しそうな声が。


「左が攻めで……右が……固定推しっていうのは……」

「そ、そんな世界が……こ、こんなのダメです……」


 ……うん。楽しそうではある。あるけど、なんだろう。

 意味は全く分からないが、とっても良く無い会話な気がする。


「“たか×とら”も捨てがたいけど……右固定……やっぱ……“とら×たか”……」

「ええっ、私? ……強いて、強いてですよ……左……“けん×たか”……」

 

「明日香」

「ひえぇっ!」


 明日香が器用にも座ったままの姿勢でソファから跳ねると、次の瞬間、積んであった小説に覆いかぶさってそれらを隠した。


「なななななななにかな鷹広!?」


 四つん這いに似た体勢でショートパンツの小さな尻がこっちを向いていて、それはそれは大層なサービスショットなのでじっと眺める。しかし明日香は一切気に留めていない。

 それほど、その小説を隠したいのか。


 ――うん、知りたい。一体なんなんだそれは。


「「ダメーーーーーーー!」」


 一歩近づくと、明日香とゆりが絶叫の後に二人で俺を押し戻した。 

 やれやれ仕方ない。乙女の秘密を暴こうとするほど俺は野暮じゃ無い。

 

 だけど……うちのゆりに変なこと教えていないだろうな。明日香め、とんだ不良腐良のお姉さんだ。



 ――その時。ゆりが急に真面目な顔に戻った。


「ねえ二人とも……外から何か聞こえないですか?」

「……確かに。近づいてくる気がする」


 しばらく耳を澄ましていると、その音はどんどん大きくなる。なにやら騒がしい、叫び声のような騒音。

 間違いなく、何かがこっちへ向かっている。


 乙女の秘密は後だ。俺達は全速力で、屋上へと向かった。

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