26 反撃の狼煙

「さぁ、さっさと出て行きな」


 オイオイマンは不完全燃焼とでも言うかのようにあくびをした後、吐き捨てるように言った。


「くそっ、すまねえ……」


 倒れた虎二は、指先すらまともに動かせないくらいのダメージを負っているはずだ。

 俺とマイは、虎二の傍にしゃがみこむ。


「……虎二、大丈夫さ。俺達はいつだって、何度だって危機を乗り越えてきた。これからだってきっとやり直せる」

「そうよ、あんたは、あたし達の為に身体を張って戦ってくれた。謝ることなんてない。また一から、出直しましょう」

「お前ら……」


 マイの涙が、虎二の頬に落ちた。


 敗北を受け入れることは、思っていたより難しい。あの瞬間ああしてたら、こうしていれば、そんなタラレバが頭から離れない。

 俺は土俵にすら立てなかった。どうして今までラップのスキルを磨いて来なかった。どうしようもない後悔に、唇を噛む事しかできない自分が憎かった。


 俺達敗者の感情などお構い無しに、勝者の断罪が響く。


「お涙頂戴はいらねえんだよ! ユア、ルーザァァ! ここは俺らの縄張りだ! さあ出て行きな」


 そう、去るしかない。俺達はルーザー。敗けたんだ……。



「いいや、まだだ」



 未だ心の折れていない、立ち向かう意思を宿した言葉が響いた。

 その声の主は――山羊野健太だった。 


「無茶だ、健太! 正気か!? お前の身が危険だ!」

「そうよ、このバカでさえこんなにやられた……死ぬかもしれない! やめなさい!」

「いいから、黙って見ていてくれ」


 普段前髪に隠れて見えない健太の瞳が、静かな炎を宿して標的を睨む。


「あぁん? まだ歯向かってくる奴がいるのか。いいだろう、相手になってやるぜ」


 そう言うと、オイオイマンはまたマイクを構えた――来る! 


『――ヒョロガリが威勢張ってヤケんなったって無駄、

   俺のフロウでお前を切り刻んでやらぁ、

   手も足も出ねえだろうがこのマザ●ァッカー! 

   そこのトサカ野郎と仲良く消えろ駄馬!――』


 オイオイマンの口から、より激しく繰り出される無数の言葉の礫。ビリビリとした気迫が俺達を圧倒する。


「ダメだ、勝てっこない! 健太!」


 俺は健太へ手を伸ばす。このままだと、健太が二度と戻れない遠い所へ行ってしまう気がして。


 しかし健太は平然とマイクを受け取り、リズムに身体を委ねた。そして――。


『――YO、素人切り刻み喜ぶお前、

   だせえぜ、それでもラッパーか? 

   韻に踏まれ、使い古し前時代のフロウ

   セオリーを詰めただけのタッパーだ!――』


 なんだ。何が起きている。

 今のフロウは。リリックは――?


「……健太? 本当に健太なのか?」


 俺は、そしてマイも目をまん丸く見開いてこの光景を見つめる。

 健太が、虎二を一方的にズタボロにしたあいつと、渡り合っている。斬り結んでいる。


 フゥゥー! とオイオイマンの仲間が叫んだ。さっきのようなブーイングではない。健太を、ライバルと認めたのか……? 


 オイオイマンの口元がニヤリ、と歪む。

 今度は健太からマイクが手渡された。

 今までとは比較にならない気迫で、再び乱れ咲く言葉の剣戟。


『――なあシャイボーイ、目元隠した前髪

   俺がぶった切ってやろうか乱暴に!

   目ぇ合わせらんねえチキン、は出禁!

   お前じゃ俺に勝つことはできん――』

 

 言の葉一つ一つが鬩ぎ合い、目を開けていられないほどの火花を散らす。

 すぐさま健太はマイクをぶん取り、斬り返す。


『――ガタガタ御託ばっか抜かしてんじゃねえ、

   ホラこれでどうだ、目ぇ逸らすんじゃねぇ――』

 

 健太は空いた手で前髪をあげ、炎のように燃え盛る瞳を晒した。

 オイオイマンの額にごつん、と額を当てて捲し立てる。


『――ヒョロガリはお前もお互い様

   だがお前のスキルは拙いまま!

   違いが何か教えてやる、

   日々血肉にしてるぜ我らが納豆!


   この地が育んだソウルフード

   負ける気がしねえぜ超グレート!

   教えてやる、そうA to Z! ――』


 ――行け、決めろ健太! 


『――眼に灼き付けろ、茨城の魂!――』


「「「フゥゥゥゥゥゥー!」」」


 オーディエンス全員が両手を挙げて叫んだ。もちろん、俺とマイも。

 オイオイマンは悔しそうな、それでいて清々しい顔で天井を見上げた。


 ――健太の勝ちだ! 


「虎二、聞こえてる? 健太が、健太が勝ったよ」


 マイは膝の上に置いた虎二の頭を撫でながら、語りかける。

 動かなくなった虎二の顔は、少し微笑んでいるように見えた。


 健太とオイオイマンは硬く抱擁を交わしている。きっと、二人は認め合ったのだろう。


 俺達は理解り合えた。激しい戦いの末、互いに強敵と書いて友と呼ぶ存在となった。

 誰からともなく拍手が湧く。この場の全員が、互いの健闘を称えあった。


「みんなー、ご飯できたよー」


 明日香の声がする。

 そう、俺達はご飯を……ごはん? 


「おおっ! 飯だ飯!」


 虎二は跳ね起きて三階へ向かった。


「皆さんの分も、ありますから」


 明日香と共に俺達を呼びに来たゆりが、オイオイマン達に言った。


「オーイオイオイ! えっ、あ、まじ、っすか」

「なんか、いいんすかね。悪いっすね」

「いやーちゃんとしたメシなんて久しぶりっすわー」

「じゃ、お言葉に甘えさせてもらうわね」


「明日香さんとゆりはすごい料理上手だから、期待していいよ」


 健太はそう言うと、オイオイマン達と和気藹々と話しをしながら歩いて行く。

 なんだろう。なんか……なに? これ。


「……行こうか」

「……そうね」


 俺とマイを置き去りにして茶番は終わった。

 健太の背中が一回り、大きくなった気がした。なんなの。

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