24 亡骸
その屋敷はかなり広かった。
玄関まではなだらかな坂になっていて、小さな高台のような場所に屋敷が建っている。
玄関の戸は、鍵がかかっていなかった。
「すみません、誰か、いますか」
戸を開けて呼びかけた後、バットで床を二、三度叩いて音を鳴らす。全員、戦闘態勢でしばらくその場で待った。
屋敷の中からは物音ひとつせず、生き残りもNADの気配も無い。クリアだ。
小さな安堵のため息をついて、俺達は武器を構えたまま、リビングへ。
きっとお年寄りの家なのだろう。古風な家具。古い時計。そして今時珍しいブラウン管のテレビには乾いた血がべったりと付いており、その下には血溜まりの跡。
「きっと、ここの家の人はもう……」
明日香が悲しそうな顔で言った。
血溜まりはあるが、そこに倒れているはずの亡骸が無い。つまり、そういうことだ。
他の部屋や物影を徹底的に見て回り、とりあえず家の中にNADはいないことを確認した。
全ての出入り口を施錠し、畳の居間でようやく一休みだ。
「ごめんなさい、私がドジをしたせいで、危ないところでした」
ゆりが泣きそうな顔で謝る。
「なあに、何の問題もねえさ」
「そうだよ。ゆりちゃんも怪我は無かったし、みんな無事だし。ね、鷹広」
「そうそう! なんか丁度追われたかった気分だったし」
「どんなフォローよ」
マイはキレの良いツッコミで周りを笑わせてから、今度は怒った顔で続けた。
「て言うか熊田なんなのよあいつ。群れ押し付けて逃げて」
「まあ俺らで引き受けたから、捕まりゃしねえだろうよ。なあ鷹広、心配なんだろ」
「ああ……でも、乙姫さんが大丈夫って聞けて良かった。モールにいることも伝えられたし、いつか来てくれるといいけど」
そこで、何かを考えていた健太が話を変えた。
「話の腰を折って悪いけど、何でだろう、奴ら、走って追ってこない奴の方が多かったよね。今まで見たNADはどいつも全力で走って襲って来たのに」
そう、それが妙だと思っていた。追いかけるつもりはあるが足が付いてこない、みたいな。そんな感じだった。
「やっぱり感染してても人間ですから、体力の限界があるのかも。肉体の限界と言った方がいいかもしれませんね」
いつも通り、ゆりは眼鏡をクイっと上げた。
「これも推測の話にはなりますが、NADは人間を見つけたら襲い、そうでない時も昼夜問わず歩き回っています。体を動かすのは物理的に筋肉ですから、もう死んでいる以上、筋断裂を回復できずに消耗するだけ。永遠に動き続けることはできないのかも」
なるほど。確か筋トレって筋肉が千切れたのを修復することで、より筋肉が付く仕組みって聞いたことがある。生きていれば筋肉の修復ができるが、死んでいるならそれも出来ずに千切れたままって言うことか。
「そもそも死人が走り回っていると言うありえない状況なので、正確なところは全く分からないですけど……。でも一つ言えることは、感染してから時間の経ったNADが走らなくなっても、新たに感染したNADがいたらきっと、走ります。そこは要注意ですね」
ゆりの言う通りだ。油断してたら追いつかれてガブリ、なんてのは避けなければ。
「みんな、群れが家の周りに」
健太が窓の外を指差す。この家をぐるりと囲む塀の向こうに、さっきの群れが俺達を追ってたどり着き、蠢いているのが見えた。しかも何だか数が増えている。
「このまま、この家で一晩明かした方がいいかもしれない」
「そうすっか。暗くなったら危ねえしな」
そうして俺達は、心の中でこの家の主にことわりを入れてから必要な物資を漁り始めた。
明日香とキッチンを探索をしていると、健太が俺を呼びに来た。
「鷹広君、あそこ、離れがあるみたいだ」
健太が指を差す窓の向こうに、道場のような大きな離れが見えた。キッチンの探索は明日香に任せて、健太と二人で向かうことにした。
渡り廊下を抜けてゆっくり戸を開くと、だだっ広い板敷きの間。壁には木刀がかけてあって、大きく「気魄」と書かれた横断幕が掲げられている。
そして――。
乾いて黒くなった血痕が一面に飛び散り、生臭い臭いが鼻をつく。
何十体ものNADの死体が、激しい戦場の跡のように転がっていた。
その中で一体だけ、袴を履いて長い髭を生やした老人のNADが、手に持った日本刀をぶらぶらとさせながら立っていた。
一体だけなら問題ない。そいつがこちらに気付くと同時に、健太がボウガンで仕留めた。
老人のNADは膝から崩れ落ちて、日本刀ががらん、と手から離れた。
その時の音に、どのNADの死体も反応を示さなかった。道場の中はもう大丈夫だろう。
「あれ、本物……だよな」
道場の床で、日本刀が血に濡れながらぎらりと光を放っている。
「鷹広君」
健太は道場の隅を見て俺を呼んだ。無造作に倒れているNAD達の死体とは別に、胸の上で手を組み、綺麗に寝かされている老婆の亡骸があった。
NADにはなっていないようだが、肩のあたりに噛まれた跡があり、血が滲んでいる。健太が、おばあさんの亡骸の横に膝をついて言った。
「そっか。おじいさんとおばあさん、二人とも噛まれちゃって……きっと、おばあさんがNADに変わってしまう前に、人間のまま終わらせてあげたのかな」
そして自分はNADに、か……。
凄まじい光景だった。一人でこれだけのNADを。
誰にでも出来ることじゃない。おじいさんは、本当におばあさんのことが大切だったんだ。
おばあさんを手にかけなければならないときの気持ちは、きっと言葉にできないほど悔しくて、痛くて、苦しかっただろう。
それでも、おばあさんはNADにならずに、ここで静かに眠っている。これは、おじいさんが守った証だよ。
俺はおじいさんの亡骸に、心の中でそう伝えた。
おじいさんとおばあさんを庭に運んで並べて寝かせ、真っ白なシーツを持ってきて二人に被せた。
俺はおじいさんの持っていた日本刀と、腰に差していた黄金色の鞘を手に取って、正座をして言った。
「この刀、俺が譲り受けます。おじいさんのように、誰かを守ります」
名前も知らない老夫婦の亡骸に手を合わせてから、健太と道場を後にした。
▼
「お、どうしたんだその刀。似合ってんじゃねーか」
虎二がどこで見つけたのか、スルメの干物を咥えながら言った。
「これは、意志を受け継いで来たんだ。な、健太」
「うん。何よりも大切な強い心を、僕らは知った」
「なにカッコつけてんの、きもいわよ」
マイ……オノレ……。
感動が台無しだ。拍子抜けだ。
気持ちを切り替えよう。物資の収穫はあったのだろうか。
「明日香、食料とかどうだった?」
「缶詰とか、結構あったよ。あと……」
明日香はふふん、とドヤ顔をして、白い正方形のまばゆい宝を掲げた。
「皆の者、今宵も、納豆じゃ」
「――ははっ!」
全員漏れなく膝をつく。納豆には絶対服従なのだ。そう言う風に、できている。
俺達は月明かりだけの真っ暗なリビングで夕飯を済ませた。
納豆は丁度六パックあったので、全員の体力はうなぎのぼりで全回復だ。
後は、朝を待つだけ。
「虎二さん念願の浴槽がありますけど、この暗い中じゃ危ないですし、我慢ですね」
「ちくしょー、入りたかったなぁ」
虎二が心の底から残念そうだ。それより……。
「……鷹広君? 僕の顔に何かついてる?」
きっと今風呂に入ろうものなら、健太の“ドドゴゥン”でNADに気付かれる。こいつは入浴のたびにNADに襲われるリスクを抱えているんだ。ベニテングダケの代償は大きい。かわいそうに。
外では結構激しく雨が降り出した。
「あー、洗濯物が」
明日香の言ったその台詞が、過去の日常のままのようで少しおかしかった。
そのまま、他愛もない話を続けながら俺達はゆっくり眠りについた。
雨の中、ずぶ濡れで歩き回るNADの群れを眺めながら。
次の日、外はすっかり晴れていた。あれだけいたNADも綺麗に姿が見えなくなった。雨の音で注意が逸れて、どこかへ消えて行ったのだろう。
家を出る時、昨日は気にしなかった門の表札に目をやった。
――蜂須賀。
健太も気になったようで、二人で表札の前で立ち止まる。
「おーい、行くぞ」
「ああ、今行く」
喋ったことも、生前会ったことすらないが、俺達は蜂須賀夫妻を忘れない。
健太と二人、もう一度手を合わせた後、皆の元へ走った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます