21 アンディ、加入
大きな窓から差し込む気持ちの良い朝日に目が覚めた。
こんないい朝は久々だ。伸びをしながら、俺達の寝室となったインテリアショップを見渡す。
みんなまだまだ夢の中のようだ。
明日香とゆりは、ダブルベッドで仲良く眠っている。なんて美しい光景だろうか。
そういえば昨日、明日香が「たた鷹広と虎二くんも、ふっ、二人で一緒にねねね寝たら良いのではッ!?」と鼻血を吹きながら謎の提案をしていたが、うん大丈夫。鼻血は止まったようだ。明日香の鼻に詰めてあるティッシュは白いままだ。
虎二はどうやったらそんな寝相になるのか、ジャーマンスープレックスを決められた後の体勢で床に落ちている。
健太は普通に寝ている。普通すぎてつまらない。顔に落書きでもしてやろうか。いやボウガンで撃たれても嫌だなやめよう。
あと一人、寝相と寝顔の面白さに期待できそうな女が見当たらない。
ベッドから降りてその姿を探すと、離れた場所に展示されているテーブルで何かに集中しているようだ。
「マイ、おはよう。何してるんだ?」
「おはよう鷹……変態」
「言い直さなくていい」
マイは脇目も振らず作業に集中している。手元にあるのは、木製バットだ。
昨晩みんなで非常事態のテレビ画面を見た後、マイは帰り道にあるスポーツ用品店から木製バットを持ち帰って来ていた。
スガ達との戦いでバットが体に馴染んだようで、「NADなんてあたしがバットで鏖殺よ! おうさつ!」などと物騒なことを言いながら振り回していた。
その木製バットに、マジックで何か書いているのだ。
「できた!」
そう言って俺に見せる。
「バットに、顔……?」
精神を壊しにかかるアートだった。
マイのバットに、NAD以上に焦点の合っていない虚ろな目と、なんとも感情の読めない歪な口がマジックで書かれている。
ただの目と口。もっと言えば、バットに付着したインクの線の集合体に過ぎないはず。なのに絶妙に気持ちの悪い顔面のアンバランスさと、明らかに呪いのこもっていそうな眼差しが、じっとりとした和製ホラーのように俺の心臓を締め付けてくる。
今が夜じゃなかったのが、せめてもの救いだ。
「こいつの名前は、そうね、アンディ。アンディよ!」
「あぁ、アンディ、っていうのか。よろしく……」
爽やかな朝が一変してホラーに塗り替えられた。アンディを直視できない。怖い。
「……あ、おぁようござぅます」
ゆりが起きた。眠そうに目をこするゆりの姿は小動物のようで可愛くて、恐怖に支配されかけていた気分が少し和らいだ。
「起きたのね、ゆり! ほら見て、アンディ!」
「あんで……!?」
眼鏡をかけたゆりは硬直したまま動かなくなった。
これは公害だ。マイの絵はだめだ。
やがて全員が起き、同じく全員がアンディの精神汚染攻撃を喰らった後、ロジータで明日香の作った目玉焼きと納豆ご飯を食べながら、これからのことを話した。
「スガみたいな輩が乗り込んで来ないとも限らないし、食料が尽きれば外に調達に行かなきゃならない。ここは快適だけど、危険と隣り合わせなのは変わらない」
「そうだなー。いずれ調達は必須だな」
「スガとかきたらまじで殺すわ」
六人全員、納豆をかき混ぜながらの会議だ。そういや手元で単純な運動を繰り返すと、脳が活性化するってテレビで見たな。
異様な光景かもしれないが、実に理にかなっている。
「生き延びる為の種も撒いておいた方がいいと思うんだ。期待は出来ないかもしれないけど、万が一助けが来たら気付いてもらえるようにはしておきたい」
「私、賛成です。やって損は無いですし、屋上にSOSって書くのはどうですか?」
「ああ。いい案だと思う。あとは他の生き残りを見つけたら、どんな人間か確かめてから合流するか決めた方がいい。平気で危害を加えてくる奴がいるって、分かったから」
全員が頷く。とりあえずこのモールを拠点に、安全を第一に暮らすことで一致した。
朝食を済ませた俺達は、ゆりの案を実行するため、モール内のホームセンターから屋上にペンキを運んだ。
まるで文化祭の準備みたいだ。みんな揃って跳ねたペンキを頬につけながら、これでもかというくらい派手で大きなSOSを仕上げた。これなら空から絶対見つけられるだろう。
ちなみにその時にマイがまたサイコアートを書こうとしたから、全員で全力で止めた。ヘリや飛行機が来たとしても墜ちかねない。
そして、今日から日中交代で屋上から見張りをして、誰か生き残りを見つけたり、何か気付いた事があれば仲間に知らせよう、ということになった。
「せっかくだから見張りもラグジュアリーにしちゃおうよ」と明日香が提案し、真っ白なソファとパラソルを設置した。
これもう半分グランピングだ。最高じゃないか。コーラとポテチは必需品だ。
――そんな感じで一週間ほど、見張りをしながらだらだらと過ごした俺達だった。
その間、ヘリや飛行機は愚か、生き残った人間も何も、視界に入らなかった。
▼
「だーれも、何もいませんなー」
「そーだなー。何もいねーし、誰もこねーなー」
俺は虎二とソファで見張りをしながらぼやいていた。
ちなみに俺達二人以外の全員も、今この屋上にいる。いくつかある飲食店のスタッフルームのうち一つに大きな洗濯機があり、そこで洗った衣類を皆で干しているのだ。
「ちょっと、あんた達! どーせ誰も通らないんだから一緒に洗濯物干しなさい」
マイがシーツを片手に言った。
確かに、何の変化もない見張りにずっと集中してると参ってしまう。手伝うか……と思ったら、虎二が何やら目を見開いてマイを見ながら、プルプル震えている。
「ん? ……何よ虎二。何か文句あんの」
「……(プルプル)」
「何か言いなさいよ」
「ウワァァァァ! ツインテールガシャベッタァァァァァ!」
完全にバカにしている。見張りが暇すぎてはしゃぎたくなったのだろう。
すかさずマイがフェンスに立てかけてあったアンディを無言で振りかざす。虎二はネコ科の大型動物のように俊敏に身を翻して逃げ出して、二人は屋上から消えた。
「元気だなぁ……健太、洗濯物干すの手伝うよ」
「あ、うん。ありがとう」
しかしいい天気だ。洗濯日和。屋上になびくシーツや衣類。
そして女子の……下着は流石に干していなかった。
しばらくしてマイだけが戻って来た。眉間に深い皺を寄せ、青い血管を顔面全体にピキピキと浮き上がらせている。女子が絶対にしちゃいけない悪鬼のような顔だった。虎二に逃げられたんだな。
どうか、明日香とゆりはこんな顔しませんように。
「ね、ねえ、あれ」
突然、明日香の何かに怯えるような声。
マイの顔のことかと思ったが、明日香はフェンス越しに地上を見て身体を強張らせている。
「どうした明日香? 何が――」
明日香の隣で国道を見下ろして、そこに広がる光景に俺は言葉を失った。
それと同時に、屋上の扉を勢いよく開けて虎二が戻って来た。
「おい、お前ら!」
「あんたァァァァァァァァ!」
マイが目を光らせ飛びかかるが、虎二は真面目な顔でマイを制した。
「なっ、何よ」
そして明日香と同じように地上の国道を、いや、国道に蠢く無数の物体を指差した。
「NADの、群れ……?」
パッと見ただけでは数えきれないくらいの、百体、いや五百をゆうに超えるNAD達が、川のように道路を流れている。
ここはショッピングモールの屋上だから良いが、地上で出くわしたらあのNADの波に飲み込まれて、二度と出ては来れないだろう。
「奴らNADは、音と視界で私達を捉えます。一体でもこちらに気付いたら、釣られて何体も流れてくるかもしれません。通り過ぎるまでじっとしていましょう」
ゆりが冷静に言った。実は見張りを始めてから、生き残りもNADも両方見かけなかったことを不思議に思っていた。
生き残りが少ないならNADが多いはずだし、NADが少ないのなら、生き残りもいるはずだった。反比例するはずだった。
その理由はこれか……。順調に数を増やしたNAD達は、群れをなして散らばらずに集まり、街を徘徊していたのだ。
しかも、NADになってしまった人達の数がこれくらいで済むはずが無い。
他にも群れがいるだろうし、もっと大規模な集合体もあるかもしれない。
のそのそと流れるNADの流れを、俺達は無言で見つめていた。
やがて奴らは数十分かけてショッピングモール前を通過して、国道の奥へと消えていった。
「あいつら全員走って追ってくるんだろ。流石にそうなったらやべえな」
「ああ。調達や偵察に行くときは、群れには本当に気をつけよう」
恐ろしかった。だがしかし、驚異の存在を知れたのは良かったというべきだ。どこかに出かけるときは、一旦屋上から群れが近くにいないか確かめてからの方がいい。
「さ、気分切り替えて洗濯物干しちまおうぜ。こんな天気のいい日に、太陽がもったいねえ」
虎二はパッと振り返り、残った洗濯物に手をつけた。
「あんた、ごまかせたとでも思ってるの……?」
マイと虎二は、再び屋上から消えた。
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