20 文字だけのニュース

 明日香が「よしっ」と一声気合いを入れて、キッチンに立ち料理を始めた。

 健太とゆりはその手伝いだ。食材を出したり、火の加減を見ていたり。


 三人ともすごく楽しそうに料理をしている。

 いきなりNADが溢れたあの日から昼間のスガ達との激戦に至るまで、それらの全部が嘘のようで、なんだか笑ってしまいそうだった。


 リズミカルな包丁の音。

 火を点けたコンロ。

 キッチンの談笑。

 ふと薫ってくる、いい匂い。


 今までの平和な日々では取るに足らなかった、一つ一つのとても小さな日常の要素。

 虎二とマイも、ソファに座ってその光景を微笑ましく眺めていた。



「もうすぐできるよー」


 明日香の声がした。料理出来ませんチームの俺達もただ座っているだけでは忍びない。

 できる事を探して、飲み物や食器を用意したり、全員で夕食の準備をした。


 「張り切っていっぱい作っちゃった」と言いながら出してくれた明日香の料理は、普通の家庭料理と言った類ではなく、手のかかりそうな華やかな料理の品々だった。


「家ではお母さんが毎日作ってて、私は気合い入れて休日に料理するのが主だったの。すごそうに見えるけど、毎日献立を考えて、残り物とかを考慮に入れて料理する方が、すごいと思うんだけどね」


 明日香はそう謙遜しながら、芸術と見まごうレベルの色とりどりの皿を、次々とテーブルに並べた。

 準備が整ったところで、全員が何故か俺の方をじっと見ている。何かを待っているような空気だ。


 これはつまり、俺が音頭取るの? えー、いいよ? 披露する時が来たんだな、俺の――ストロベリートークを!

 

 「え、えーと、みんな、本日は、あのー、えらい大変でしたけども、えーお日柄もよ」

 「いただきます!!」


 マイが俺のストロベリートークを遮ってばちんと手の平を合わせると、全員が笑ってそれに続いた。ねえ俺なんだったの?


「このお魚まるごとの料理、すごく美味しい」


 ゆりが目をキラキラさせて魚を頬張っている。どれどれ、と俺と健太も手を伸ばす。


 ――な、なんだこれは。

 その皿は、もはや一つの小さな海だった。

 ドライトマトやオリーブ、そしてあさりやムール貝に彩られた、芳醇な湯気と香りを纏う一尾の魚。

 食べる前からハーブの香気が鼻腔をくすぐる。口に運ぶと、むせ返るような海の匂い。地球が育んだ、魚介の素材の味が染み渡る……! 


「アーーーッ! すごい美味い! 海の! 海! うまーっ! 明日香なにこれ?」

「アクアパッツァっていうの。魚介の素材の味を活かしたイタリアンよ!」


 親指を立てて、眩しいウインクをしながら教えてくれた。

 名前かっけえ。明日香曰く作り方は簡単だそうだが、見た目もかなりかっこいい。


「あーもーパクチーさいこー! 明日香いいお嫁さんになるわーほんと!」


 マイはパクチーのサラダを貪っている。なんかそういうの好きそうだもんな。


「おわー! これなんだ! 鶏肉の! うめぇぞなんだ!」


 口一杯に米と鶏肉を頬張りながら虎二が言う。


「それはカオマンガイっていうタイ料理。鳥の出汁で炊いたジャスミンライスと蒸し鶏に、タレをかけて食べるんだよ」

「これやべえわ。グスッ、まじで美味え……」


 え、虎二泣いてる? 美味すぎて泣くなんて、なんて純粋な男だろう。こんな見た目だが、心は誰より美しいのかも知れない。知らんが。


「マイはパクチー好きで、虎二君はタイ料理好きなら、二人は食の好みが合うのかもね」


 明日香はそう言って指先で口を隠し、いたずらっぽく笑う。


「「結構です」」


 マイと虎二が同時に真顔で言った。仲良しか。


 食事を終えて後片付けを済ませた俺達は念願のインテリアショップへ行き、皆でベッドを一箇所に集めて寝ることにした。


 シャワーも、食事も、歯磨きもベッドも、こんなに気持ちがいいものだなんて、知っていたはずなのに知らなかった。

 今まで当たり前だったものが全部無くなって、どれだけ便利な世界で生きていたのか、そのありがたみを思い知った。


 しかしなんだか合宿の夜みたいですごく楽しい。皆ハイテンションだ。

 今までのこととか、思い出とか、自分の部活や趣味、特技とか。誰か一人が黙ることもなく、全員で話がはずんだ。


 俺には仲間ができたんだ。

 こいつらとなら、何もかもが崩れたこの世界だって、生きていける。

 そんなことを思いながら眠りにつこうとしたその時、ふと、明日香が言った。


「そう言えば、テレビって映るのかな」


 確かに。今まで慌ただしすぎて思いもよらなかったが、ニュースがやっていれば、何か分かるかも知れない。


「僕とゆりも、ここに来てからテレビは見てないや。このモールに家電量販店は無いけど、もしかしたらスガ達が立入禁止にしてたスタッフルームに、テレビがあるかも」

「よし、行ってみようか。眠い人いたら無理しなくていいけど」


 みんなまだ全然眠くなかったようで、結局全員でスポーツ用品店のスタッフルームへ向かう。部屋着でショッピングモールをうろつくのは、何だか変な感じだ。

 スタッフルームへ入ると、そこには大量の空缶や空瓶と、吸い殻。それにエロ本が撒き散らされていた。


「うっわー、あのクズ達の民度が知れるわね。ほら、鷹広。宝の山よ。良かったわね」

「いや俺エロ本とか興味無いんで」


 スマホで見れたし。もう夜な夜な捨てられたエロ本を探しに行く歳でも無いし。


「そうだよ。鷹広はこんなの……いや、なんでも無い」

「ちょっと明日香さん?」 

「鷹広さん、最低です」

「ゆりまで! 一番傷ついた!」 

「お、あったぞテレビ!」


 虎二がスタッフルームの奥にある大きなテレビを見つけた。

 健太がリモコンを手に取り、電源をつけてみるが……何も映らない。チャンネルをいくつか切り替えるが、同じだった。


「ダメだ……トウキョウテレビですらアニメを流していないなんて、やばすぎるよ」


 いや健太よ、トウキョウテレビだってそんな四六時中アニメを流している訳でもないだろう。


「配線とか変なんなってんじゃねーのか」


 虎二がテレビの裏側をまさぐる。そして健太が何の望みもなさそうにチャンネルをまた切り替えた時、青い画面と、白い文字が映った。


「う、映った! 生きてる! 映ったよ!」


 全員で画面を凝視する。

 音声も無い、無機質な画面。

 そこに映っている文章を、目で追う。


 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 <非常事態>

 日本全土で、凶暴化した人々による暴動が多発しています。

 決して外出せず、厳重に戸締りをして、身の安全を守ってください。

 屋外は非常に危険な状態です。


 凶暴化の原因は、未知のウイルス性感染症によるものと考えられます。

 感染が疑われる方の血液、体液には決して触れないでください。 


 もしも身近にいる方が誰かに噛み付かれた場合、すぐに隔離し、その場を離れてください。 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 画面はいつまでもその文章を映したままだ。

 内容を理解するのに数秒かかった。


「お、おい鷹広。日本全土だってよ」

「嘘だろ。始業式のあの日いきなり、全国に広がったって言うのか……?」


 全員が信じられないという顔で沈黙した。

 一人を除いて。 


「確かに、有り得るかもしれません。きっと都市部から感染が広がって、全国に波及したんでしょう」


 ゆりが眼鏡をクイっと上げながら言った。


「NADは信じられないくらい速いスピードで走って追いかけてくる。捕まって、噛まれた人もまた同じように。その感染力で人間をオセロのようにひっくり返しながら、何倍にも、何十倍にも増殖し続けています」


 ゆりの言う通り、NAD達は走る。それが一番厄介かもしれない。

 あのスピードと、増え続ける物量は恐ろしいなんてものでは無い。


「逃げ切って、生き延びた私達はかなり運がいい方です。自衛隊とか、警察とか、最前線の人間が噛まれてしまえば、組織への情報伝達もできない。運良く生き延びた人間しかそれはできない。対処も遅れますし、もしもこの状況が各地で同時多発的に起こっていたとしたなら、なおさらです」


 皆が現実を再認識した。安全な場所など、もうどこにも無いのかも知れない。

 頼みの綱のスマホだってあれからずっと圏外のまま。

 たとえ繋がったとしても、全国こんな有様ならば救助が来る可能性は低いように思える。


 この危険な茨城で、俺達は生きて行かなければならないのだ。


「でも」


 重くなった空気を跳ね除けるように、明日香が口を開いた。


「私達はこうして生きてる。頼りになる仲間もいる、大丈夫だよ。ね、鷹広?」 

「……ああ、そうだ。大丈夫だよ。全員で生き残って、いっそ茨城の中で俺達の国でも作るか!」

「ハハッ! いいなそれ、燃えるぜ!」

「鷹広君、国は無理があるよ」

「何が無理か! じゃあ県。茨城の中に、更に県を作るか」

「県って、急に何だか語感がカッコ悪くなりましたね」

「なんだよ、じゃあ街! 俺達の街を作るのが目標。いいね!」

「あたし、あんたのそういうポジティブバカなとこ、嫌いじゃないわ」


 いいや、ポジティブなのは明日香だ。いつも空気が重くなるたびに、一変させるのは明日香だ。

 バカの部分は、俺でいい。


「俺達は全員が生き延びるために全力を尽くす。今までと同じ。これからも今まで通り、やるだけだ」


 ゆりが見抜いた現実は、ただの高校生である俺達には重すぎるものだった。

 だけどそれでも、誰一人塞ぎ込むことはなかった。


 俺達は強い。武力的な意味でなく、芯の強さだ。

 いずれ乙姫さん達も見つけだして、全員で生き延びてみせる。


 こんな世界に、俺達は決して敗けない。この先もずっと。

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