12 進め
奴らがあまりにも増えすぎた。何体も何体も大きな波のように校門から溢れ出る。
乙姫さん達の姿は、もう見えない。
「くそっ、動けよ、俺の身体なんだから、俺のいうこと聞けよッ!」
涙がまだ止まらない。自分の膝を殴りつけるが、カタカタと震えて力が入らない。
虎二がいないだけでこのザマだ。このままじゃ明日香もマイも、道連れに――。
(虎二ッ――)
心の中で強く叫ぶ。失ってしまった、相棒の名を。
「鷹広ォォォォォォ!!!」
野太い怒声の直後、俺の頬を大きな拳が撃ち抜いた。
ぐらりと倒れる身体を、ぐっ、と踏ん張って立て直す。
「とっ、虎二っ?」
噛まれて立ち去った虎二が戻って来た。
一瞬、ほんの一瞬、もしかして本当は噛まれていなかったかと思ったが――。
俺を殴ったその左腕の流血が、俺を現実に引き戻した。
「これきりだ。もう殴ってやれねえ」
「虎二! 虎二も行こう!」
「無理だぜ。もう」
虎二はそう言うと唸り声を上げて突っ込んで来る奴らへ向けて、両腕を大きく広げた。
「ア゛ァァァァァァァァァァ!!!」
虎二はその身体で、奴らの歯を受け止めた。
「虎二!」
ぐぐっ、と虎二のふくらはぎが膨れて持ちこたえ、全身の筋肉がぎちっと締まると、噛み付いた奴らは虎二から歯が抜けなくなり、拘束された。
「だんだん頭がぼーっとして来やがって、もう長くねぇ。こいつらは俺が倒すから、だから、お願いだから」
虎二は両手の拳骨を強く握った。
「行ってくれ!」
その言葉と同時に、俺は明日香とマイの手を引いて走り出した。
全力疾走の中、一瞬振り向く。虎二は身体に噛み付いた奴らを振り回して引き剥がし、鉄槌のような拳を次々と叩き込んで倒して行く。
虎二にここまでさせて、逃げないわけには行かなかった。俺は無理やり視線を剥がして、前へ。
――今は押し殺せ。心を殺せ。明日香とマイの、無事だけを。
俺達は無我夢中で非常階段に辿り着き、三人だけで、三階の拠点へと戻った。
教室の扉を開けて中に入ると、絶望が息を吹き返してもう歩けなかった。喋れなかった。
教室の隅でうずくまる。思えば昨日の夜は、平和だった。ついさっきまで、楽しかった。
いきなりこんな状況になって、最初は何が何だか分からなかったけれど、それでも前向きに生きられる気がしていた。
虎二は俺を救ってくれた。俺に背中を預けてくれた。出会っていなければ、俺もとっくに奴らの仲間入りをしていたはずだった。
一緒にいたのはほんの少しの時間。なのになぜこんなにも思い出が、なぜこんなにも虚しさが、俺の心を締め付けるのか。また一筋、大きな涙が頬を伝った。
「本当に、なんて言ったらいいのか……ごめんなさい」
マイが俯いて言う。
「誰のせいでもないよ。虎二だって、マイを助けられて良かったって思ったはずだ。だからもう、謝るのは無しだ」
謝ってもらったって、虎二は戻って来ないから。
明日香が教室の隅で俯いたままの俺の隣に座り、無言で頭を抱き寄せた。
何してんだ俺、情けない。
虎二が見てたらがっかりさせちまう。あいつは俺を認めてくれた。背中を任せ合う相棒だった。お前の認めた俺は、いつまでもウジウジとしているような男じゃない。
そう思った。でも、思っているだけ。
「虎二君、生きろよって言ってた。鷹広なら、やれるって思ったんだよ」
分かってる。あいつは俺に託したんだ。分かってる。
それでも、今日だけ、今日だけだから……このまま眠らせてくれ。
▼
一晩寝て、少しだけ気持ちが落ち着いた。
メソメソと泣いたままで、明日香とマイを守れるはずがない。虎二が俺に託した想いを理解している。だから、前を見て生きていくしか無い。
今は、無理をしてでもしっかりしないと。
「鷹広、おはよう」
水道で顔を洗っていたら、明日香が声をかけてくれた。
顔が疲れている。明日香もショックだったはずだ。なのに俺を気にかけて。
「おはよう、明日香」
自分なりに、いつも通りの表情を作って返事をした。
――俺は大丈夫。君を守る。
俺の顔を見つめる明日香に、心の中で誓った。
俺達は、ショッピングモールへ向かうことにした。
物資はもちろん誰かいるかもしれないし、明日香とマイを出来るだけ安全な場所へ連れて行くことが、今の俺の何よりも優先すべき使命だ。
「荷物になるから食料は最小限でいい。すぐここを出て、陽の出てる間に行動しよう」
「分かったわ。後方の見張りは任せて」
毅然とした口調で、マイが言った。芯の強い性格なのだろう。虎二の命と引き換えに生きているという重圧を、逃げずに背負っていく。そんな意志が立ち振る舞いから見えた。
「ねえ鷹広。もし、ショッピングモールがダメだったら、どうする?」
「その時は、どこか別の安全な場所を探す。新しく拠点を作って、他の生き残った人たちを探して合流する」
「わかった。それじゃあ、もう......」
「ああ。もう、ここに戻るつもりはないよ」
「うん……そうだね」
虎二が変わり果てた姿で今もこの学校にいる。その場所にいる事が、辛かった。
非常階段を降りるとき、明日香が「ちょっと待って」と言って、入り口に飛ばないように置石をして、メモを残した。
そのメモには『ショッピングモールに向かいます』と書かれていた。もし乙姫さん達が戻ったら、居場所を知らせる為だ。
昨日あれほど俺達に迫っていた奴らは、不気味なほどに消え失せていた。
正門へ向かう途中、昇降口に目をやると、虎二が食い止めた奴らの死体が転がっていた。
その数は、十体をゆうに超えている。
「すごいね、虎二君。勝ったんだね」
「あぁ……最後に納豆、食えたかな」
ふと意識が向いた一階の教室。
カーテン越しに、見慣れたトサカのようなリーゼントの人影が、ゆらりと立ち上がるのが見えた。
『――見せたくねえよ』
虎二の言葉を思い出す。
俺達三人は前だけを見て、誰もいないアスファルトの上を歩き始めた。
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