13 ダチ
「何か、中に入った」
学校の前まで戻った俺達に再び緊張が走った。
傾いた陽に影を伸ばす校門が、不気味に大きく開いていたのだ。
「鍵はかからないにしろ、閉じておいたはずだよな。どうするよ、鷹広」
「……まずは拠点の三階に戻ろう。身の安全が最優先だ」
全員が頷き、敷地内へ入って再び校門を閉じて、非常階段へと進む。
「走ると物音で気付かれるかもしれない。静かに、警戒しながら進もう」
校舎の影に身を隠し、虎二がさらに先の物陰に先行して、安全を確認する。手招きを合図に全員でそこへ忍び足で近づき、今度は俺がまた次の物陰へ。
それを繰り返して、運よく何も起きることなく、何とも出くわすことなく非常階段まで辿り着いた。
鉄格子の扉を全員くぐって、施錠する。自宅の玄関をくぐる時のような安心感が、胸の奥から湧いて来た。
「ふー、何だか、楽しかったね」
明日香さんの言葉に乙姫さんが頷き、何だかやりきった顔ではしゃぎ始めた。
その様を見て、俺達全員が笑った。
――その時だった。
「きゃーーーっ!!」
突然、女の子の悲鳴が聞こえた。どこに隠れていたのか、生存者がまだこの学校にいたのだ。
「鷹広、行こう!」
乙姫さんの声に俺は頷き、声のする方へ全力で走った。間に合うかは分からない。だけど、見て見ぬ振りをする選択肢なんて頭に無かった。
声のした場所は昇降口だった。
辿り着いたそこでは、ツインテールの女子生徒が一体の奴に追われていた。
虎二が誰よりも早く、荷物を放り投げて疾走する。
「オゥラアアアアアアア!」
雄叫びを上げて飛び蹴りを放つ。逃げる女子生徒に今にも飛びかかろうとしていた奴は、弾かれたピンボールみたいに吹っ飛んで、壁に頭を打ちつけて倒れた。
遠目から見て、女子生徒は大丈夫そうだ。虎二が手を差し伸べている。
侵入したのが一体だけとは限らない。長居は無用だ。早く全員で三階の拠点へ逃げ込もう。
撤退しようと、みんなの方を振り返った時だ。
明日香さんの表情が引き攣った。
「だめっ! やだっ!」
その視線の先の事態に、心臓がばくんと大きく鳴った。
「後ろだ、虎二!」
昇降口の陰からもう一体、奴が飛び出して虎二の背後に迫っていた。
虎二はとっさに反応するが、気付いた時には距離が詰まり過ぎていて、迎撃が間に合わず掴み合いになっている。
頭が真っ白になった。体が勝手にショルダーバッグを投げ捨てて、駆け出していた。
「あぁぁぁぁ!!!」
掻き毟りたくなるような焦燥感。
俺は無我夢中で突進し、奴の頭を貫くくらい渾身の力を込めて、デッキブラシで突きを放った。
「ア゛ッ」
奴の頭が跳ねて、短い鳴き声を漏らして倒れた。俺は馬乗りになって何度も何度も頭に柄を突き立てる。その度に骨が砕ける音が鳴って、コンクリートの地面にどす黒い血の花が咲いた。
「おい鷹広。もう死んでる」
「虎二」
俺を制止した虎二を見て、気を失いそうなくらい、頭から血の気が引いた。
――虎二の左腕が真っ赤だった。歯型の傷跡から、どくどくと血が溢れている。
「て、手当しよう! 保健室に!」
「いや、必要ねえ」
虎二は自分の傷口を見つめながら言った。
「必要無いわけないだろ! いいから早く!」
なんでこうなった。なんで虎二が。あんなに強い虎二が。
「明日香、手を貸してくれ! 乙姫さん達は昇降口開けて!」
保健室へ向かうために肩を貸そうとする俺の頭を、虎二はぽん、と叩いた。
急に、静寂が辺りを包んだ。
「悪いな、俺はここまでだ」
まるで子供を諭すように、虎二は言った。
――嫌だ! 嫌だ! いやだ!
張り裂けそうなくらい心で強く叫んだが、声にならなかった。
「最後にさっきの納豆食いてえ。もらってくぜ」
そう言うと、虎二は地面に落ちた自分のバッグから納豆を一つ、手に取った。
「虎二君、どこに行くの……?」
「ここから先は、見せたくねえよ。そこの教室に行くから絶対に開けないでくれ。頼むぜ」
明日香の問いかけに、あまりにも静かに、いつも通りの笑みでそう言った。
「虎二さん、やだよ、なんで」
「泣くなよ乙姫ちゃん、しょうがねえさ。お前らも、できればいつも通りの世界で、ちゃんと出会いたかったけどな」
「おい……マジかよダブり」
「虎ちんさん」
ボロボロと勝手に大粒の涙が零れる。こんなに突然終わりが決まってしまうなんて。漫画やアニメのような、ドラマチックな最期とはあまりにかけ離れていた。
「お前ら、鷹広となら、大丈夫だ。生きろよ」
乙姫さんと明日香さん、熊田と海老原。そして自分の命と引き換えに助けた女子にそう言って、虎二は俺の方へ向き直る。
「鷹広。知り合ってほんのちょっとだけどよ、お前は俺のダチだぜ。……じゃあな」
俺の胸に、何かを託す様に拳をグッと押し付けた後、惜しむ暇もくれずに虎二は背を向けて歩き出した。
その時の一瞬の悔しそうな顔が、脳裏に焼き付いた。
思考がまとまらない。目の前は滲んで見えない。喉の奥が痛い。声にならない嗚咽を撒き散らしながら、俺は地面を殴った。
明日香が俺の体を支えながら立たせようとする。
「ここにいたら危ないから、三階の教室に行こう」
「ごめんなさい……あたしが……あたしのせいで」
虎二が助けた女子が虚ろに呟くと、乙姫さんがその子を抱き締めた。
俺は、この子の名前を知っている。同じクラス。鋭い目つきにツインテール。昨日のスクールバスの車内で、熊田と一触即発だったあの女子生徒、マイだ。
だけどそんなこと、今はどうでも良かった。
「お、おい! やべえぞ! 入って来た!」
熊田が急に慌てふためいて校門を指差した。数体の奴らが、こちらへ走って向かって来ている。
「鷹広、立って! 逃げなきゃ!」
明日香が急いで俺を持ち上げようとするが、どうしてだろう。足に力が入らない。
無言でマイが俺の腕を肩に回して抱え上げた。
何してんだ、俺。自分で立てよ。
「――明日香さん。マイちゃん。鷹広をお願い」
唐突に乙姫さんが言った。こんなに凛とした彼女の声を、初めて聞いた。
「乙姫さん……?」
明日香が呼びかけるのを待たずに、乙姫さんは走り出した。
「ほら! こっち、こっちだよ!」
大声をあげて、奴らの注意を自分に惹きつけている。
一体がぐりんと走る軌道を変えて、乙姫さんに襲いかかった。
(何してるんだよ、乙姫さん)
「おりゃあああ!」
海老原がデッキブラシの一撃を見舞って、乙姫さんを守った。
「おらおらこっちだ! こっち来やがれバケモノ! ほら熊ちんも早く!」
「お、おう!」
(海老原、熊田……どうして)
その間にも、物音を聞きつけた奴らがどんどん校門を跨いで増えて行く。もう乙姫さん達とは分断されかけて、一緒に逃げる事は難しいだろう。
やばいのは分かってる。なのに、何でだ、何も出来ない。動けない。
「もう、行くしかない」
明日香がぎゅっと唇を噛んで、乙姫さんに向かって叫んだ。
「乙姫さん! 鷹広は、絶対死なせないから!」
「明日香さん、お願い! 今は逃げて! 絶対、絶対生きて!」
――俺達はこの瞬間、一緒に帰ることを諦めた。
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