9 探索開始
「――広君、鷹広君」
優しい声がする。こっちへおいでと俺を誘っているような……そうか、夢だ。
その声のする方向には、小高い二つの丘があった。
柔らかくて、暖かい。
「やっ! コラッ!」
ごすっ。
何だ? 俺は寝ぼけて頭を床に打ち付けたのか? しかし心地良い夢だった……小ぶりながらに柔らかかった......。
ぼんやりとした意識のまま起き上がると、すぐ隣で明日香さんが顔を赤らめ、胸を腕で覆いながら睨んでいた。なんだなんだ、何があったか知らないが、俺がまるで変態か何かのようじゃあないか。心外だ。
「ちょっと鷹広。明日香さんに何してんの」
死角にいた乙姫さんに割と強めのチョップを喰らった。おかげで目がばちっと覚めた。
「おはよう。二人とも早いね。あれ? 虎二達は?」
「屋上で周りの様子を見てくるって。ちょっと見たら朝ごはん食べるって言ってたから、鷹広君も行こう?」
明日香さんは立ち上がり、スカートを軽くはらった。俺ものそのそと立ち上がろうとした時に、乙姫さんが手を伸ばしてくれた。
小さくて華奢な手だ。今しがた俺の脳天に落ちた手刀のキレからは想像もつかないほどに。
乙姫さんの顔を見ると、少し目が赤く腫れていた。
昨日は場を和ませるために話を振ったりと元気に振舞っていたが、こんな状況で、白鳥さんが目の前であんなことになって、当たり前だけどやっぱり辛かったんだ。
それでも普段通りであろうとする乙姫さんは、なんて強い女の子だろう。
「よっと、ありがとう」
「ばか」
なぜか唐突に俺をディスって、スタスタと先に教室を出る乙姫さん。その元気そうな足取りに、少し安心した。
非常階段を上がって屋上に行くと、虎二と熊田、海老原がいた。
「おはよう、みんな」
「おう、起きたか鷹広!」
「黒ちん、割と寝坊助だな」
「けっ、呑気なもんだぜ」
無意識に肺に深く空気を取り込む。この惨状に似つかわしくない、澄んだ気持ちの良い空気だった。
「それで、何を見てたんだ?」
「一日経って、奴らがどれくらい外でうろついてるのか、見とこうと思ってな」
俺も虎二の脇に立って、フェンスに手をかけ周囲を観察する。奴らは方角ごとに二、三体がふらついている程度で、あまり目に入らない。
全くいなくなった訳では無いが、かなり減った事は事実だ。
「これなら、少し外を探索できるかもしれない」
「物資にも限りがあるしな。ま、考えるにしてもとりあえず朝飯食いながらだな」
虎二はそう言って三階に降り、俺達も続いた。
学校の外を探索してみないか、と言う話には全員賛成だった。教室で朝食を摂りながら皆で作戦を練った。
まず、奴らとの戦いは極力避ける。一体だけなら何とかなっても、複数と対峙したら戦うのは危険すぎるから、見つからないのがベストだ。
非常階段から外へ出て、この学校の敷地内の安全を確保してから周辺を探索。日に日に少しずつ行動範囲を広めて、最終的には少し離れたショッピングモールまで行ってみようと決めた。
決まったのなら、行動だ。朝食を終えて、全員で準備を整えた。
その時に明日香さんから「破れたズボンを履き替えなさい」と言われたので、購買部から新品を拝借した。
開放感を失って少しケツ苦しさを感じたが、やむを得まい。
非常階段の扉の鍵を開けて、ゆっくりと地上へ降りる。
「おし、奴らはいねーな」
「このまま静かに慎重に行こう」
ちなみに虎二以外は全員、トイレの掃除用具入れにあったデッキブラシで武装している。
そういえば虎二は竹刀を見つけた時も、素手のが戦いやすいと言っていた。
あの強さの秘密が分かるかもと思って、虎二にその背景を聞いてみた。
「武器? 多分すぐ折っちまうし、俺ぁ素手のが慣れてんだよ」
「何か格闘技やってたとか?」
「いや特に。ただ昔っから絡まれることが多くてな。場数と経験だけは豊富だよ」
虎二は肩幅が広い逆三角形の体型で、身長も高い。
ゴリゴリのゴリマッチョという訳ではなくて、なんていうかボクサーのような引き締まった感じで、パッと見て強そうだと分かる。
しかも格闘技や武道ではなくってケンカを経て得た強さだと言うのだから、天性の強さって感じだ。
そんな話をしながら、まず昇降口へ向かった。
いつもはこの時間、大勢の生徒達を受け入れていた大きなガラス戸が、無人のまま開け放たれている。
「ここを閉めれば、校舎の二階や一階に奴らがいたとしても中に閉じ込められる。きっとそれが一番手っ取り早い」
「んだな。おう熊田。そっち側閉めろ」
「チッ、命令すんじゃねーよダブり」
熊田は相変わらず悪態を吐きながらも、虎二の指示に従って昇降口を閉じた。鍵を閉める時に音が鳴って少しヒヤッとしたが、奴らが現れる事は無かった。
俺達は正門をから外へ。学校の敷地内から出る時、なんだか少し緊張した。
手付かずの野生の危険地帯に、足を踏み入れるような。
「ねえねえ鷹広。校門は、どうする?」
乙姫さんが振り返って気にかけた、大きな格子状の鉄製の校門。
鍵さえかかれば奴らの侵入を防げるが……。
「ダメだ。折れてる」
昨日の混乱で誰かが逃げる時に壊れたのか、両開きの扉を施錠するかんぬきの部分が折れていた。
だが、鍵はかからないにしろ一応閉ざしておく。
「帰って来て門が開いてたら、奴らが中に入った可能性がある。その時は注意しよう」
「確かに。さすがだね、鷹広」
乙姫さんがにっこり笑うと、三日月のヘアピンがきらりと輝いた。改めて思う。ばちくそに可愛い。
今日の目的地はとりあえず、コンビニかスーパー。食料を調達するためだ。
住宅街の方へ向かう事にして、俺達は広い国道を歩いた。
人や車の気配が一切しない国道はどこか不気味で、そして不謹慎かもしれないがどこかフィクションのようで新鮮だった。
ドアが開いたままの車や、車道のど真ん中に乗り捨てられた自転車、中身の散乱した誰かのバッグ。
そういう非常事態の痕跡がそこかしこに見られる。
それらのほぼ全てに、赤黒い血がべっとりと付いていた。
「誰もこの場に倒れてない。やっぱり噛まれた人はほぼ全員、奴らになって彷徨ってるってことなのか」
「改めて近くで見るとやべえな。世紀末かよ」
虎二は先陣を切って歩く。ふいに明日香さんが、俺のブレザーの袖をきゅっと掴んだ。思わず胸がキュンと鳴る。
「ねえ、あれ」
長い車道の向こう側に、フラフラと揺れる人影が見えた。
「奴らだ……あれは遠いからいいけど、近くで出くわさないよう祈ろう」
運が悪ければいつ噛まれてもおかしくない。
交通事故とか、事件に巻き込まれるとか、そういうものに遭遇するよりも、遥かに近い場所に危険がある。
でも正直俺は、命懸けであるプレッシャーを感じながらも、生き残ったのは俺達だけのようなこの非現実を、少し楽しく感じていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます