8 一日目の終わり
倒れて動かなくなった人間の成れの果て。
それに三人で手を合わせてから、俺と虎二で窓から地上に落とした。
やらなければ、やられる。
もうこの世界では、人間の形をしたものを殺めても、葛藤している暇なんてきっと無いんだ。
「鷹広、虎二さん、大丈夫!?」
乙姫さんを先頭に、熊田と海老原が息を切らして走って来た。
乙姫さんは俺達の無事を確認すると深い安堵のため息をついて、その場にしゃがみこんだ。
「よかった……。すごい悲鳴がいくつも聞こえて、本当にびっくりしちゃった」
「大丈夫。一体の奴に襲われたけど、虎二と、それに明日香さんと協力して倒したよ」
明日香さんに集まる視線。熊田と海老原はなぜかしきりに髪型を気にし始めた。
乙姫さんと明日香さんは、お互いに名乗って同じタイミングでよろしく、と頭を下げていた。
「お? 鷹広、そんなに目ぇ細めてどうしたんだよ」
「いや……ちょっと眩しくて」
乙姫さんと明日香さん。きっと今この茨城で、いやもしかしたら日本で、いやいや世界で一番可愛くて綺麗な二人が並んでいる。
この光景がこの世のものとは思えないほど神々しく尊かったので、とりあえず目に焼き付けた。
乙姫さん達も、防火扉は全て閉じることができたらしい。つまり、この三階はもう安全だ。
みんなでその場で座って少し休憩していたら、さっき閉ざした防火扉の脇にある非常階段への出口が目に留まった。
慎重に扉を開けてみる。鉄製の錆びた螺旋状の非常階段が一階へと続いていて、奴らの気配は無い。
一階に降りてみると、勝手に出入り出来ないよう鉄格子のような鍵付きの扉が備えられていて、しっかり内側から施錠されていた。
屋上へも上がる事が出来て、そこにも誰も逃げてきた形跡はなく、奴らも何もいなかった。
屋上からあたりを見渡す。
俺達の学校は茨城の田舎のさらに街外れにあって、近くには国道や広大な畑、雑木林しか無い。
そんな長閑な風景と相反するように、地上のそこかしこに散乱した荷物や破れた制服、血溜まり、肉片。
「きっと、うちの高校だけじゃ、無いんだね」
明日香さんが呟いた。遠くの市街地の方角から、黒煙がいくつも立ち昇っていたからだ。
荒れ果てた風景とは裏腹に、やけに外は静かだった。それは平穏を示すものではなく、全く逆の意味なのだろう。
あれほど俺達に群がっていた奴らの集団は学校の敷地内からはほぼ消えて、まるで下校する生徒達のようにばらばらの方角に散らばっていた。
「きっと体育館にいた生徒達が外に逃げて、奴らも散り散りになったんだ」
「火災報知器、あのまま鳴り続けてたらやばかったろうな」
虎二の言う通りだ。奴らが音に吸い寄せられ続けていたら、たとえ三階を拠点に出来ても一歩も外に出られずに、いずれゲームオーバーだっただろう。
「なあなあ黒ちん、腹減ったよ。購買部でとりあえず飯にしようぜ」
そういって海老原は早く早くとみんなを急かす。気付けば確かに空腹だった。海老原は熊田の背中を押して出口へと向かい、俺達も後に続いた。
購買部は言わば装飾の少ない殺風景なコンビニのようなもので、品揃えはそれなりに豊富だ。
乙姫さんはカロリーメイトを、熊田と海老原はおにぎりを持って先に教室へと戻った。
俺は目当てのものが見つからず、レジ裏の従業員向けの冷蔵庫も含めて食料を漁り続けていると、虎二と明日香さんが言った。
「鷹広君、何を探してるの?」
「俺、納豆好きでさ、疲れた時は食べなきゃ落ち着かないんだけど、流石に無いか」
「私も納豆好きだよ。そっかー無いのかー、残念」
「俺も好きだぜ! 茨城の誇りだもんな!」
虎二も明日香さんも、納豆好きの同志だった。
どおりで二人とも、出会ってすぐにウマが合うと思ったんだ。
なかなか離れない強い絆を築ける気がした。納豆の糸のように。
▼
教室に戻り、やっと昼食にあり付いた。とは行っても外はもう夕暮れ。実質夕飯も兼ねてしまう時間になっていた。
「じゃあ明日香さん、ずっと女子トイレに隠れてたんだ?」
「うん。体育館がめちゃくちゃになった後、すぐ外に押し出されて、三階に逃げて一人で隠れてたんだ。友達ともはぐれちゃって……スマホも繋がらないし」
明日香さんの表情が不安の色に染まる。
「そういやよ、俺もずっと圏外なんだよ。お前らは?」
虎二はポケットから取り出したスマホを、役に立たないとばかりにぷらぷらと指にぶら下げて振った。俺も自分のスマホの画面を見てみるが、圏外。全員が同じだった。
電波の基地局でもやられたのか。もしそうだとしたら、思った以上に状況は最悪だ。こんな地獄みたいな馬鹿げた殺戮がライフラインにまで達しているのなら、救助なんて期待できないかも知れない。
そうであれば、自分達の力で何とかするしか――。
皆も同じ考えに至ったようで、空気が重くなりしばらく場が沈黙した。
「ねえねえ、明日香さんは、私達の先輩ですよね。大人っぽくて綺麗だし」
突然、考えても仕方がないと言うかのように乙姫さんが雑談を始めた。
「え? あ、ありがとう。そうだよ、私は今年から三年」
「おー、そしたら
乙姫さんの意図を察してか、雑談に乗ってニヤニヤしながらそう話す虎二に、明日香さんはジト目をして突っ込んだ。
「虎二君は同い年でしょ。話した事は無かったけど、学年ですっごい目立ってたから知ってるよ。二年生の冬くらいから見なくなって、学校辞めちゃったのかと思ってた。どうしてたの?」
「あんだよ、ダブりかトサカ」
「うーるせえ。生意気だぞ熊田」
むしゃむしゃとおにぎりを頬張りながら、虎二は熊田とばちばち睨み合う。
「虎ちんさん、なんで留年しちゃったんすか? 勉強しなきゃダメっすよ」
海老原が似合わない事を言う。しかしそれは俺も気になる。虎二が留年した理由。
「いやー大したことはねえって。街で喧嘩ふっかけて来た奴がいてさ。面倒だからごめんなさいって謝ったら思いっきり頭ぶつかっちまってよ。それで相手が怪我して、停学になって、単位が足りずに留年よ」
「虎二、それは頭突きって言うんだよ」
想像通りのオチと俺のツッコミで全員が笑って、張り詰めた空気が少し緩んだ。
日が完全に落ちると、早々に眠る雰囲気になった。みんな相当疲れているんだろう。
幸い電気は止まっていなくて、真っ暗は怖いと乙姫さんが言ったから、廊下も含めて明かりは付けたままだ。
横になって天井を眺めながら、リクは大丈夫かなと考えていたら、なんだか寝付けなくなってしまった。
静かに半身を起こす。みんなはもう、寝息を立てていた。
「鷹広君」
ヒソヒソとした声で俺を呼んだのは、明日香さんだった。
「どうしたの? 眠れないの?」
「いや、あの……ちょっと、付いて来て」
「?」
皆を起こさないように静かに教室を出て、明日香さんに付いて行った先は。
――女子トイレだった。
「あ、そう言う事か」
「わ、笑わないでね。みんなにも内緒だよ」
「笑わないよ。誰にも言わない」
「ちょっと! 笑ってるじゃん」
思わずほっこりして、表情に出てしまった。明日香さんはばつが悪そうに目線を尖らせた。
なんだか、俺達は大丈夫だ、と思った。
こんな荒れ果てた世界の夜が怖く無い人なんていない。だけど、こうやって怖い中で手を取り合って、いずれ元通りの生活に戻るまで俺達は生きていけると、そう思った。根拠は無いけど。
「ほら、ここにいるから、行って来なよ」
「もう。待っててね」
明日香さんを促して、紳士な俺は耳を塞いだ。
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