7 エンカウント
俺達は三階の安全を確保すべく、二手に別れて作戦を開始した。
廊下には誰の気配も無い。不気味なほど静かだった。
俺と虎二で、奴らの影を確認できていない区域へと向かう。
途中、もぬけの殻の教室で布袋に入った竹刀を一本見つけた。虎二が武器を持っていた方が戦力になりそうなものだが、素手のが戦いやすいと言って竹刀を俺に持たせた。
どこかに奴らが潜んでいないか、二人慎重に確認しながら進む。今のところはクリアだ。
「火災報知器も止んだし、時間も経ったし、いなくなったのかな」
「綺麗さっぱりいなくなったとは、思わねえ方がいいかもしんねえぞ?」
虎二は真面目に話している風ではあるが、なんか俺の尻を視界に入れないようにやたら目が泳いでいる。きっと、笑わないように全力で気を逸らしているんだろう。
俺達は思いの外スムーズに進むことが出来て、難なく階段に設置された防火扉を閉じて回ることが出来た。
「あの階段で最後だ」
廊下の最奥、突き当たりにある階段。あそこの防火扉を閉じたら、こっちのエリアの封鎖は完了だ。乙姫さん達と合流しよう。
そう思ったが最後の最後に、お茶目な目泳ぎトサカ兄さんの予想が的中した。
階段の手前にある購買部。中には一体、もう人間では無くなった奴がいた。
俯いて立ち尽くしまままで、俺達には気づいていない。
そして幸いにも、購買部の扉は閉じられている。
俺達を追ってきた奴らはどいつも扉を開けようとはせず叩き続けるだけだった。ならば中にいる奴が出てくる可能性も低い。
俺と虎二は身を低くして静かに購買部を通り過ぎ、階段脇の防火扉へとたどり着いた。
「おっし、これ閉めたら、購買部のあいつをどうにかするだけだな」
「ああ、最悪閉じ込めておけば何とかなりそうだけど……おわっ!」
防火扉が閉まった時、俺はバランスを崩してよろけた。
虎二が咄嗟に右手を伸ばす。
――目測を誤ったのか、俺の裸の右臀部を、虎二が丸ごとしっかり鷲掴みする格好となった。
「ギャーーーーーーーーーッ!」
男に尻を揉まれるなんて! 男に揉みしだかれるなんて!
廊下に響く俺のシャウト。すると間髪入れずに背後から、
「きゃーーーーーーーーーっ!」
と聞き慣れない女子の悲鳴。
ここで、いきなり聞こえた第三者の叫びと、艶やかで柔らかくも弾力を保った俺の右臀部の感触に驚いたのか、
「わきゃーーーーーーーーっ!」
虎二が似合わないハイトーンの奇声をあげた。
「ア゛ァァァァァァァ!」
一風変わったテノールが聞こえた。そう、さしずめ虎二がアルトで、俺がバス。あの女子はソプラノと言ったところか。
うん、わかってる。言ってる場合じゃない。
「ギャーーーーーーーーーッ!」
「きゃーーーーーーーーーっ!」
「わきゃーーーーーーーーっ!」
「ア゛ァァァァァァァ!」
ガァン! と大きな音が鳴り、購買部の扉が外れた。
「やるぞ、鷹広!」
「お、おう!」
奴らと対峙する可能性を考慮はしていた。一瞬で張り詰めた空気の中、俺達は気持ちを切り替える。
乱入してきた奴の向こうに、尻餅をついて怯える女子生徒の姿が見えた。奴らとの戦闘は避けたかったが、俺達だけ逃げるわけには行かない。
「オラ、こっち来いこっち!」
虎二が壁をバンバンと叩き、大きな音を鳴らして注意をこちらへ惹きつける。
途端、奴は全速力で虎二へ突進してきた。
「フッ!」
鋭い吐息と共に、槍のような前蹴りが奴のみぞおちに突き刺さる。
奴の身体は宙に浮き、二回転ほどして派手に吹っ飛んで倒れた。が。
「ヤロウ、手応えあったのにまた効いてねえのか……?」
失神必至の威力に見えた前蹴りを喰らっても、唸りながら体を起こそうとしている。
「ア゛ァァァァ」
「ヒッ!」
廊下の奥の女子生徒が漏らした声に、奴は反応した。獲物に感づいた捕食動物の様に、首をびゅっとその子に向ける。
「マズイ、あの子が狙われた!」
目の前で誰かが死ぬのは、奴ら側に成り果てるのを見るのは、もう勘弁だ。
俺は踠きながら立ち上がろうとする奴の脇を走り抜け、女子生徒の前に立ちはだかる。
――もう、大丈夫。俺が守る。
怯える女子生徒の眼前で、そう微笑みかけるかのように俺の右臀部が揺れる。
「ヒッ」
腑に落ちない悲鳴が聞こえた。
「ヤロウ、もう一発だ!」
虎二が追い打ちをかけようと奴に向かって距離を詰めるが、瞬間、奴は跳ね上がるように身体を起こし、俺と背後の女子生徒めがけて突っ込んで来た。
「ア゛アォォォ」
「くっらええええええ!」
手に持った竹刀で、奴を目掛けて突きを繰り出す。
先端が喉笛に食い込んで大きな手応えを感じたが、奴は上体を仰け反らせてよろけるだけで倒れはせず、ぐりん、と体勢を立て直した。
「くそっ!」
奴が再び向かって来る。頭へ竹刀を振り下ろすが、止まらない。
濁音混じりの咆哮を上げながら、微塵も速度を落とさず突進して来る――。
「鷹広ォ!」
「ぐ……くっ……」
壁に押し付けられた。咄嗟に竹刀で奴の歯を防ぎ、噛まれることだけは避けたが、劣勢だ。
奴を押し返そうと腕に力を込めた。
しかし竹刀が乾いた悲鳴を上げ、急にふっ、と手応えがなくなった。
「う、うわあああ!」
無我夢中で奴を蹴り飛ばした。
竹刀は噛み砕かれて真っ二つだ。もう使い物にならない。
「オ゛アアァァァァ」
そしてまた、奴は待ってくれることもなく、牙を剥いて襲いかかって来る。
その背後から虎二が猛烈な勢いで駆けつけてくれているが、きっと間に合わない。
クソっ! 何か無いか、何か――。
「ねえ、これ!」
俺の足元で怯えていた女子生徒が、側にあった消火器を重そうに持ち上げた。
無我夢中でそれを手に取り、奴の頭目がけて力の限り振り抜く。
「コンチクショウがァァァァ!」
太い打撃音が響く。
奴は走った勢いをそのままに、前のめりにどさりと倒れた。
「ハァ、ハァ、ハァ」
「大丈夫か鷹広!」
「あぁ、ハァ、何とかね……。今ので分かった。頭を狙えば、倒せる」
呼吸がままならないままだったが、俺はぺたんと座り込んでいる女子生徒に声をかけた。
「おかげで助かった。ハァ、怪我はない?」
「う、うん。ありがとう。えっと」
「俺は鷹広。こっちは虎二。ハァ、ハァ、無事でよかった」
「鷹広君、虎二君、ありがとう。助かったよ」
よく見たらこの子、細長い手足のスレンダーなスタイルで色白清楚。切れ長の瞳と長いまつげ。整ったシャープな顔立ちは、ハッキリ言って俺のタイプど真ん中だった。
制服のスカートから覗く綺麗な太ももが俺の視線を釘付けにする。ハァハァと荒い呼吸が本当は違う意味なのではないかと、自分で自分が心配になった。
――いや、ちょっと待て俺。尻好きの俺。
今見ているのは太ももだ。太ももは尻じゃないんだぞ。尻以外にここまで胸を高鳴らせてどうする。
俺はそんな目移りするような軽い気持ちで、尻に魂を売り渡したわけじゃないはずだ。
なのに一体どうした。何を見て昂ぶっているんだ。本当に好きなのは太ももだって言うのか?
ならば俺は今まで、何のために――。
そんな俺の歪んだ自問自答に気付く訳もなく、彼女は言った。
「私は明日香。
長いポニーテールが、爽やかに揺れた。
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