ディープ・イン・ブラック

「大地、準備は良い?」

「おう‼ 俺はいつでもエンジン全開だぜ‼」


 俺たち三人は苦痛龍討伐作戦を決行する為、地上の海の上に一本伸びている、岩でできた天然の桟橋さんばしの先端まで来ていた。


 改めて作戦を整理しよう。まず作戦の第一段階として、俺たちは蒼蓮さんから預かった水晶を持ち、水底に設えられているという台座を目指して泳がなければならない。その役は見ての通り、俺ではなく大地が担うことになった。理由としては、さっき大地が勝手に使った“鱗の体”の呪文の効果で、現在水中での移動速度がブーストされているからである。


 大地が水底に辿り着いたら、水晶を設置する為に設えられているという台座にそれを置き、再びこの場所へ泳いで戻ってくることができれば、作戦の第一段階は終了。なのだが、当然ここで問題になってくるのが、海の中をウヨウヨと泳いでいる鮫の存在だ。呪文の効果でどれだけ大地が速くなっていようとも、これだけの数の鮫を避け続けるのは流石に不可能だろう。


 そこで重要になってくるのが、蒼蓮さんのくれた魔導書に書かれている“鮫、海豚いるかの従属契約術式”という呪文だ。名前の通り、この呪文は鮫を術を使用した者に従わせることのできるもので、これさえ使えば鮫たちに大地を襲わせず、安全に水底まで送り届けることができるという博の算段である。


 大地が水底から戻ったら、作戦の第二段階だ。と、大げさに言ってはみたものの、第二段階とはただ博が苦痛龍を葬る為の呪文を唱えるだけなのだが。ただしその呪文は唱え終えるのにかなり時間が掛かるらしく、それも一度失敗したら二度は使えない為、俺と大地は博が呪文を唱えている間、妨害されないように見張っていなければならない。


 だが博が言うには、何故かこの空間に深きものたちが入ってくることはできないようで、呪文を妨害される可能性は限りなく低いらしい。よって、全体を通して俺がやれることは特にないということになる。ま、何もしないでいられるなら、その方が全然楽ではあるけれど。


 だけど、俺には一つどうしても気掛かりなことがある。それは、本当に呪文なんかで鮫たちを従わせることができるのかという疑問。もしも本当に呪文で鮫をどうにかすることができていたなら、何故、蒼蓮さんは……――。


「それじゃあ、始めるよ……『聞け、海に住まいし、深き海の底に沈みし蓋を守りし眷属たちよ。我は石碑せきひに刻まれし、螺湮城らえんじょうめいを読み解きし者。我の言葉は螺湮城の主の言葉なれば、其は我の従者なり。主が言葉の元に従者へ命ずる。道を開けよ――』」


 疑問を抱く俺を他所に、博はスラスラと呪文を唱える。すると本から青白い光が立ち昇り、光は海全体を包み込むように広がってゆく。光が海の中へ行き渡ると、今まで自由に泳ぎ回っていた鮫たちはその場でピタリと動くのを止め、博の方を凝視しているかのようだ。


「す、すげぇ‼ 鮫が全員止まっちゃったぞ‼ 作戦成功だ‼」


 いや、何かがおかしい。確かに鮫たちは動くのを止めはしたが、それは博の言葉に従ったというよりも、まるで何か、困惑して留まっているだけのような――。


「うおぉぉぉっし‼ それじゃあ行くぜ‼」

「ちょ、ちょっと待て、大地‼ 何かおかしいぞ‼」

「うぉッ、っとぉ⁉ な、なんだよ隼人、おかしいって、何がだ?」

「いや、わ、分からないけど……。ひ、博」

「う、うん。術は成功した筈なんだけど……。でも、僕も、何かがおかしいと思うんだ……」


 何が起こったのかも分からず、俺たち三人はその場で鮫たちと顔を見合わせたまま、固まったように黙ることしかできなかった。するとそのとき、とんでもない圧力を伴う何かが近付いているような気配を感じる。それは先ほど感じた苦痛龍のものとは違うものの、けれどそれにも引けを取らない、ギラギラとした鋭い感覚だった。


 三人で気配の方、水面下を覗き込むと、すぐにそれの正体が判明する。遠くてここからでは見通すことのできなかったその場所、水底から真っ黒で巨大な塊が、俺たちの方を目指して猛スピードで泳いで向かって来ているのだ。


「や、やべぇぞ‼ 下がれ‼」


 大地がそう言葉を発すると、俺たち三人は急いで桟橋から岩場まで逃れようと走る。けれどそれよりも、水底から上がって来た何かの方がずっと速くて、その場から数歩も離れないうちに、大きな水しぶきを上げてそれは姿を現した。


「「「うわぁッ‼」」」


 激しい衝撃と水しぶきで俺たち三人は、桟橋の上に転げるように倒れてしまい、そのままの姿勢で水底より姿を現したものの正体を目の当たりにする。それは、映画でも見たこともないような、真っ黒で巨大な鮫だった。


 鮫は水面から顔だけを出し、光を映さない空洞のような目で俺たちの方をじっと見ている。鮫は水の中で、俺たちは陸の上だから大丈夫だとか、そんな風に考える余裕などある筈もない。こうしてただこの巨大な鮫に見られているだけでも、俺たちは捕食される側なのだと、そう理解させられずにはいられなかった。そうして鮫に睨まれて、動くことも喋ることもできず、暫く尻もちをついたような姿勢でいると――。


「こんッ、ガキどもぉぉぉ‼ 今儂らに偉そうな口ば叩きおったんは、どこのどいつじゃ‼ おぉう、コラァァァァァ‼」


 ビリビリと空気を震わせ、怒りをあらわに、まるで恫喝どうかつするかのように声を発した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る