第196話 わずかな進展
「セフィ、時間だ。腕を」
「わかりました」
医薬品などが揃った清潔な一室において、セフィは教授と向かい合っていた。
定期的に行われる採血のために腕を差し出すと、空だった注射器が赤い液体に満たされていく。
やがて褐色の肌から注射器が離れると、セフィは口を開く。
「いつになったら、採血する回数は落ちますか? オラージュより前の組織にいた時と比べて、頻度が多いように思えます」
「すまないが、もうしばらくはこのままになる」
「研究に、少し進展があったからですか?」
「ああ。隠しても仕方ないことだから言っておこう。ブラッドという薬物をどう摂取するかによって、若返りが発生する部位に法則があることを突き止めた。口から摂取、注射器によって体内へ直接注入、あるいは薄めたものを目に使うことでも」
若返りの研究が進んでいることを喜ぶ教授であったが、セフィはほとんど表情を変えずにいた。
「退屈かね?」
「多少は」
監禁されている現状、娯楽の類いは限りがある。
勉強か本を読むぐらいしか、できることはない。
「なら、君の義理の親となっている、メリア・モンターニュの最近の行動について話そう。彼女は共和国から援助を引き出すことに成功し、オラージュへの襲撃を続けている」
「いつの情報ですか?」
「つい数日前のことだよ」
「教授は……共和国と深い繋がりがあるのですか」
「もちろん。資産家に、政府の一部。それなりの繋がりだと言っておこう」
「その共和国からの“助力”の中身が、あの人を害するものだったりする可能性は?」
「半々といったところだろう。私の把握していないところから戦力が送り込まれた」
「その言葉は、どれくらい信じるべきですか」
「共和国は、人類の領域の三分の一を支配している巨大な国である。まあ、それは帝国や星間連合も同様なのだがね」
銀河において人類の領域となっている部分は、セレスティア帝国、帝国から分離独立したセレスティア共和国、そして帝国へ対抗するため複数の国々が集まることで生まれたホライズン星間連合。
この三つの国により、世界は構成されていると言っても過言ではない。
それだけ巨大であるということは、国のことをすべて把握している者はいないに等しい。
各国の様々な部分と繋がりを持つ教授でも、わからないことは数多くあるという状況だった。
「殊勝にも、オラージュを倒すため素直に手伝うつもりなのか? それとも手伝うふりをして裏切るのか? あるいはオラージュを消したあと彼女をも消すつもりなのか? はたまた、また別の選択肢があったりするのか? セフィ、君はどう思う」
「情報が足りないので判断できません」
「それもそうだ。私としては、共和国側が手伝うふりをして彼女を消してくれる方がありがたいのだがね」
一通り話が済んだあと、清潔な一室から出ていくのだが、その際、セフィは歩いている途中に周囲を見る。
無機質な通路だけが存在し、時折落ちているゴミが、住人がここにいることをわずかに訴えている。
ここに訪れてから、教授以外の人間をほとんど目にしていない。
それについて尋ねると、教授はかすかな笑みを浮かべて答える。
「君に、他の誰かと会わせるというのは、とても危険過ぎる。“以前の組織”と同じようなことが起きては困るからね」
「一人が心配なら、複数にすれば問題はないはず」
「ははは、セフィ、君はいけない子だ。どのような形であれ、その血を摂取したならば、摂取した者を操れてしまう。例えば、口に含ませた血を目に当てる、血を飲み物の中に入れる、鼻や口の粘膜を通じてもいけるだろう。……そうやって誰かを操り、ここから逃げ出すつもりなのだろう?」
「…………」
「君には二つの能力がある。薬物を摂取し、体内で濃縮していくことで、その血は新種の薬物となる。そしてもう一つの能力。これは薬物の有無に関係なく、自分の血を摂取をした相手を操れるというもの」
セフィはかつて、自らの血の力を使い、一つの犯罪組織を壊滅させたことがある。
その組織は自分が生み出された場所であるが、邪魔だったので潰そうと思える程度のところでしかない。
ただ、セフィがそうやって組織を潰す場面を、教授は目にしているため、血の力については警戒を怠らないでいた。
それゆえに、他の者と会わせないことで誰かを操るということを未然に防いでいるのだった。
「まったくもって遺伝子というのは不可思議な限り。君のような存在が生まれるが、新たに同じような者を生み出すことはできない。クローンですら、君とは違うことを思い知らされる。それほどまでに貴重な、偶然の産物というわけだ」
「だからといって、自分という存在を好き勝手にされるのは嫌ですよ」
「すまないが、それについては諦めてもらうしかない。他人を操る力は君の意思次第なので利用できないが、若返りの可能性については君の意思を無視しても到達できる可能性が高いゆえに」
ブラッドという薬物を使用した重度の中毒者にのみ発生する、部分的な若返り。
それこそが、教授がここまでなりふり構わない行動に出たすべての始まり。
科学がどれだけ発展しようとも、人は老いて死ぬことから逃れることはできない。
宇宙に飛び出し、とある星系からまた別の星系へと移動できるほどの技術を持っているにもかかわらず。
だからこそ、教授が率いるオラージュは、犯罪組織でありながら、あらゆるところからの協力を得ることができている。
「若さ。みんなそれを望みますか」
「望まない者などいないさ。老いて肉体が衰えば衰えるほど、若い頃の自分と比べてしまう。今まで食べられた物を体が受けつけなくなる。今まで大丈夫だった肉体への負荷に耐えられず、怪我をしやすくなり、さらには怪我が治りにくくなる。そしてこれこそがある意味最も重要なことだが……美しさが失われていく。だから各国のお金持ちは、犯罪組織である我々を援助してくれるのだ」
教授はそう話しながら、自らの手を広げると、手袋を外して手のひらを見つめる。
しわが深く刻まれた手は、彼が高齢な人物であることを示している。
「老化の抑制、それにも限度はある。ほとんどの人にとっては、資金的な問題からだが」
「教授は……今いくつですか」
ここに至りセフィは質問をする。記憶にある限り、目の前にいる人物は昔から姿が変わらないでいた。
十年以上の月日があれば、多少なりとも変わるはずなのに。
「それを語ることにどれだけの意味があるというのだね?」
「言うつもりはない、と」
「セフィ。君自身の特別な力や体質により、それなりの待遇でいられる。そのことを忘れるべきではない」
どこか脅しの混じった言葉であるが、セフィはあまり気にしないでいた。
何をどう言ったところで、手荒に扱うことはできない。
若返りという、人類が未だに到達しえない可能性を掴み取るには、この血が必要なのだから。
「そうは言いますが、この肉体を拘束するなら、血の生産量が減るかもしれない。それは教授にとっては避けたい事態のはず。精神の状態は、肉体の状態にも影響するので」
一時的に、睨み合う状況となる。
それは十秒ほど続いたあと、教授の方から口を開くことで終わりを迎えた。
「やれやれ……いくらか頭が回るのは困った限りだ。しかし、頭が回らないよりはいい」
「ところで、次はどんな代物をけしかけるつもりですか。キメラの改良型程度では、あの人たちをどうにかすることはできませんよ」
「こちらとしても、色々と策がある。人を殺すのに悪意だけでは足りないのならば、善意をも合わせればいい」
「何を……言って」
セフィには、教授の言っていることの意味を少ししか理解できなかった。
メリアを殺すために、なんらかの手を打つのだろうが、いったい何をするのか予想がつかない。
やがて、いつも過ごす一室に到着すると、教授と別れて一人だけになる。
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