第5話 船内での一日
必要な買い物を済ませてから宇宙港を出たあと、メリアは軽く息を吐く。
帰りも同じようにワープゲートを通るのだが、そこからアルケミアまでは一日近くかかるのだ。
なのであらかじめ記録していた座標に自動運転を設定したあと、一眠りすることにした。
「あたしは少し寝る」
「そうですか。何か異常があれば起こします。おやすみなさい」
「変なことするんじゃないよ」
「わかっています。しません」
ヘルメットを外し、宇宙服を着たまま操縦席の座席を倒して横になる。
それを黙ったまま見つめるファーナだったが、数時間ほどは何もせずに、操縦室にある計器類を見ていた。
しかし、船内が静かになって寝息だけしか聞こえなくなると、音を立てずに動き始める。
「……うふふ」
ファーナはメリアを見下ろすと、ゆっくりとしゃがんでいき、目線を合わせたあと無防備な寝顔に指でそっと触れる。
この程度では起きないのを確認すると、そのまま口の辺りに手を持っていく。
手のひらに触れる呼吸のぬくもりを感じたあと、起こさないよう手を離す。
そしてじっと寝顔を見つめ続けた。
「ん……ふぁ~あ……時間か」
「メリア様、おはようございます」
「ああ、おはよ……」
短い睡眠から覚めたメリアは、ぼんやりと目を開ける。すると目の前にファーナの顔があった。
しゃがんだままの状態で、じっと見つめているのだ。
その距離は息がかかるほど近く、驚きから身動きができなかった。
「……いつからそうしていた?」
「二時間ほど前から。メリア様の寝顔はとても可愛らしかったです。それと、計器類に異常はありませんでした」
「ちっ……」
やるべきことはやっていたため、怒るに怒れず、メリアは舌打ちだけで済ませた。
「アルケミアまでは……まだ十数時間もあるか。シャワーしてくる」
「わたしもお供します」
「来るな。そもそもロボットには必要ないだろうに」
「そうですね。しかし、メリア様の全身を余すことなくこの目に焼きつけるという、大事なことが」
「……ファーナ。もしあたしがシャワーしてる時に来たら、ビームブラスターぶちこむからね?」
嘘ではないことを示すためか、メリアはブラスターを手に持ち、ファーナへと向ける。
「致し方ありません。そこまで嫌であるなら、素直に引き下がることにします。……ちなみに、身体を洗うお手伝いなどは」
「必要ない!」
強く言い切ったメリアは操縦室から出ていく。
残されたファーナは、特にすることもないのでスクリーンを通して宇宙を見る。
遠くに星の光はあっても、大部分が真っ暗。
人間にとっては広大ながらも狭い世界であり、宇宙に進出するのが普通になっても、まだまだ未知に溢れている。
「うん……?」
のんびりと視覚からの情報だけで宇宙を眺めているファーナだったが、何か違和感を覚えたのかスクリーンを凝視する。
今映し出されているのはヒューケラの後方。
そのあと計器類を見てみるも、これといった変化はない。
そこで、機械の身体の処理性能を引き上げ、改めてスクリーンを見ると、ようやく違和感の正体が判明した。
「光学迷彩……」
それはほんのわずかな揺らめき。
人間では気づけないほどの。
ファーナはすぐに操縦室から出ると、シャワー室へと向かう。
身体を洗っている最中なのか、水の流れる音が聞こえてくるが、気にすることなく扉を開けた。
「メリア様、お伝えすべきことが」
「うわ、このお馬鹿! いきなり来るんじゃない! せめて扉越しに声をかけろ!」
突然のことに驚いたメリアは、近くのタオルで自らの身体を隠す。
その際、ブラスターにも手を伸ばそうとしたが、伝えることがあるという言葉を受けて直前で止まった。
「おお、美しく均整の取れた身体ですね。鍛えられて引き締まった手足に、しなやかな筋肉が全体を……」
「おいこら、伝えるべきことがあるから来たんだろう。それを早く言いな」
「失礼しました。待っている間、操縦室のスクリーンを眺めていたんですが、奇妙な揺らぎがあるのに気づき、この端末の処理性能を引き上げて改めて確認。すると、光学迷彩なことが判明しました」
報告を耳にしたメリアは、すぐに表情を切り替えると、シャワーを途中で切り上げた。
「ファーナ、着替えるから出ていきな」
「嫌です。着替えるのをお手伝いします」
「いらないよ。謎の追跡者は、まだ仕掛けてくる気がないようだしね」
「ところでメリア様。謎の追跡者とやらに気づいたわたしに、何かご褒美があっても良いとは思いませんか?」
「……あとで聞く」
「約束ですよ」
まずは薄手の服を着て、その上に宇宙服。
そして五分近くかけて髪の毛を乾かすと、メリアはヘルメットを抱えてから操縦席へ座る。
「次は軽く腹ごしらえをしないと」
「ずいぶん余裕がありますね」
「自動運転の間は、向こうから仕掛けてくることはない。わざわざ、宇宙船全体を隠す光学迷彩なんて代物を使ってくるんだ。何もない宇宙空間を飛んでる間は安全さ」
「なるほど。それと、食べ物は保存食のようなあれしかないですが」
「こういう時にはちょうどいいだろう?」
セールで半額となっていた、あまり食欲のそそられない保存食たち。
ゼリーやブロックといった食べやすいものから、チューブに入ったどろどろなペースト状のもの。メリアはそれらを黙々と食べていく。
「美味しいですか?」
「正直微妙。だけど、そのおかげで安く大量に買えるんだ。贅沢は言えない」
「野菜や肉のペーストは、わたしから見ても美味しそうではないですからね」
「ファーナは味がわかるのかい」
「人間とほぼ同じ感覚があると思っていただければ。なので、あの時のキスでは少し甘い味が」
ファーナの言葉を止めるためか、メリアは食べ終えたあとのゴミを投げつける。
しかしそれは空中で掴み取られてしまう。
「ゴミを投げるのはどうかと思います」
「うるさいよ」
戦闘の加速に備えて、食べ過ぎないようにしたあと、いよいよその時がやって来る。
メリアは操縦桿を握り、自らの船であるヒューケラに異常がないかを確認。
「ファーナ、光学迷彩の大まかな位置は?」
「この辺りになります」
特に問題がないので、船体後部にあるビーム砲を稼働させ、スクリーンに示された場所へ向けて放つ。
当たったのか光学迷彩は解除され、破損した宇宙船が姿を現す。
それは武装した海賊の船だった。
「どこの誰が追いかけて来たのやら」
「これまでにも、こういうことは?」
「ないね。このヒューケラはおんぼろ船で、わざわざ光学迷彩を使ってまで追う価値なんてない。……つまりは、ファーナが原因と考えるのがしっくりくる」
隠れることができなくなった海賊船は攻撃してくるが、ヒューケラは旋回して回避する。
外観はともかく、中身は新しいパーツばかりなため、かすりもしない。
「おそらくは、ディエゴの馬鹿だろうね。適当な奴に金を出して依頼でもしたんだろうさ」
「どうします?」
「わかりきったことを聞くもんだね。当然、沈めるに決まってるだろう」
スクリーンに映る海賊船は、計器から判断すると六十メートル級であった。
そこそこ大きく重武装だが、いるのは一隻のみ。
メリアはまず、相手のシールドがどの程度か試すためにビーム砲をいくつか放つが、当然のようにすべてシールドで受け止められる。
「光学迷彩の最中は、シールドが限りなく弱くなっていた。あの時に一撃加えることができて良かったよ」
「メリア様、ご褒美の追加をお願いしても?」
「ああ、考えよう。さっきのはファーナのおかげだからね」
万全の状態だったら攻めあぐねていた。
しかし相手は、シールドが弱まっている時にビーム砲の一撃を受け、だいぶ弱体化している。
メリアの操るヒューケラは、相手の攻撃を回避しながら自分の攻撃だけは当てていく。
「このまま撃ち合いを続けるんですか?」
「いきなり突っ込むのはさすがにね。しばらく続けて機会を待つ。もちろん、機会を見逃さないよう集中しないといけない」
宇宙船は大きいとはいえ、宇宙空間においてはちっぽけな存在に過ぎない。
ビームの光はすぐさま暗い世界に呑み込まれ、目まぐるしく変化する計器類は人間にとって心の拠り所だった。
避けては撃つのを繰り返すこと十五分、操縦者の違いからか、重武装な海賊船は動きが緩慢になり、砲火も衰え始めた。
「メリア様、仕留める機会が来ました」
「光学迷彩なんてものを積んで、シールドに負担がありながらもずっと撃ちっぱなし。船内のどこかで異常が起きたね、あれは」
船を沈めるこれ以上ない機会に、メリアはヒューケラを一気に加速させる。
相殺しきれない慣性に肉体が悲鳴をあげるが、宇宙の船乗りにとっては、これくらい耐えられなくては話にならない。
海賊船にぶつかりそうなほど接近した瞬間、メリアはビーム砲を放てるだけ放つ。
そして次の瞬間には宇宙に大きな火花が生まれ、そのあとには海賊船の残骸だけが漂っていた。
「追跡者は仕留めた。とはいえ、同じようなのがいる可能性は捨てきれない」
戦闘もできる船を囮にして注意を集め、隠密に特化した船で追跡を続ける。その可能性は充分にあり得る。
「メリア様、わたしが船外に出て確認をしましょうか? スクリーン越しでは、視覚以外のセンサーを有効に利用できませんが、宇宙空間で直接確認するなら、この端末の性能を十全に発揮できます」
「機械の身体ゆえに、か。任せるけど、命綱は忘れないように。もし船から離れてしまったら、二度と会えなくなる」
「もちろん気をつけます」
ファーナは貨物室に向かい、そこから真空の世界へと出ていく。
命綱は船外作業用に備えたワイヤーが一本。
静止しているならともかく、航行している最中ではなんとも不安が残るものだが、人工知能であるファーナにとっては些細なことだった。
今動かしている機械の身体がなくなっても、新たなものに移ればいいのだから。
「……*****」
それは人間には聞き取れない言葉だった。何かの音にしか聞こえない。
次の瞬間、ファーナの機械の四肢や胴体の一部がわずかに発光する。
そのあと宇宙空間を見渡していき、しばらく経って納得いく結果が得られたのか、船内へと戻っていった。
「メリア様、これといって怪しいものはありませんでした」
「それはよかった」
「ディエゴという人はどうしますか?」
「次会う機会があればぶん殴る」
「殺しはしないのですか」
「宇宙港の外でならね。中ではできない」
「それじゃ、やられ損じゃないですか」
「結構な金を払って依頼したはずだろうし、大損は与えた。今はそれでよしとする」
どこか不満そうなファーナだったが、そう言われてはどうすることもできない。
「……そんな顔するな。今回ファーナのおかげで助かったんだから」
メリアは船を自動運転に切り替えると、ファーナのそばに寄り添い、白い髪を優しく撫でる。
「ふふん、もっとお願いします。しかし、これはお礼の範疇には入りませんので」
「……ちっ」
「今舌打ちしましたね?」
「してないが。気のせいだろう」
「いえ、聴覚センサーに反応がありました」
多少の言い合いが発生したものの、その後ヒューケラは何事もないまま、巨大な宇宙船であるアルケミアへと到着した。
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