第9話 常にお腹が空いている

 食堂に向かい、皆でテーブルについて、男が作ったポトフを堪能した。かなりお腹が空いていたが、それにしてもおいしすぎる。


「おいしい! わあ、おいしいです」


 ルネは男の目を見て素直にそう言うと、男はほんの少しだけ頬を染めて「うん」と真面目に返した。


「白ワインを少々入れて、隠し味に——」

「うわー! なんだこれ! おいしすぎる!! ふぅぉぉぉ!!」

「サフランがあったから、それを……」

「はっはは! 味の宝石箱や〜! わー! なんだこれうめえ! まいうー! ウマーベラス!!」

「……加え……た」


 ルネは五杯ほどおかわりすると、もう一杯おかわりいただけないだろうかと鍋を自分の方へと寄せた。聖女が「も〜、ルネちゃんが大食いで可愛い」と目尻を下げる。


「ルネちゃんルネちゃん、叔母さまのも少しわけてあげる〜」

「ありがとうございます! 胃袋大満足の仕上がり! あー、シェフを呼んでくれ〜! わたしのところで働かないか〜!」


 どん、とテーブルをこぶしで叩く音がした。ルネは口の中をポトフで一杯にしながら、びくりとしてそちらを見る。


 男が——、そのサファイア・ブルーの瞳に怒りの炎をたたえていた。


「人の話を聞け! それには隠し味を入れたの! だから味に奥行きが出ているはずだ! おいしがってくれるのは嬉しいが、とりあえず話を聞け! このずーっと腹が減ってばかりの小娘が!!」


 聖女たる叔母がキッ、と男を見据えた。男はびくりと固まる。


「許せません! いくら殿下とはいえ、私の最愛の姪を『腹が減ってばかりの小娘』と侮辱なさるなんて!」


 男は悲痛そうに目を伏せる。


「いつも貴女あなたはそうだ、私をそばに招いてくださりながら、こうして私に恥辱を与えなさる——」

「せめて『はらへり魔女』って呼んであげてください!」

「はらへり魔女!? 叔母さま!?」


 ぽん、と叔母の手がルネの頭に置かれた。


「浄化、治癒。どれも膨大な魔力と体力の消耗を要するものです。四大元素を基にした通常魔法である水魔法や炎魔法などとは違う、特殊魔法であることは殿下もご存知でしょう。たまたまこの子は通常魔法より特殊魔法のほうにけていて、特に浄化と治癒に大きな才能があります。それゆえ、この子は魔力や体力の消費がいちじるしく、常にお腹がいているんです」


 おお、叔母が、わかりやすい説明をしているぞ、とルネは感心した。


「お忍びで山から帝都にくだり、十歳くらいのこの子をケーキ店に連れて行ったことがあるんです」


 叔母がルネの昔話を開陳かいちんしだした。


随分ずいぶんお腹が空いていたんでしょうね。陳列棚ちんれつだなの、端から端までケーキ全部ください! というふうにこの子は頼んで、とんでもない額で、小切手を切るくらいだったのですが——」


 ごくり、と男が唾を飲む音がした。


「その日のうちに全部食べきりました」


 男が怪談でも聞くように顔を青ざめさせている。


「……もちろん、貴女とだろう?」

「いえ、ルネちゃん一人で」


 男は絶叫した。椅子から転げ落ち、ルネを、恐ろしい怪物を見るように見ている。どう見ても二十代後半から三十代前半の男が。十七歳のルネを。


「そなたと同じ歳くらいだった頃の私も食欲では宮廷料理長泣かせだったが、その私でさえそんな無謀しなかったぞ!」

「宮廷料理長?」


 ルネは叔母を見る。やはり男が誰なのか知りたかった。叔母は、仕方ないわね、と言った。


「ちょっと、昼食の腹ごなしに庭に出ますか」


 男はうなずいた。彼自身は、ほとんど昼食を食べていないにもかかわらず。


 季節は冬で、かなり標高の高いところに聖女の住まいがあるというのに、花が咲き乱れていた。ここにいると季節感がなくなる。


 素朴だがよく手入れされた庭の小さなベンチに、叔母は座った。ルネと男は立ったまま叔母の話を聞く。


「殿下は、この私の姪が素晴らしい才能を持った世界一可愛い魔女で、さすが私の姪だとおわかりになられたかと思いますが……」

「はらへり魔女だがな」

「ルネちゃんルネちゃん、このお方はね、さっきも見たと思うけれど、呪いに苦しんでいるの。死の呪い。そこまでは私たちにもわかったけれど、あまりに呪いの完成度が高すぎて、それ以上読み解けなかったのよ。いつ死ぬのか、なんで呪われているのか、どういう症状がでるのか、あそこまで一瞬で解明したのはルネが初めて。しかも一時的にとはいえ浄化までやりおおせた」


 ルネは恐縮きょうしゅくする。そんな、叔母に真面目にめられても困る。

 ルネによく似た若芽色わかめいろの叔母の瞳が、ルネを見据えてくる。久しぶりに、本当に真面目に。


「この殿下をおそばでお守りしてくれないかしら。このお方は帝国にとってなくてはならないお方なのだから」

「……」


 なんだかノリで訳のわからない料理のうまい高貴そうな美男子の護衛をさせられそうになっているが、ルネはぶんぶんと首を横に振った。


「だ、だって謹慎中じゃないですか!」

「無期限のね。神聖騎士自体はめることができないから、実質クビじゃない」


 叔母の言葉が心に突き刺さる。ルネは「くう」と胸を押さえた。震えて涙があふれる。

 よしよし、つらかったね、と叔母と男に交代交代に頭を撫でられた。


 叔母がまたもや真面目にいう。強さとふてぶてしさを秘めた——政治家のような顔をして。


「このお方はラスカリス大公ギュスターヴ・オディロン殿下。先帝陛下の弟君でらっしゃる。今の皇帝陛下はまだご幼少のため、この大公殿下が摂政として政治を執り行っていらっしゃるの」

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