第7話 聖女のお堂で出会った人は

「ルネー!! ルネちゃん!!」


 聖女という言葉から受ける印象からは程遠いけたたましい声がルネを包む。くるぶしまで届く長い金髪に白いものがまじるようになってきた叔母は、テオから降りたルネに抱きついた。


「あ〜っ! あーーっ! ルネの匂いがするぅー! 筋トレしてきたの? 魔力がちょっと強くなっているわね」

「腕がぷるぷるします」

「仕方ないわ! へいきへいき!! 若いからすぐ治っちゃう! でも、筋トレ以外のつらかった事情はぜーんぶ把握してるからー! 叔母さまぜーんぶピピっと来ちゃったからーー! ルネちゃんに仕込んでおいた監視ゲフゲフ保護魔法が働いて、ルネが受けてきた不当すぎる行為がぜーんぶ叔母さまの脳内に入り込んだからーー!! さっきまでのたうちまわってたァーー! 安心して! 賠償金はスキュリツェスの義兄さんと私が払うからー! アルギュロスは将来頭がツルッパゲになって出っ腹になるように呪っといたからーー!!! ミルティアデス卿は報告書書く時、絶対タイプライターを使わないきゃいけない局面になるよう呪っといたから!! 加護が欲しいのね! ありとあらゆる加護あげちゃうぅ〜!」

あでぃがどぅごだいまずありがとうございます


 ルネは抱きしめられすぎて、呂律ろれつが回らなくなった上、めまいがした。


 叔母は——聖女リュディヴィーヌ・カロフェロスは、姪であるルネをこの上なく愛している。


 九歳四ヶ月という最年少で帝国魔術師試験に史上最高得点で合格。十五歳八ヶ月というこれまた最年少で帝国に二十名ほどしかいない帝国上級魔術師試験にやはり史上最高得点で合格。その後も着々と実績を上げ、帝国魔法院の厳正なる審査を受け、二十八歳で帝国至高魔術師——聖女となった。


 叔母は天才ゆえに、疎外されやすかった。小さい頃から発想が他人と異なるため、自己本位に見えてしまっていたらしく、ひどく嫌われていじめられた。

 だから叔母は、家族の待っている家に帰り、父親や母親が家事や仕事をしているそばや、姉が勉強をしている隣で、静かにいろんな魔術書を読みふけるのが一番安心する時間だったらしい。

 叔母は家族しか信用せず、愛することはない。しかもどこか幼稚だ。


 一応、「大人」になった瞬間はある。

 聖女になる前に一回、大好きな人ができ、その人を夫から奪って同居をはじめたときのことだ。その期間の叔母は幼稚さが抜け、年相応の落ち着きを持った人になった。だがそれは長く続かず、——恋人であった女性は病で死んだ。

 その瞬間、叔母は崩壊した。

 その反動で天才的な魔術師になり、聖女候補となった反面、さらに人嫌いで気難し屋になった。父母と姉にしか心許さなくなった。


 ルネの母は姉として、才能は異常にあるが人に嫌われがちで不器用な妹を可愛がっていたらしい。だから叔母はルネの母に重度の愛着を示した。その子供たちは叔母から全力で愛されている。

 そして、特に魔力を持ち、一時期手元で育てていたルネは目に入れても痛くないどころか目ん玉をくり抜かれても痛くないほど可愛いのである。


 聖女はルネの腕を引くと、「おいでおいで」と聖堂の中に招いてきた。

 聖堂の中で一番大きな空間である、巡礼者の集まる大祭壇は、白亜の空間だ。母を失って、太陽を無くしたような気分になっていた頃のルネが叔母と隠れん坊をして遊んだ、いとおしく懐かしい空間がそこにあった。


 安心して涙が出てくる。


「……ルネちゃん?」


 叔母が振り向いた。


「帰ってきた気がする……」


 ルネがぽろぽろと涙を流すと、叔母も涙を流し、またひしっと抱きしめてきた。


「あーーっ!! 叔母さま、腕によりをかけてルネのために温かい料理作っちゃう! たんと召し上がって!」

「あっ、それは嫌です」


 叔母は天井から石が降ってきたような顔をした。叔母の作る料理はおおよそ人知を超えたものなのである。叔母と同居していた時は、もっぱらルネが料理を作っていた。


 しゅん、としている叔母と共に、白亜の空間を通り過ぎようとする。


 白亜の祭壇の目の前に、ひとり、巡礼者がいた。人嫌いの叔母は、一対一で話すのが面倒という理由で、団体の参拝者でないと普段聖堂に受け入れない。


 ——珍しいなぁ。


 白金の輝く巻き髪が目に眩しい男性だった。祭壇に祈り、ひざまずいている。彫像のようにたくましい半裸を晒していて、聖女が使役する治癒が得意な魔獣や巫女たちが彼を聖水で清めている。その肌は、白亜の空間と同化しそうなほど白かった。だが——。


「あれ……?」


 ルネはぞわぞわとしながら大きく若芽色わかめいろの眼を見開き、すぐに叔母を見る。ルネの視線に気づいて、彼女はこめかみに手をやった。


「あー。ここ最近の常連なのー。もともと知り合いなんだけど」


 その男性は、白い左肩に大きな黒いあざができていた。焼け焦げていくような。普通の人間にはわからないだろうが、ルネははっきり見え、とんでもない腐臭にふらつきそうになった。


「……強力な死の呪いを受けていますね。だいたい一年後くらいにその痣が身体中に回って身体中が腐り、のたうち回りながら高熱を出して死ぬ。でも本人が悪いというわけではなさそうだなあ。つまり、怪物に触った呪いでもない。うっかり闇の魔術に手を染めた代償でもない。誰かに呪われましたね? たぶん、髪の毛か何かを使って呪われたんだと思います。とするとけっこう身近な人物」


 ルネがそういうと、叔母が「うちの姪が凄い」ともだえ死にそうになっていた。

 男が、まるで救済の天使でも見るかのように、ルネをそのサファイア・ブルーの瞳で見た。

 叔母は「そういうことだそうです、殿下」と高笑いをする。


「私の愛する姉の末娘ですから。私の愛おしい姉の末娘ですからね。褒美をたんと取らせてやってくださいませね!」


 悪女のように聖女リュディヴィーヌは「おーっほっほっほ」と手を口に当てて笑いながら、体を反らせた。

 左肩に痣のある男はうなずく。


 ルネは無機質にその男に早足で近づいた。魔獣や巫女たちから水盤に入った聖水を奪い、浄化魔法を聖水に強く込める。浄化の濃度を調節するためだ。

 水盤のなかの水が渦を巻く。沸騰したように気泡ができ、その気泡はきらめく水滴となり、蒸発した。


「ちょっと、水がきれいすぎますよ。こういう痣にはちょっとくらい不純物が混じっていたほうがいい」


 ガラス玉のような瞳になったルネが静かにそういうと、叔母がにやりとした笑顔を浮かべて返す。


「あら、そうだったの?」


 ルネはうなずき、


「それで、ちょろちょろかけるんじゃなくて、一気に」


 こう、と聖水を勢いよく彼の左肩めがけて、ばしゃん、とかける。


 ぶすり、と音を立てて痣がしぼんだ。彼はむせこみ、口から黒い煙を吐く。

 眼を大きく見開いたまま、ルネは巫女から軟膏を受け取り、これにも強力な浄化魔法と治癒魔法を込める。清めた布に、べたべたとへらで軟膏を塗り、その布を痣に貼り付けた。その上から包帯を巻き、ぎりぎりと締めていく。


「耐えられないくらい臭かったですね。痛覚は感じるようになったと思います。吐き気もするし、とても痛くて、私に殺意を抱くような気分になるかもしれません」

「すでにそんな気分だ。だがありがたい」


 自分の魔術が「ありがたい」と言われたのが本当に久しぶりで、感情を動かす部分に久しぶりに血が通ったみたいに、感情が動く。


 どやっとした顔をしながら、ルネは叔母を見る。


「ありがとうって言われました!」


 リュディヴィーヌは感動でむせび泣いていた。


「言われたわね! 言われたわね!! ルネは最高だわ!! ——さて。殿下。お望みの通り、浄化魔法と治癒魔法に長けた者を連れてまいりました」

「随分と幼いな。素性は大丈夫か? 私のこの様子が民に漏れては困るのだが」

「帝国神聖騎士団第六席、ルネ・スキュリツェス。『浄化の魔女』ですわ。私の姪」


 ルネはにこりと男に微笑んだ。男は鼻を鳴らす。


「神聖騎士か。悪くはないな。だが、神聖騎士が何故暇そうにほっつき歩いている?」

「不当に謹慎きんしん処分を食らってしまったからです。保身って大事です」


 ルネは頬をふくらまし、顔を背けた。男はじっと彼女を見た。


「その小さい口から保身などという言葉が出てくるとはな。褒美は謹慎の解除にしてやろうか?」


 ルネは、あなた誰です、という問いを飲み込んで、首をゆるゆると横に振った。


「いえ。謹慎に動揺しているだけで、神聖騎士という職に執着しているわけでもありません。落ち着いたら帝都を出て旅をし、各地のおいしいご飯をたらふく食べます」

「なんだその望みは」


 巫女が男に服を差し出していた。男はそれを受け取り、シャツに袖を通し始めた。

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