#54 別れの時間
3月になり、会社では正式に3月末でリカコさんの引退と退職が決まり、脚のリハビリも一区切り付き、筋力もだいぶ戻り、走ったりはまだ無理だが杖があれば歩行は問題無くなり、今後は沼津でリハビリを継続しながら社会復帰を目指すこととなり、引っ越しの準備も始めた。
そうなると、流石に俺も焦り出した。
転居先は決まったが、再就職先がまだだった。
リカコさんやハルカさんからは、「お金はあるんだから、そんなに焦らなくてもいいじゃない」とか「何で職探しなんてしてるの!?このままウチで働けばいいじゃん!」と言われているが、俺にだって意地(アラサーでフリーターはダメだろう)があるので、なんとか正社員での働き口を見つけたかった。
そして4月に入り、リカコさんの引っ越しの前日となった。
因みに、リカコさんの30歳の誕生日は1週間後で、それを迎える前に引っ越すことになった。
この日は最後の晩餐となるので、少し早いが誕生日のお祝いも兼ねて、リカコさんが好きなシャンパンを用意して、少しだけ豪華な食事を用意した。
最近めっきりアルコールに弱くなったリカコさんは、食事が進むにつれて「フータには感謝してる」「フータには本当に申し訳ないことした」「フータともっと一緒にいたかった」と、「フータフータ」と俺との別れを惜しむようなことばかり言っていた。
そして食事が終わり、片付けを済ませてお風呂に入り、寝室で別々の布団に入ると、リカコさんは「今夜だけ、一緒に寝て欲しい」と言い出した。
セックスをする気は無いし断ろうと思ったが、次いつ会えるか分からないし、もしかしたら一生会わないかもしれないと考えてしまい、床に敷いた来客用の布団から出てベッドへ上がり、布団の中へ体を潜り込ませた。
俺が布団に入ると、リカコさんは何も言わずに俺に体を寄せてきたので、腕枕出来る様に右手をリカコさんの首元に潜り込ませて、優しく抱き寄せた。
「フータ、今までありがとう。辛い事もあったけど、楽しい日も沢山あったわ。私がフータのこと幸せにするって結婚したけど、フータのお陰で私の方が幸せだった」
「確かに俺も、楽しい日も沢山ありました」
少し言葉を交わすと、会話が続かなくなったので、そのまま寝る物だと思い目を瞑ると、次第にウトウトし始めた。
しばらくすると、再びリカコさんが口を開いた。
「どうしてフータは、こんなに優しくしてくれるの?」
半分寝てたので、「ん・・・」と少しの反応しか出来なかった。
「私はフータを裏切った酷い妻だったのに。捨てられるって思ってたのに、事故の後もずっと世話してくれて、浮気のことだって全然責めないし、離婚した後だって今日までずっと世話してくれて。 どうしてそこまでしてくれるの?」
眠いけど、何か答えた方がいいと思い、なんとか返事をした。
「家族で、友達だから・・・」
「でも、他の男と寝たんだよ?」
「リカコさんは・・・間違えただけで・・・家族の幸せを思っての・・・善意による行動を俺は・・・裏切りだと思わないです・・・」
「そっか・・・」
「上手く出来なかったけど・・・」
「そうね。私は、家族として上手に出来なかったんだね・・・。
プロポーズよりも、仕事のパートナーとしてスカウトするべきだったのかな。そしたらこの先もフータとずっと一緒に居られたのに」
「ん・・・Zzz」
◇
翌日は、お義父さん(元)の運転する車で義妹(元)のハナコさんと二人で迎えに来ていた。
荷物は午前中に引っ越し業者が運びだし、俺が用意したお昼ご飯を4人で食べて、午後にこちらを出ることになった。
この日は朝からリリィと最後の散歩に行ったり、リカコさんの残った荷物をお義父さんの車に積み込んだり、お義父さんやハナコさんと話したりと、朝からバタバタとしていた。
というか、リカコさんとの別れを惜しむというよりも、これが最後の別れというのを意識し過ぎて、最後に何を話せばいいのか分からなくて、現実逃避していた。
そして、予定の時間になり、3人とリリィを駐車場まで見送りに出た。
お義父さんが運転席に座り、助手席にはハナコさんが座ると、リカコさんとリリィが後部座席に座るのを手助けしようとドアを開けリリィを乗せてから、リカコさんの補助をしようとすると、リカコさんが俺の正面から抱き着いて、耳元で囁いて来た。
「フータ、アナタは賢いから、いつも考えが先で気持ちを理性で押さえてる様に見えてた。
そこがアナタの良いところだけど、損してる部分でもあるわ。
これからは自分の心に従いなさい。今度はきっと幸せになってね。ずっと応援してるから」
「ええ・・・リカコさんも」
何とか返事を返すと、リカコさんは俺のほっぺにチュっとキスして、車に乗り込んだ。
ドアを閉めるとパワーウインドが開き、リリィが顔を出して、俺に向かってハフハフと構って欲しいアピールをしている。
頭を撫でると気持ち良さそうな表情をしたので、運転席のお義父さんに向かって「お世話になりました。運転気を付けて下さい」と言葉を掛け発車を促すと、「フウタロウ君も達者でな」と返事をしてから車を発車させた。
走り出すと、後部座席の窓から首を出してたリリィが、俺に向かって必死に吠え始めた。リリィがこんなにも吠えるなんて、滅多にない。
そんなリリィをリカコさんが抱き締め、宥めようとしている。
リリィの遠吠えが聞こえなくなり、車が見えなくなっても、しばらくその場から動けなかった。
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