#51 本心からの反省と謝罪



 翌朝、犬たちの食事の世話をして、洗濯物や掃除などの家事をしつつ、ハルカさんの家に泊まっているリカコさんをどうすればいいんだろうかと考えていた。


 本当ならマリンちゃんを送るついでに俺が車で迎えに行くべきだろうけど、その帰りにリカコさんと二人きりになった時の地獄の様な車中の空気を想像すると、ハルカさんがウチまで送ってくれないかな・・・と弱気な事を考えてしまう。



 そんな俺の苦悩をエスパーしたのか、ハルカさんからメッセージが入った。



『今日一日ウチでお手伝いして貰うことになったから、迎えに来るの夕方で良いからね』


 この日は平日で、料理教室がある日だ。

 手伝いというのは、料理教室のことだろう。


 リカコさん、立つことは出来るようになったけど、長時間は無理だし、自立歩行だってまだ厳しい。

 手伝いどころか邪魔しちゃうんじゃないのか?



 って、今更リカコさんの心配して、どうするんだ。

 こんな事になってもまだ心配性なのは、長男故のさがか。



 と言いつつ結局心配で、夕方まで待てずに『マリンちゃんがどうしてもお家に帰りたそうにしてたから』という言い訳を用意して、お昼前に車にリリィとマリンちゃんを乗せてハルカさんの家に向かった。



 ハルカさん宅に到着して玄関扉を開けると、マリンちゃんとリリィが駆け込んで廊下をダッシュしてリビングに飛び込んで行った。

 料理教室中の時間なので、廊下の先のリビングからは何人もの女性の話声が聞こえてくる。


 俺も玄関を上がり、遅れるように廊下から室内を覗き込むと、やはり料理教室の最中で、生徒さんたちはハルカさんから指導を受けながらの調理の最中で、リカコさんはキッチンのシンクで調理器具の洗い物をしてるところだった。


 少し伸びた髪は後ろで1つに括って、服装は部屋着で俺が仕事の時に使ってるエプロンを身に着けていた。

 足元でリリィが2本足で立ち上がって構って欲しいアピールしてても気付いてない様子で、次から次へと持ち込まれる洗い物を必死に洗い続けている。

 よく見ると、化粧はしておらず額に汗を浮かべてて、以前の様な会社経営者としての面影というか、リカコ感はゼロだ。

 でも、昨日の泣いていた様子に比べれば、幾分か持ち直してる様に見える。 昨夜、ハルカさんと二人で話して、少しは気持ちに変化があったのかな。



 ハルカさんだけじゃなく生徒さんたちも、リカコさんが俺の奥さんだというのを知ってるのか、俺が廊下から覗いているのを気付いてても、空気を読んで会釈する程度で俺には声を掛けずに居てくれた。


 しばらくすると試食タイムが始まり、それまで洗い物の作業を続けていたリカコさんも呼ばれて、一緒にテーブルを囲んで食事を始めた。ずっと廊下から顔だけ出して覗き込んでた俺も声を掛けられたが、遠慮して一人で事務室兼食在庫へ移動した。



 試食タイムではいつもの様にお喋りが盛り上がってるのか、時折みんなの笑い声が聞こえてくる。

 恐らく、話題の中心はリカコさんだろう。

 暇な主婦達は、話題に飢えている。

 俺も最初はそうだったけど、新しい会員や見学者とか来ると、みんなからアレコレ根掘り葉掘り聞かれる。リカコさんもきっと今頃、集中砲火でタジタジになっているだろう。

 流石に不倫のことはハルカさんしか知らないので、馴れ初めとか夫婦生活とかそんな話題だろうけど、リカコさんがどんな顔して答えているのか見てみたい気もするが、俺までターゲットにされそうなので事務室で待機だ。



 で、事故以来ずっとアルバイト休ませて貰っててココに来るのも久しぶりだけど、食在庫が以前の様にまた雑然としていた。

 俺が出勤出来ずに迷惑かけてたし、一人で切り盛りしながら俺達の家に頻繁に顔出してくれてて、仕事に影響出てしまっているのは仕方が無いのだろう。むしろ、これは俺のせいだ。


 ということで、在庫の棚卸しをしながら整理整頓を始めた。

 昨日は滅茶苦茶ネガティブになってて今日も朝から気が重かったけど、こうやって仕事をしてると気が紛れる。

 リカコさんも同じなのかも。手作業に集中してれば一時的にでも嫌な事考えずに済むし、時には思考がリセットされて新たな気持ちに切り替わることもある。


 そういう意味では、家に篭って二人で過ごすよりも、こうして外で仕事をしてる方のが建設的かもしれないな。




 作業に集中していると、いつの間にか料理教室は終わって生徒さんたちはもう帰ったのか、静かになっていた。


 棚卸しもキリがついたので、作業の手を止めて立ち上がり、背伸びをしていると視線を感じ、入口へ振り返るとエプロン姿のリカコさんが廊下から室内を覗き込んでいた。



 思わずビックリして「うお!?」と声を出してしまうと、「お仕事の邪魔してごめんなさい・・・」と遠慮がちに言い、何か用件がありそうな様子だった。


「お手伝い、お疲れ様でした」と室内へ招きながら、緊張する空気を紛らわす様に会話を続けた。



「いつもココで仕事してたんです。 でもずっとアルバイト休んじゃってたから散らかっちゃってて、在庫の整理とかしてたんですよ」


「ええ、ハルカさんから聞いてる」


「そうなんですか・・・」


 ハルカさんが何の話をしたのか気になるけど、聞きづらい。


「フータのこと、凄く褒めてた。フータが仕事を手伝う様になってから生徒さんが増えて、業務の効率化もしてくれて経営面でも凄く助けてくれて、しっかり者で優秀だって。

 今までフータがココでどんな仕事をしてたとか、ココでの仕事ぶりがどんな風に役立ってたのかとか、私、全然考えたこと無かった」


 松葉杖無しに立ったまま話をするのは辛そうなので、イスに座る様に促すと、リカコさんは首を横に振って立ったまま話を続けた。


「ハルカさんに沢山怒られたの。『アナタが目を向けるべきは、フータローくんだ。彼がどんな思いでアナタの帰りを待っていたのか、どんな気持ちでアナタの介護をしてるのか。

 フータローくんに円形脱毛症が出来てることも気づいて無いでしょ?目を背けて逃げ続けてる間は、本心からの反省なんて絶対に出来ない』って言われた時は、恥ずかしくて申し訳無くて消えて無くなりたくなったわ」


 リカコさんはそう言って右足を引き摺りながら俺の眼の前まで近寄り、見上げるようにして俺の頭のハゲの辺りをそっと撫でた。


「フータ、ごめんなさい。ずっと頑張ってくれてたのに、見て無くて・・・フータはずっと家族の幸せの為に頑張ってくれてたのに、私は家のこと任せきりで見ようとせずに、ずっと独善的で・・・」


 俺の頭に手を伸ばすリカコさんの表情を間近で見ると、切れ長の目に涙を溜めてて、でも泣かない様に堪えてしきりに鼻をすすっていた。


「ちゃんと、フータの言葉を聞いてれば、こんなことにならなかったのに・・・」


「今更ですよ」


「そうね・・・私が幸せにするって約束したのに全部自分で壊してしまって、本当にごめんなさい」



 昨日までとは少し違う、リカコさんの本心からの謝罪だと受け取った。

 長い付き合いだから、それくらいは俺にも分かった。


 きっとハルカさんが、俺がこれまで苦しんでた辛さを俺の代わりに代弁してくれたのだろう。

 事故の前からの辛かった思いが少しだけ報われた様な、でも素直に喜べない複雑な心境だ。



「今後のことは全部フータの希望に応じるわ。離婚のことも慰謝料や財産分与も。 今まで私の我儘で振り回してごめんなさい」


 リカコさんも、もう離婚回避は無理だと理解しているんだな。


「そうですか。 それで、離婚したらその後はどうするんです?」


「・・・まだ考えて無いわ。実家に帰って少し休もうかと思ってるけど・・・」


「俺も実家に帰ってイチから出直そうかな・・・」


「多分、それは無理だと思うわよ」


「え?」



 どういうことか聞き返そうとすると、リリィとマリンちゃんが部屋に入って来て、この部屋は食材が沢山あって犬たちは入室禁止にしているので、慌てて「入っちゃダメだよ」と追い出すことになり、それ以上はリカコさんからは聞き出せなかった。



 兎に角、『離婚止む無し』とお互いの意見が一致した。

 今後のことは、弁護士なども交えて協議が必要になるだろうけど、方針が決まったことは一歩前進と考えてよいだろう。

 それに、リカコさんの表情も態度も穏やかになって、離婚に関して話しても冷静に受け答え出来ているのは良いことだ。


 そんな風に今は少しでもポジティブに考えないと、寂しさや悲しさばかりで辛いから。




 その日の夜は、ハルカさんの家で寄せ鍋をすることになり、俺もリカコさんもハルカさんにつられてフランクにお喋りしながらの食事になった。


 俺は帰りの運転があるので飲んでなかったが、二人はビールを飲んでて、酔ったハルカさんが「離婚したらまず最初になにしたい?」とデリカシーゼロの話題を振って来ると、リカコさんは「美容院にずっと行ってないから行きたいわ」と円形脱毛症に悩む俺への配慮ゼロのことを言い、俺も「ハゲ目立つしスキンヘッドにしようかな」と開き直って喋っていた。


 遠慮なしであけすけに言うのは、恐らく離婚経験のあるハルカさんなりの気遣いで、昨夜も二人でこんな会話が出来る様になるまで、色々と語り合ったのだろう。

 俺も久しぶりにココに来て、自虐ネタ言えるくらいには気持ちに余裕が持てるようになったようだ。


 昨晩の事を思えば、俺達夫婦のあの地獄の様な空気から1日でここまで取り成してしまうハルカさんは流石だった。






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