#50 持つべきものは年長の友




 地獄の様な空気の中、もう俺にはどうすることも出来ないし、どうにかしようという気力もなく、イスに座り背もたれに背を預け、無意識に左手の結婚指輪を触りながら茫然と天井を見上げていた。


 気付けば部屋の中は薄暗くなってて、時計を見たら、藤田さんが帰ってから3時間経っていた。


 リカコさんは泣きつかれたのか、リビングのソファーでリリィと一緒に横になって寝てるようだ。

 

 席を立ち、寝室から毛布を持って来て、寝ているリカコさんとリリィに掛けながら、途方に暮れてしまう。


 これからどうしよう。


 離婚の二文字がこれまで以上にハッキリとした輪郭を持つと、今まで主夫として大事にしてきた目標や役目が無くなってしまったと滅入り、俺にはもう何も残っていないことを嫌でも自覚して、軽く絶望してしまう。


 まずは、仕事と住むところを探さないとか。


 でも、直ぐに動けそうにないや。

 疲れた。



 ソファーのリカコさんの腕の中からリリィが顔を上げて、「くぅ~ん」と寂しそうな声をだした。


 ああ、リリィにご飯食べさせないと。

 今日は散歩にも連れて行ってないや。



 のろのろと立ち上がって、キッチンに収納してあるリリィの餌のストックから缶を1つ取り出しフタを開けると、その音を聞いたリリィが起き出して、コチラに走り寄って来た。


 器に移し替えてからリリィに食べさせていると、また目に涙がじんわりしてきた。



 リリィも、俺たちの子供が生まれたら、一緒に世話を手伝ってくれたのかな。そんな家族の姿を、見るのが楽しみだった。

 リカコさんとの子供、欲しかったな。

 

 それももう全部、叶わない夢になっちゃった。


 再び悲しみが湧いてきて、「あ~あ」と態と声を出して強がり、泣くのをこらえた。



 と、そのタイミングでピンコーンとインターホンが鳴った。


 

 応答に出ると、『フータローく~ん、開けて~』といつもの調子のハルカさんだった。


 ハルカさんが来たと分かると、リリィが興奮気味に玄関に走って行った。リリィはマリンちゃんが来ると、いつも玄関まで出迎えに行く。


 リリィの後を追う様に玄関へ行き鍵を開けると、今度は玄関の外から『開けて~!荷物で手が塞がってるの~!』と聞こえ、玄関扉を開けると、マリンちゃんが入って来て、その後ろにエコバック一杯の食糧を両手に持ったハルカさんが立っていた。


 ハルカさんの姿を見て、心底ホッとしていた。

 リカコさんと二人きりじゃ、どんな顔してどんな態度で言葉を交わせば良いのかわからなくなっていた。今日ほどハルカさんの存在を有難く思ったことは無いほど、後光輝く救世主の様に見える。


 

 迎え入れる俺ががよっぽど情けない顔をしてたのか、笑顔だったハルカさんは俺の顔を見た途端に笑顔が消えて、「どうしたの!?何かあったの!?」と聞いてきた。


「・・・リカコさんから話を聞きました。それでちょっと、立ち直れそうになくて・・・」


「そっか。最近、元気に見えてたから少し安心してたけど、やっぱりダメだったか」


「ええ」


「それで、何言われたの?」


「理由聞いたら、育児休暇取る為だって。会社の業績上げて、安心して育児休暇取る計画だったって。そんなことの為に性接待してまで契約取りたかったって」


「はぁ!?バカなの!?リカコさん何言ってるの!?」


「ええ、俺もそう言いました。リカコさんも俺に言われてようやく自分がバカなことしてたの分かったみたいで、今は泣き疲れて寝てます」


「こりゃフータローくんよりもリカコさんのが重症だねぇ。ハゲよりもヤバイよ」


 ハルカさんは笑えない冗談を言うと、手に持ってた荷物をその場に降ろしてズカズカとリビングに入って行き、リリィとマリンちゃんもハルカさんの後を追いかけて行った。



 ハルカさんが買って来てくれた食糧を持ってキッチンに運ぶと、薄暗かったリビングは照明を点けられ、ハルカさんはソファーで寝ているリカコさんを起こしていた。


 ヤカンで湯を沸かす準備をしていると、リリィとマリンちゃんが揃って俺の所に寄って来たので水を用意して床に置くと、2頭揃って仲良く飲み始めた。


 リビングではリカコさんが目を覚まし体を起こして、ハルカさんが2~3言葉を掛けると、リカコさんは両手で顔を覆って、「取り返しのつかないことを・・・」と零しているのが聞こえた。


 直ぐに湯が沸き、二人分のコーヒーを用意してリビングのローテーブルに置くと、リカコさんの隣に座り肩を抱く様にしていたハルカさんから「フータローくん。リリィちゃんとマリンのお散歩に行って来てくれる?」と頼まれ、二人きりで話したいんだと理解して、寝室で部屋着から着替えて、リリィとマリンちゃんを連れて部屋を出た。




 暗い夜道を懐中電灯で照らしながら、車の通りが少ない道を選んで歩く。


 今夜はもうリカコさんと会話出来る気がしなかった。

 ハルカさんが来てくれて、本当に助かった。

 ハルカさんだったら、リカコさんの話を聞いて、慰めるなり励ますなりしてくれるだろう。もしかしたら、俺では聞き出せなかった心境なども聞き出してくれるかもしれない。


 改めて思うけど、ハルカさんの様な年上で包容力があって、情に厚い人が身近に居てくれて、本当に良かった。

 俺がそうだったように、きっとリカコさんにもハルカさんの様な友人は必要だろう。



 いつもよりも長い時間の散歩を終えて部屋に戻ると、リカコさんもハルカさんも居なくて、リビングの電気も消えていた。

 寝室や衣装部屋にもおらず、家に置いたままだったスマホを確認すると、30分以上前にハルカさんからの着信履歴が残っていた。


 ハルカさんに通話を掛けると、『スマホに電話したら家においてっちゃうんだもん。リカコさんは今日はウチに泊まるから、マリンはそっちでよろしくね』と言い出した。


『大丈夫なんですか?』


『だいじょーぶだいじょーぶ。今夜は女二人で女子会だから、リカコさんのことは任せといて』


『それじゃあ、すみませんが、リカコさんのことよろしくお願いします』


『うん。フータローくんも今日は疲れてるだろうから、お風呂入ったら早めに休むんだよ?』



 

 食事とお風呂を済ませると、寝室に毛布を使って犬たち用の寝床を作り、リリィとマリンちゃんが仲良く寝たのを確認すると、その横に敷いた来客用の布団に入った。



 犬たちのいびきを聞きながら、物思いにふける。

 ハルカさんだけじゃなく、リリィやマリンちゃんの存在もありがたかった。犬たちの世話をしているだけでも気が紛れるし、甘えられると気持ちが安らぐ。


 そんな風に思えるのは、きっと俺が主夫だからだろう。家族や犬の世話をしてる生活が当たり前になってるからなんだろうな。リカコさんが事故を起こして不貞行為が発覚した後も、ずっと守り続けて来た主夫としての生活。


 でも、そんな日常も、もう終わるんだ。

 

 もう一度、リリィとマリンちゃんが寝ているのを確認すると、目を閉じて眠りについた。







 

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