#49 打算夫婦の後悔




 リカコさんから直接話を聞くまでは、少し安易に考えていた。

 ハルカさんに本音を聞いて貰い、気持ちに余裕が出来、今後のことを色々考える中で、最近のリカコさんの様子を見てて、リカコさんの反省やお互いの歩み寄り次第では、今後の選択肢の中に『再構築』を入れることすら前向きに考え始めていた。


 結婚前のことに関しては、愛人関係と聞いて失望や嫌悪する気持ちは有れど、恋愛期間ゼロで結婚した俺としては責める気は無かった。

 若い女性が後ろ盾やパトロンも無しに一人で起業して軌道に乗せて業績も安定させたんだ。当時はただ『凄いなぁ』としか思わなかったが、今にして思えば、相当の犠牲を払っててもおかしくない。


 そして結婚後の不貞行為は、裏切り行為として憤りを感じるが、同時に『会社の為に仕方無く』ということであれば同情する気持ちもあったし、藤田さんが言ってた様に、『自分が気付いて止めることが出来ていれば』と俺自身への不甲斐無さも感じていた。


 最近はそんな風に考え、なんとか自分の中で折り合いを付けようとしていた。


 だから、リカコさんと話し合いをすることで、このまま夫婦を続けるのか、それとも離婚するのか、離婚するのなら慰謝料や財産分与などの交渉を、と俺は冷静に判断出来ると考えていた。


 しかし、リカコさんから一連の暴走とも言える行動の理由を『子供を作り育てる為』と聞かされ、決定的な認識の齟齬そごを突き付けられ、俺の甘い考えは一蹴された。




 俺たちは夫婦として、致命的な程の考え方や価値観、そして夫婦像に隔たりがあることを改めて痛感した。


 リカコさんは、目的の為なら手段を択ばなかった。

 でも俺は、目的や目標を達成する為の道程プロセスも大事だと考えている。


 子供を作る為に、知識や環境だけでなく、親として夫婦としての精神や心構えも準備が必要だと俺は考えていた。


 子育ての準備は、妊娠してから始めるものだ。

 収入に関してはリカコさんに任せて、家の中、子育ての環境作りに関しては俺が担う。 1つ1つ夫婦で協力や分担して準備や勉強を進めて、同時に少しづつ親になる為の精神的な成長を夫婦揃ってしていく物だと考えていた。


 けどリカコさんは、まだ妊娠してもいないのに、子供を育てる為に長期育児休暇を計画し、その為に自身の体を犠牲にしてまで会社の業績を上げようとした。

 経営者として長期的に計画や判断をすることは必要だし、時には身を犠牲にする必要がある場面もあるかもしれないが、今回のことはタダ一人先走って暴走しただけの馬鹿げたものだ。

 こんなの親になる為の準備でもなんでもなく、親としての精神的な成長なんてするはずもない。


 しかも、家族のことが理由だと言いながら、家族の俺には何1つ話してくれなかった。

 育児休暇が欲しいなら、俺に相談してくれても良かったのでは無いか。

 いくら子作りを始めることを待ち望んでいたとは言え、会社の状況やリカコさんの方針を無視してまで自分の考えを押し通そうなんて思って無かった。

 実際に、結婚当初に相談して決めた家族計画をリカコさんが反故にしていると不安になっても、そのことでリカコさんに文句言ったことは一度も無かった。

 もし、「会社のことが心配だから、子作りはもう少し待ってほしい」と言ってくれたら、家族計画の見直しだって相談出来た。


 子作りや育児休暇のことだけでなく、会社のことだって、俺には何1つ話してくれなかった。

 今年に入って忙しくなった時でも、俺が心配しても「仕事が上手くいってない」としか話してくれなかった。

 全部リカコさんが自分一人で解決しようとして、最悪の結果を招いた。


 斉木のことだって俺に言わせれば、愛人要求があった時点でA社にセクハラで訴えれば良かったんだ。

 俺にそのことを相談してくれてたら、弁護士雇って俺も一緒に戦う覚悟くらいある。

 けど俺は、妻を、家族を、守ることすらさせて貰えなかった。

 ボロボロになったリカコさんの介護しか出来なかった。


 会社のスタッフさんたちだって、俺と同じ気持ちだろう。

 藤田さんは俺の前で、悔し涙を流していた。

 いくら売上トップの取引先だろうと、自分の会社の社長に肉体関係迫る相手と今後も取引続けるなんて嫌だろう。むしろ、早々にコチラから手を切るべきだと言うのでは無いだろうか。


 リカコさんは何もわかっちゃいない。

 自分一人で出来る事なんてたかが知れてるし、周りの人がどれだけリカコさんを心配していたか。

 俺たちがどれほどの無念を、今抱いているのか。



 リカコさんには俺を頼ろうという発想自体が、無かったんだ。

 あくまでリカコさんにとっては俺は、『家事とセックスしてくれる主夫』なんだ。

 子育てや仕事のことなど、家事やセックス以外のことは求めていなかったんだ。


 今日、話を聞いて一番辛いのは、リカコさんにとって俺は、お飾りの配偶者だったと改めて自覚してしまったことだ。


 女性ながら若くして起業し会社経営をしていたリカコさんのステータスの1つ。 俺は、アルファロメオやリリィと同じで、町田リカコという女を飾るアクセサリーの1つ程度の存在。

 どんなに『大好き』『愛してる』と言われても、それはペットに向けて言うのと同じ言葉なんだ。

 

 プロポーズされた時から何となくそういうことだとは分かってたつもりで、それでも自分が納得して男としてのプライドに拘らなければ、大丈夫だと考えていた。

 俺が主夫として自信を持ち、『俺たちだけの夫婦の形が成立することを証明してやるんだ』と言う意気込みでやってきたが、いまこうして改めて自分が求められていた立場というものを思い知ると、それは最初から無視してはいけない決定的な問題であって、それを「なんとかなる」と判断した自分の甘さを痛感する。

 


 きっと、リカコさんはそんなつもりは無く、リカコさんなりに家族の未来を考えてただろうし、そこに悪意は無かったと思う。

 だから、裏切りとは言えないかもしれない。でも、それ以上に厄介なほどの考え方や価値観の隔たりを突き付けられた。



 リカコさんは俺から厳しく指摘され、漸く自分の愚かさを自覚出来たのか、今は嗚咽を漏らしながら辛そうに泣き続けている。


 今後の事については話し合いは出来ていないが、結論はもう出たも同じだろう。


 今後、俺たちは、夫婦を続けることは出来ない。


 俺にも会社を辞めた意地があったし、最初は打算で始めた愛の無い夫婦という負い目もあったから、斉木の奥さんから話を聞いた以降でも、憤りながらも心のどこかでは離婚は避けたいという思いがあったと思う。

 夫婦なんだから、会社を辞めるみたいに簡単に見切りをつけるべきじゃないって。愛情ではなく、意地なんだけど。

 ハルカさんから『もう無理だ』と言われた後も、開き直ってリカコさんの面倒を見ている中で、打算の夫婦からでも愛のある夫婦になれたのだから、これからまた頑張れば、立て直せるんじゃないかと考えるようになっていた。

 

 だから、俺が一言『許す』と言えば、また夫婦としての生活が続くと思ってた。

 でも、それは無理なことだと痛感した。

 ハルカさんは『一度離れた気持ちは元には戻らない』と言ってたけど、最初から俺たちの気持ちは噛み合ってなかったんだ。



 今は、結婚するべきでは無かったとすら思う。

 俺たちは、先輩と後輩の関係のままが一番良かったんだ。

 夫婦になるべきじゃ無かったんだ。



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